koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

「篤姫」第7回:父の涙

2008年02月18日 20時28分19秒 | 篤姫

しかし,早いものでもう7回ですか。
今年も2ヶ月終わろうとしているし,一週間が長く感じられるものの,終わってしまえばあっという間で・・・。


娘を見送る父親の心境ってのは,さすがに未だ味わったこと有りませんが(当たり前だ),今回は,そんな父娘(或いは家族)の別れの話で,ついつい感情移入しちゃいました・・・。殊に,封建社会に於いては,ああした養子(今回は養女か)縁組の際,身分がすっかり変わってしまい,親子とはいえ主従関係になってしまいますし,同じ藩内とはいうものの二度と会うことはかなわない訳ですから,辛い別れであったことは容易に想像できました・・・。


峰,もとい尚くんは,お気の毒に今回も針の筵でしたね・・・。
ま,囲碁の相手とはいえ,藩主の分家に簡単に出入りできたり,妙齢の女性と会ったりすることが可能だったとは到底思われませんが・・・。
「貴方には,人の思いなど理解できませぬ・・・」
といった台詞が痛々しかったですが,理解どころか気付かぬ,否,憎からず思っていても尚くんを到底男として認知してないのでは,と思われる於一だけに,一層哀れです・・・。この2人に皮肉な再開はあるのでしょうか・・・。
そして,尚くんと千賀はどうやって結ばれるのでしょう・・・。
そんなことのみに興味が行ってしまいそうですが・・・。


米国太平洋艦隊提督であったペリー(ペルリ)の浦賀来航は,2年後の嘉永6(1853)年のことですが,以前から斉彬や幕閣がそれを予知していたとは思われません。
勿論,19世紀末から異国船の来航は後を絶たなかったわけですが(天保年間の薪水給与令なんてのもあった),ペリーとか時期を同じくして来貢したロシアのプチャーチンとかの名が既に知られていたとは考えられないのですが・・・。
水戸斉昭は頑迷な攘夷主義者として描かれていたようですが,実際のところどうだったのでしょう。
洋夷に神国の土を踏ますな,といったのが攘夷思想でしょうが,だったら軍艦製造を献策したりしないのでは・・・,と思ってしまいました。
ということは,やはり只の攘夷主義者ではなかった・・・,ということでしょうか・・・。


さて,来週は鶴丸城島津御殿物語のようです。
深刻な場面があまり無いのが,この番組の良さだと思いますが,このままもう少し薩摩編を引っ張って欲しいものです。


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