この日もまったりと起床。
腹一杯朝食を詰め込んでJRで出発。
朝7時に起床後に本家(つまりここ)を開くと,6年前からお世話になっている小袖さんからの書き込みがあり,湖都古都・おおつOnedayきっぷなるものの存在を教えていただきました。
京阪の京津線と坂本線のフリー切符ですが,500円(小児半額)と嘘みたいな廉価です。
まともに1枚ずつ買うと,どう考えても1,000円以上かかるわけですから・・・。
京都駅に泊まっていて唯一不便なのは,京阪と阪急への連絡です。
ま,京阪の場合は,この日と翌日行ったように,JRを1駅乗って山科と東福寺で乗り換えればよい訳ですが・・・。
新快速を山科で乗り捨てて,向かいの京阪山科駅へ。
京都市地下鉄が途中まで入って駅前の景観が変わっているせいか,24年ぶりに降り立った感慨は有りませんでした。
窓口で湖都古都・おおつOnedayきっぷを買います。
駅員のお兄さんがとても親切にいろいろと説明してくれましたが,京阪はどこの駅も駅員さんが大変親切で,気持ちよく乗車することができました。
しかし,久々に(多分最後に乗ったのが95年の春??)乗りましたが,京阪の車両のバリエーションは豊富で実に楽しいです。
JR東海道線と湖西線が山科盆地東の四宮からすぐトンネルに入って大津へ抜けるのに対して,京阪はまったりと逢坂山の谷間を縫うように進んでいきます。
逢坂山というと,今昔物語にある蝉丸法師と源博雅の古事を思い出しますが,映画「陰陽師」に出てくる博雅役の伊藤英明くんは風流の徒に見えなかったのが残念・・・などとしょうもないことを思いました・・・。
浜大津で坂本線に乗り換えてすぐ次の三井寺で下車。
そこから三井寺の山門までは,琵琶湖疎水に沿って10分ぐらいだったでしょうか・・・。
三井寺(正しくは園城寺)は,天台宗の大寺ですが,開祖は何と弘文天皇(大友皇子)の子である与多王(よたのおおきみ)だそうです。
壬申の乱で父と敵対した叔父の天武帝に認可されたので,680年代にこの地に園城寺を創建したとのことで,自分の「荘園城邑」(「田畑屋敷」)を投げ打って一寺を建立しようとする志に感じ入って天武帝が名付けたとも言われるそうです。
また,通称三井寺の三井とは,天智・天武・持統の三帝がここに湧く霊泉を産湯に使ったので御井の寺→三井寺となったということです。
9世紀に智証大師と言われる円珍によって再興され(東北に縁が深いのは,慈覚大師と呼ばれる円仁です),平安期は藤原道長や白河法王の信仰が厚かったといいます。
また,源の頼義が戦勝祈願をするなど源氏(正式には清和源氏頼信流河内源氏-尤も30年程前から,清和源氏は陽成天皇の裔とされるようになりましたが)との縁も深く,源平の戦い(治承・寿永の内乱)の前哨戦とも言うべき源頼政(同じ源氏とは言え,頼政は頼信兄の頼光-大江山の酒呑童子退治で有名-を祖とする摂津源氏・多田源氏で,頼義・義家・義朝・頼朝の河内源氏とは異なります)の挙兵の際は頼政に与し,僧兵たちが宇治で戦っています。
また,何と言っても,山門と言われる比叡山と寺門と呼ばれる三井寺の抗争が名高く,平安期だけでも大小50回にわたったとされます。
湖岸の琵琶湖疎水取り入れ口から山門にかけて門前町が形成されていますが,残念ながらそうした情趣があまり感じられないのは残念でした。
もしかすると,人が少なく店も閉まっているところが多かった為でしょうか・・・。
銀閣門前の人工的な門前町も考えものですが,清水坂のような情緒がもう少しあれば・・・とも思いました。
山門はさすがに堂々としたもので,古式を誇る大寺だけのことはあります。
以下は画像で・・・。三井寺山門。さすがに風格有る雰囲気。
国宝の金堂。
経藏。何でも毛利輝元が山口から移したとか・・・。
三重塔。造形が素晴らしい。
弁慶が担いできたという汁鍋。
汁鍋の奥は,近江八景の三井の晩鐘で有名な梵鐘が・・・。
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