おばばの冷や水発信

年に数回 思い出した時にゆるく更新しています。そろそろ〇桶に片足突っ込んでます。

終わろうかなぁ

2017年01月09日 | その他
今日が終わりました。
長い 長い一日でした。
帰ってきて 疲れてしまい ちょっとウトウト、、

でも、悲しい気持ちは残っています。

理不尽な事を この先も飲み込むのがこの仕事なのはわかりました。
疲れたのは変わりません。

自分の落ち度を認めたくない人は
何か 適当な獲物を見つけて とことんそれを攻撃する事で自分の落ち度を棚上げし 自分を正当化するのだと思います。
相手を貶める事で 自分を正当化し 自分の落ち度が さも正当な観点から述べられているように取り繕うのです。

自分の子育ての落ち度を 他人のせいにして さも 自分は間違っていないように主張するのです。 でも、 客観的に見たら 根本は子育ての間違いであることに側は気づいてしまうし 容易に露呈するのですが、 自分を守ろうとして、それは 子供を守るのではなく、自分の子育ては間違っていないと言いたくて、言って欲しくて、次から次へと 他人を貶める。

気づいてみると
そんな人が周りに多くて、怖くなってしまったのです。
そんな話を聞くたびに 嫌になります。
この先も続くのかと思うと どっと疲れます。
もう 嫌だな〜と思うのです。

ホント
もう 関わりたくないです。

ただ
生きている限り
人との接点はあるわけで、気がつかない所で自分もそうしている可能性もあるのです。
自分は正しいと思って行っていることは 本当に正しいとは限らないのです。
もっとも そんな事を考え続けたら 何も出来ないので どこか鈍感で無ければ生きていけません。

疲れたなぁ
長く生きるって 私にとって必要なのかしら?

昔々 良く遊んだドッジボールのルールで 中の人を当てると「命」の数が増えて、自分が中に入って当てられても、その「命」を消費すれば生き延びられるというルールがありました。
それは 他の人への譲渡も出来て、ドッジボールの内野が怖かった私は 内野が得意な友人に「命」をあげていました。
本当の命もそれが出来たら良いのにと思います。
本当に生きたい人、生きなければいけない人に「はい どうぞ。使ってください。」と言えたら良いのにと思うのです。
もっとも 私の余命では短すぎるでしょうが。

この仕事をしながら、
私は自分に足りない事
自分がもっとしなければいけない事がたくさんあって、それを成就する為に 「神様?」がこの仕事にめぐりあわせてくれたのだと思ってきました。
とことんやるには まだまだ足りないのはわかりますが 途中で心は折れました。

それまで 自分を支えてきたパワーが ストンと落ち込んで 消えてしまったのです。

ああ
疲れたなぁと 今日はそればかりでした。