忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

2009.1.16

2009年01月16日 | 過去記事
中学の時、社会科の教師が担任だったのだが、「その日」の授業は明確に記憶している。先生はいきなり黒板に「光三(みつぞう)」と書いた。その先生の名前である。そして、「先生は自分の名前が大嫌いなんや。」と語り出した。そう、「三光作戦」である。▼1984年。今思えば、近隣諸国条項という内政干渉丸出しの愚策直後だった。もちろん、南京大虐殺も徹底的に刷り込まれた。正直、振り返ると恐怖である。何の基礎知識も持ち得ない状態で教師から聞く授業を「疑え」というのは無理がある。テストにも出るし、覚えねば仕方がない。▼「何の罪もない中国の人を“マルタ”と呼んで生体実験を行った。生きたまま解剖したり、毒ガスの実験台にしたんや。もちろん、麻酔なんかないし、死ぬことは決まっているから、もう、無茶苦茶や。先生は日本人として恥ずかしい。これから一生、中国の人、韓国の人、アジアの人に謝り続けなければアカンと思う。」私は居眠りしながら、心の中では頷いていた。そらそうだと思った。▼私が深夜まで遊び呆けていると、車で探しに来てくれた。ガレージの前で缶ビール片手にウダウダしていたら、いきなり現れて殴ってくれた。目に涙を浮かべ、「お母さんがどれほど心配してるか知ってるか?」と言われた。先生はラグビーの顧問だった。私も所属していた。柔道がしたいと思い、退部を告げに職員室へ行ったときも、その先生は泣いた。「おまえにはラグビーをしてほしい。必ず、大物選手になる。先生が保証する。」とまで言ってくれた。正直、嬉しかった。▼柔道部に入部してすぐにレギュラー選手となった私を応援しに来てくれた。派手なデビュー戦を飾った私を自慢していた。今でも、その先生は尊敬している。▼だから私は反日売国組織が憎い。

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