忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

自民党は「悔い改め」よ

2013年05月14日 | 過去記事



私も愛用する「au」のCMは感じがよろしい。東京タワーと増上寺をバックに、あの、なんか、きゃりーぱみぃgヴぃrとかいう女の子が歌って踊っていた。その感想がまた素晴らしい。<日本人として、お寺で東京タワーをバックにライブができて、本当に光栄>とか20歳の女の子が言う。実に感心な女性だ。人気が出るのもわかる。

比して、感じの悪いバンチョッパリの電話屋がある。そこの社長が先月、日本オラクルの催し物で「先進ユーザーはソフトバンクを使っている。残りの3割の人は悔い改めてほしい」と言ったとか。普通、日本人的マインドならば「当社の製品をお試しください」ということになっているが、そこは文化の違いでケンチャナヨ、あちらでは我が社の製品以外を使うユーザーなんか罪人だ、直ちに「悔い改めろ」になるみたいだが、その考えこそ改めたほうがいいと思う。日本には「驕れるものは久しからず」という諺もある。こういう馬鹿につける薬だ。

また、この社長が「ソフトバンクの純増ナンバーワンはたまたまではない。また、テレビCMでお金を使っているからではない。頭を使っているからである」と言ったら会場は拍手で包まれた、ともある。その「頭を使った」というのは日本人女性を犬の妻や子に、兄を黒人にして、日本の国民的アイドルを犬の肛門から出すCMのことをいう。例の「白い犬」の名前は白戸次郎。ここには「犬畜生」という意味の「ケセッキ」や、だった「白丁」の意味も込められる。また、樋口可南子が扮する奥さんは「まさこ」だとか。これで「白州次郎」を思い出し、その奥さんが「正子」だと気付くのは邪推ではない。

しかしながら、この社長は苦労人らしく、家が貧乏で「足が汚水につかるような場所で苦学して」現在の業を成したとか。父親からは「お前は在日韓国人だから、普通の日本人より頑張らないと出世出来ないぞ」と在日のステレオタイプをやられた、と本人が言う。

ざっくり書けば、物心ついたときから日本の地で差別され、貧困に負けず勤勉に過ごし、生まれ持った「在日根性」でへこたれず、通名の「安本」を使わないと決めたときも「たとえ十倍難しい道であっても俺は人間としてのプライドを優先したい、俺はどれだけ難しい道だって堂々と正面突破したいんだ」(NEWS ポストセブン 2012/1/4)と朝鮮ドラマのようなセリフを吐き、在日青年は「何十万人といる在日韓国人が、日本で就職や結婚や、それこそ金を借りるとき差別を受けている」(同)世の中を憂い、見事に成り上がっていく、というストーリーだ。ま、とくに面白くもないが文句もない。

でも、ちょっと気になることもある。例えば少年の父は1947年に船に乗って日本にやってきた、とある。終戦から2年も過ぎて、なぜに「暗黒の植民地支配」を行った日本に来たのか、それは書いていない。また、佐賀県に辿り着いた一家は密造酒とサラ金、パチンコ屋でひと儲けしている。私が生まれる2年ほど前の1969年には、そのパチンコ屋をチェーン店化している。風呂場にサウナとテレビがある、とか地元では有名な御殿だ。その頃、在日青年は10歳だ。また、その前の貸金業では「カバン持ち」も雇っている。つまり、社員がいた。水商売相手の金貸しも忙しかった。とするなら「足が汚水につかるような場所で苦学して」とは何歳のことなのか。

つまり、私の勝手な主観だが胡散臭いのである。このエピソードもそう。ソフトバンクの前身になる「ユニソン・ワールド」。孫正義は当時、2人しかいなかった社員に「10年で年商500億の会社にする」と豪語したら信じてもらえなかった。2人は孫正義を大法螺吹きだと見限り社を去ったとか。たしかにそこで「でも、ほら実現したでしょう」と言えばかっちょよろしい。

ちなみに孫正義の尊敬する人物に「本田宗一郎」の名が出てくる。宗一郎がホンダの新工場を建てるときのエピソードによく似たのがある。宗一郎はその際、トヨタの工場の隣に建てるとして、その理由を「やがてトヨタは、日本のみならず、世界企業となる。その“横綱”の隣にホンダを建てる」と言ったとか。また、町工場レベルのとき、早くも「世界のホンダ」を口にして笑われたとか、関連する書籍を読めばいろいろとある。

しかしまあ、私は「au」のユーザーだし、今後ともにソフトバンクを利用することはないから関係ない。それにそれも「イメージ戦略」なら勝手にすればよろしい。嘘でも本当でも興味すらない。ただ、嘘話で日本を腐したり、暗に日本人を馬鹿にしたりして遊ぶのは感心しない。日本国内でだけ「脱原発」を言い、韓国では「安全に運営されている韓国の原発を高く評価している」とか、地震も津波もないのに事故だらけ、隠蔽しまくりの韓国原発を褒めて喜ぶのも露骨に過ぎる。それで日本人がソフトバンクを使わないと「悔い改めろ」と威張る。たかが商売人のくせに何様のつもりか。

「お里が知れる」とはこのことだが、日本はずっと、支那朝鮮人から「悔い改めろ」と言われ続ける。時々、アメリカも都合が悪いから「悔い改めたんじゃなかったのか」と慌てることもある。日本が「実はこうだった」と声を出すと非戦闘員を無差別に大虐殺したり、人体実験のために原爆を2発も投下したり、という人類史上稀に見る悪行の動機が嘘だとバレる。だからセックススレイプに南京大虐殺、捕虜虐待に強制連行の奴隷化は「あった前提」でモノ言わねばならない。

国会には本気で信じている阿呆もいれば、知っていて騙されている賢いつもりの阿呆もいる。メディアもそう。朝日新聞や毎日新聞のような確信犯もいれば、NHKみたいに馬鹿なだけ、というのもいる。どちらも具合が悪いわけだが、この第二次安倍政権で期待は高まっている。安倍政権が「ンなこと、あるか」と引っ繰り返してくれるのではないか、という期待だ。その期待感は想像以上に大きく、安倍総理はもちろん、閣僚がちょっと大人しい発言をすると「弱腰だ」みたいに非難される。

最近では高市早苗政調会長だ。NHKで「村山談話はちょっとおかしい」と言ったら大騒ぎだ。なんと、自民党の中には「更迭しろ」という声もあるそうだ。まあ、なんというか、そいつを更迭すればいい。与野党問わず、いま、日本はそんな呑気やってる場合じゃない。

また、安倍総理が国会で「(村山談話を)そのまま継承しているわけではない」と言ったら大騒ぎ。支那朝鮮にも御注進してわぁわぁやる。また、安倍総理が「歴代内閣と同じく」としたら「収束を狙った」とか「火消しに躍起だ」みたいに報じ、次の日また「侵略の定義は定まっていない」と言ったら騒ぐ、という繰り返しをやっている。もういい加減、振り回すのも、振り回されるのも大概にしたほうがいい。つまり、もう「悔い改める」ときにきている。安倍・自民党が、だ。

世論は確実に変わって来ている。古い頭の自民党幹部とやらは切ったほうがいい。石破幹事長も高市氏に<個人的な見解であろうとなかろうと、発言に注意していただきたい>と叱ってる場合じゃない。菅官房長官も記者会見で言い分けしなくていい。選挙を前にして慎重にやるのは結構だが、多くの有権者は「ラストチャンス」くらいに考えている。事態は深刻だ。もう一度、近い将来に自民党が崩れてメディアが風を吹かせ、どこぞの左巻き政党に政権を盗られたら、今度の今度は致命的だ。自民党はいま、どこを切っても正論である「村山談話はちょっとおかしい」を言った高市氏に対し、政局しか興味がない公明党幹部が「政局観がない」と批判するのを黙視してはいけない。敵は身内にもいる、は厳然とした事実である。石原慎太郎の言う通りだったりする。公明党はもう、足を引っ張る。

腹を据えるときに来ている。官房長官は記者会見で「何が悪いの?」と開き直って良い。自民党は専門家を揃えて「じゃ、国会ではっきりさせましょう」とすべきである。先ずは国内から、ではないか。テレビやネットで中継して、徹底的にやればいい。アベノミクスも大事だが、それより大事なこともある。そしていま、ようやく「そのとき」がきている。

外交問題、大いに結構。望むところだと開き直れ。自民党は日本と日本人の誇りを護る、と宣言すればいい。それで選挙は大勝する。もう喧嘩する時期に来ている。となれば「中途半端」が最もよろしくない。支那朝鮮の政府関係者が会談を拒否するなら「内政問題だ」と放っておけばいい。ただ、大人として日本からの外交的アプローチを切らねばいい。

孫正義に言われるまでもなく、人は「悔い改める」ということが肝要だ。今までの政府見解がどうした、ではなく、もうはっきりと「今までの政府見解は出鱈目でした」と述べて大火事にすればいい。靖国神社?じゃあ、毎日参拝します、毎日、騒いでいればいいじゃないですか、と笑ってやればいい。支那朝鮮国内は火を吹くだろう。日本に宣戦布告しろ、とデモが起こる。日本の商社は飛んで逃げる。いずれも困るのは支那朝鮮だ。

また、国会は連日紛糾、乱闘騒ぎくらいあるかもしれない。朝日新聞は発狂して、一面を「日付だけ」にするかもしれない。全面を社説にするかもしれない。テレビは連日、安倍政権の暴走です、とかやるだろう。古館は昔を思い出して「おおぉっと!ベビーフェイスの安倍晋三、ここで東京裁判の全否定だ!まさにオキテ破り!オキテ破りの逆歴史認識でありましょうか!加藤さん!これは辻本清美、大阪の反日オモニの真っ赤な落とし子といわれております辻本でありますが、これはかなり効いてるんじゃないですか?(加藤:膝にきてますね、これはヘコタレルかもしれま・・)おおとおっ!ここでまさかのピースボート!辻本清美!ピースボートに乗って逃走であります!!」とか言うかもしれない。



「悔い改める」のは痛みが生じる。嘘をついたら恥もかく。自民党も例外ではないのだ。


それに「悔い改めた」人は他にもいる。罪人が善に至って悔い改めるのを見るのは気持ちがよろしいが、例えば、中央大学法学部教授、長尾一紘は長らく「外国人参政権推進派」だった。民主党の「憲法王子」がドヤ顔で名前を出した芦部信喜も論文で引用、日本国憲法下でも外国人の地方参政権を認めることは許される、という解釈を論じた。だから朝日新聞もNHKも長尾一紘をありがく使った。しかし、あの2009年に引っ繰り返した。

政権交代から3ヶ月後、長尾一紘は「部分的許容説は維持できない。違憲である」と論文に書いた。なんのことはない。民主党が政権を盗った、冗談を言っている場合じゃない、と危機感を抱いた。朝日も民主党も慌てたが、長尾一紘は「国家解体に向かう最大限に危険な法律を制定しようというのは、単なる憲法違反では済まない」とマトモをやった。40年ほど、ちょっと悪ふざけが過ぎたが、最後の最後は真人間になった。そういえば民主党にも、もうひとりの長尾がいた。長尾敬だ。先の総選挙、悔い改めて自民党公認で出た。惜しくも落選したが、これで心おきなく応援できる。悔い改めてくれてよかった。




自民党は有権者を信頼せよ。日本国民を信頼せよ。

堂々と公式の場で正論を述べよ。日本と日本人、先の大戦における英霊を貶めるが如き、植民地支配で人類を差別した嘗ての戦勝国、また、それに隷属する国家による破廉恥な虚偽を喝破せよ。胸を張って「我々の父祖は正しかった。堂々と戦った。誇り高かった」と現代日本人に告げよ。政局や情勢、柵に惑わされず、速やかに戦後レジームから脱却せよ。

外国の顔色、有権者の顔色、メディアの顔色にふらつく下衆な根性を「悔い改め」よ。




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