忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

「行きつけの店」

2010年11月30日 | 過去記事
「行きつけの店」

もう1年ほど顔も出していないが、数年前からちょくちょく飲みに行ったラウンジがある。妻と同じ年のママさんがいて、私と同じ年のチーママがいる。1年前も不景気だったらしいが、それでも平日の夜は満席になることが少なくなかった。立ち飲み屋のマニュアルには「立地条件が命」と書かれているモノが多いが、同じ酒を出す店でもスナックやラウンジは別モノで、そのビルが立っている場所もとてもじゃないが好条件とは言えなかった。

こういう店では「知った顔の女性」が勤めていて(まだ辞めていなくて)、こちらの顔を覚えていれば、いつ行ってもフレンドリーに接してくれる。何人か連れていくと、それはもう、先週は3回ほど来たかな?と錯覚するほど「常連扱い」が期待できる。駅前の立ち飲み屋に黙って立つだけで「瓶ビールが出てくる」ようになるまではかなりの修行を要するが、こういう店では「店が客を覚える」ことは重要なスキルなのである。

また、これは自慢だが、私はこういう店では意外にモテる。その理由は長らく不明であったが、私がバーの経営をすることになって「同業者」と認めてくれた別のママさんが、酔った調子で教えてくれた。曰く「楽」なんだそうだ。

いくつかの項目があった。記憶している範囲で書くと、

・口説かない(恋愛やセックスなどを話題にしない)
・暴れない(からまない、言葉が乱暴ではない)
・笑わせてくれる(酒席の場はツッコミに徹する。相手はボケ、というか酔っている)
・しゃべらせてくれる(自慢話と愚痴しかないオヤジの相手は消耗する)
・強要しない(飲め・歌えなど)
・誘わない(店の外でまで飲まされると、女の子は死ねる)
・3回に1度は手土産がある(小腹がすく時間にシュークリームなどが喜ばれる)
・他の客に興味を抱かない(店の人を困らせる、嫌がらせることになる場合が多い)
・心配になるほど頻繁に来ない(依存度が高くなると、店の人は負担になる)

などであった。なるほど、と思った。しかし、そのあと「でも、それじゃあ女の子が育たないんだけどw」と嫌味も言われた。つまり、私相手ならば素人で務まる、ということだ。どないせえちゅうんじゃ、である。

そういえば、今はもう懐かしい社長マンは「行きつけ」が多かった。本人が「行きつけ」だと断定している店だ。店の人は当然、この御仁が行くと「最高の行きつけぶり」を発揮せねばならない。機嫌を損ねると「この店にどれだけ来てやってると思ってんだ?」と邪魔臭いことを言い始めるからだ。だから、社長マンは非常に嫌われていた。そして、おそらくは100回以上、この御仁と一緒に飲んだ私が断言するが、彼は上記の「モテる条件」のすべてをクリアしていないとわかる。また、こういう人は「学ぶ姿勢」がないから、仕事であれ遊びであれ、いつまで経っても上達しないのも特徴だ。

水商売におけるサービスの段階のMAXは「店員化すること」だ。店は客のランクごとに「サービスを差別化」させるから、ボックス席でもカウンターでも「いちばん悪い席」に座らされるのが「常連扱い」なのだ。冒頭の店では満席の場合、本当の常連客はビールケースを引っ繰り返した「即席テーブル」につかされることを自慢している。店の隅っこで女の子もつかず自分で酒を作り、店から放逐されることで、この店は自分にならここまでするのだ、と誇らしげに語る。そこでママから「タバコ買ってきて」と言われたら本物、それに対して「この店は客を顎で使うから気をつけるんだw」と言いながら寒空の中、フラフラと煙草屋に行くのがツウである。つまり、あまり羨ましくもないのだ。

また、セット料金4000円程度の店で金正日になる阿呆がいるが、あれほどみっともない、レベルの低い飲み方はないと言い切れる。最近、民主党の議員が自衛官に対して「オレを誰だと思ってるんだ?」というアニメのようなセリフを吐いたとか吐かないとかやっているが、私はリアルに社長マンがそう言うのを何度も確認した。大人になれば「私はこういう者です」とするのが常識だと思うが、そこらの喧嘩番長のように「オレ様が誰だか知らぬのか?」など、私は少年漫画の世界でしか知らなかった。しかも、これは「悪役の台詞」でもあり、その中でも雑魚の台詞であると周知である。

それに社長マンはよく「(私と比して)オレのほうが金使ってるのに!」と冗談半分(と信じたい)不満を口にすることがあった。私が「社長マンが通う店」に単身で乗り込んだりもしたからだが、日を改めて一緒に店に行くと、愚鈍な社長マンでもわかるほど、どちらが気に入られているか、が如実にわかる。飛び込みの店では、何もなくとも「私に伝票が回る」ことが多かっただけに、私よりも10ほど年上の自称「すご腕経営者」なら、その悔しさは一入である。貫禄とか恰幅というものを、持ちモノや財布の中身だけで判断する安モンには一生かかってもわからないだろうが、水商売の「人を見る目」を舐めてはいけない。あくまでも総合的、且つ、客観的に判断するプロである。「教えてもらう」というスタンスを忘れてはいけないのだ。

ま、しかし、だ。ここにも書いたし、当時の部下には種を明かしているが、これにもちゃんと理由がある。例えば、社長マンが月に10回来たとする。使う金は5万円×10回で50万だ。私は月に1回だけだが、その日には10万円使う。ボトルも2本は空けて帰るし、女の子が飲む馬鹿みたいな値段の追加ドリンクも笑って勧める。気の利いた手土産も持参しよう。社長マンは私の5倍の出費であるが、その印象となれば半分だ。更には私の方が年も若く、その立場も社長マンの使用人となれば、どちらの雄が「甲斐性アリ」と判断されるのか。もちろん、先述した「モテる条件」も加味して考えるとよくわかる。

また、社長マンと飲むときは、キタからミナミ、そこから場末のスナック街へと「はしご」することが多かったが、最後のほうで行く「小さなスナック」が「本当に行きつけ」なのは心配だった。バーの経営をしている時もいろんな人がいたが、中には社長マンのように「本当に通い詰めている人」がいる。もちろん、そういう人に家庭はないのだが、社長マンのように妻子ある人が、なぜに「座って飲むだけ」の店に通い詰めているのかと不思議なのであった。しかも、いわゆる「BAR」ではなく「スナック」なのだ。

もうすぐ修了となる介護の学校でも、毎日コンビニの袋を持参して来る中年は悲哀の対象であるが、それと同じようなもので、それは遊び云々ではなく「家庭内の不和」を想像させる。もしくは孤独、孤高などの恰好の良いモノでもいいが、往々にして「良き父・良き夫」の姿からは遠く離れていく感覚を覚えるのである。50代半ばのママだけがいるようなスナックで「ここはオレの行きつけなんだ」と聞けば、嗚呼ぁ、この人は遊んでるなぁ、とは思わない。家庭どころではなく、一緒に飲む友人すらいないのか、と心配になるのである。

つまり「行きつけ」とは、その人の生活パターンに組み込まれているのがよろしい。わざわざ行く店は「行きつけ」に非ず、だ。「非日常が日常」など矛盾したことをせず、いつも昼飯で世話になる会社の近くの食堂とか、駅前で生命のガソリンを補給する立ち飲み屋とか、月の数回、家族との外食で選ぶレストランとか、記念日に予約する「ちょっとぜいたくな店」などが「行きつけ」である。そして、そういう店では一見の顔をして、店のマナーを守り、あくまでも「上客」として振舞うのがカックイイのである。

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