忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ガチコメ的「ヤッターパンダの話」

2008年05月19日 | 過去記事
■2008/05/18 (日) ガチコメ的「ヤッターパンダの話」1

出勤前、テレビで四川大地震報道を見ていたら、生き埋めになった人を救出するシーンを流していた。担架に乗せられたその人は支那語でこう言った。

「コカ・コーラをくれ!コカ・コーラが飲みたい!」

・・・・。

会社に行くと、カンフーがいたので聞いてみる。

「普通は、水を飲みたい・・とか言うんじゃないですかね?中国だったらウーロン茶とか。まあ、でも、特定の、それもコカ・コーラって言いますかね?ペプシではなく、ダイエットコーラでもなく・・・」

やはりだ。私は自分が単なる嫌支那になったのではないかと不安になったのだが、自称・支那人であるカンフー(好物は段ボール)がそういうのだから間違いない。とすれば・・・公式スポンサーの名を連呼させるとは・・・救出されてすぐ「トヨタの車に乗りたい・・」といわせる日も近い・・・い、いや、でも、ただのコーラ好きだったらすまん。

そうだな、カンフーは嫁が逃げるほどひねくれているからアレだが、支那では普通なのかもしれないではないか。行ったこともないのに決め付けてはいかん。左翼に叱られてしまう。普通に「コーラ」のことは「コカ・コーラ」と正式に呼んでいるかもしれないではないか。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080517-00000090-jij-int
<誕生日の歌で意識戻る=廃虚で20歳迎えた女性-四川大地震>

・・・・。

し、信じよう。

<駆け付けた女性の兄がその姿を見て「13日は妹の20歳の誕生日。祝ってあげたかったのに、こんなことになって…」と悲嘆に暮れていると、救出活動に当たった兵士160人の間から「ハッピー・バースデー・トゥ・ユー」の歌が始まり、女性のまぶたが開いた。>

そ、そもそも、こういう美談を茶化すということはいくない。

なんて感動的なストーリーなんだ。心がわらわ・・いや、せ・・・洗われるようではないか。なんという愛の物語。なんという美しき、あ・・・兄妹の絆であろうか。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080518-00000016-scn-cn
<四川大地震:母親がわが子に残した最後のメッセージ>

私は感涙することを禁じえない。

生後4ヶ月の赤子を庇い、持っていた携帯電話にメッセージを残す。

なんという、ぼ・・母親の深き愛情。

くぅううぅぅううう・・・・・ええ話や(泣)。

「2」へ

■2008/05/18 (日) ガチコメ的「ヤッターパンダの話」2

-

で、

(=゜ω゜)ノ  ★

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080518-00000924-san-int
<中国中央テレビが謝罪 大地震募金でやらせ映像>
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_date1&k=2008051600077
<国営TV記者が話でっち上げ?=ネット上で非難集中>

・・・・・。

ええと、いくら探しても「人民解放軍」の活躍を感動的に流せ!!という支那共産党の命令があったという記事がみつからんのですが、書いた人ぉ!生きてますか?という今日この頃、私は部下に「本を読め!」というが「映画も観ろ!」ともいう。明日はなんばグランド花月に行くと思います。久代千代太郎です。あ、こっちも誰か来た。あはは♪

ともかく――――

サブカルチャーが死んだ国ではこういうことになる。

知性とは感性を包含する文化的な振る舞いのことであり、そしてそれは、例えば「原始人のような暮らし」をしている民族を野蛮とするか、それとも「それを侵略して奴隷にする」ことを野蛮とするのかを問う「感性」であり、ならば、その文化の差異を認めつつ、相手の文化を尊敬しつつ、伝統や歴史に畏怖する謙虚さを持ち合わせ、そこから相互理解を生み出せる振る舞いのことである。もし、万が一、仮に、縦しんば、「友好関係」などというものが国家間、民族間で可能であるならば、それは人類最高の知性を持ち合わせていなければ不可能であると思う。その「感性」が劣化するとき、いわゆる「偏狭」な民族意識とやらは単純化して排他的にならざるを得ない。

「3」へ

■2008/05/18 (日) ガチコメ的「ヤッターパンダの話」3

つまり、コレは皮肉で言うのではないが、個人同士の「交友」はともかく、悲しいかな民族間、国家間での「友好関係・信頼関係」はあり得ない。この大和島根に住む多くの「平和の民」はその現実を直視せねばならない。支那大陸に憧れ、西欧諸国に憧れ、アメリカに憧れた「知性の民」は、今こそ「感性」を磨きなおさねばならないときだろう。

すなわち、

「騙されないよう」

気を張ることだ。「お人好し」を横に置き、「無関心」というモノも有事においては「無責任」であると知ることだ。そして「責任が無い」ということは、至極当然ながら「権利を失う」ということだ。それが摂理であると知る「知性」を呼び覚まさないと、とんでもない、取り返しのつかないことになると思う。この「平和で安定した、暮らしやすくも美しい島国」を子々孫々に残すという民族の使命を果たさねばならない。

-

ちょっと、大上段に構えてしまったようで正直すまん。
が、しかし、この動画のように反省はしていない。

http://jp.youtube.com/watch?v=IHfg9rcWkv0

「たかじん」の委員会の録画を見ていて(今頃ww)驚いた。勝谷氏も出ていなかったのは偶然か(笑)?メールには書いていなかったように思うが・・・?まさかノーコメントはなかろう。期待して待ってみるww

亀田親子のネタのとき、この歌の上手い司会者は「謝るなら、本人が謝るべきやろがいぃ!」と叫んでいたので、つまり、そういうことなんだろう(笑)。というか、本人、知らなかったんぢゃないのか?勝谷氏のメールと、来週の日テレが楽しみだなぁ(棒)。

で、テレビの話が出たついでに、もう少しだけ「感性」の話をさせてくれ。

「4」へ

■2008/05/18 (日) ガチコメ的「ヤッターパンダの話」4

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「ヤッターマン」というテレビアニメがある。内容はとくにどうでもいい。

私も子供ころに見ていた記憶がある。もちろん、最近でも「流行りもの」の漫画は読む。しかし、アニメは見なくなった。まあでも、たまたまつけたテレビに「サザエさん」がやっていたら見るときもある。1分・・・?2分程度か・・すぐに、あちこちチャンネルを代えて、結局、面白くなさそうだったら消す。ニュース番組を探しているだけなのであった。

妻も「ヤッターマン」を見ていたという。で、リメイクされてまた流されると知って、倅に説明している。倅も少しは反応していた。妻は、あの「ヤッターライオン」などが口から出す「小さいロボットのマネ」をする。

私が『そんなん、そのモノの名前を繰り返してるだけやん』とダメ出しをすると怒る。先日も「家のカギ」を探していて、なんの脈略も無く「かぁぎ!かぁぎ!♪」とやって一向に探そうとしないので、いくらなんでもコレはいかんと思った私が、これまた完璧に近い「どくろべぇ」のモノマネを駆使して『おしぃおきぃだぁべぇ~~』とやると喜んでいた。私も久しぶりだったので少し恥ずかしかったが、やってみてよかったと思った。

いや、そんなことはどうでもいい。

ところが、その「ヤッターマン」。

見ていないのだ。誰も。

録画でもしているのかと思ったら、これもしていないっぽい。コレはいったいどうしたことか。妻も、もう、頼まないと「小さいロボットのマネ」もしなくなった。倅に「ヤッターマンネタ」を振るも、まったく要領を得ないばかりか、相変わらず「安もんの落語家」のような駄洒落で切り抜けようとする。誰の所為でこうなったのか知らんが、この倅、笑いのセンスは皆無である。

それよりもだ。

通勤途中の車の中、または風呂場でいい気分になりながら、繰り返し繰り返し、いや、違う、こうじゃない、こうじゃないんだと、必死でカンを取り戻すべく練習した「どくろべぇ」のモノマネはどこで披露すればいいのかと考えていたら疲労した。あ。

いや、だから、そんなことはどうでもいい。

そこのあなた、窓を閉じようとするのは、ちょっとマテ。
「戻る」もマテ。もう少しだから我慢して読んでくれ。

「5」へ

■2008/05/18 (日) ガチコメ的「ヤッターパンダの話」5

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で、

妻に聞いてみると・・・

「面白くないから。」

だと。また、あっさりと。

でも、正解。面白くないのだ。

しかし、決して、この名作「ヤッターマン」が面白くないわけではない。今はしらんが、あの時代は最高だった。みんな見ていた。ただ、今はもう「面白くない」わけだ。

それは「時代」もあろう。今の日本のアニメーションはすごいんだろう。内容やキャラクターにも「時代」はある。つまり、そのときのトレンドというものがある。リメイクという手段によって、再度ブレイクするものもあるのだろうが、しかし、私は先ず、

「見る側の変化(成長)」

が真因であると思う。面白くなくなって当然なのだ。

極論だが、今月37歳になる私が「いないいないばぁ!」でケラケラ笑ったとすれば病院に連れて行かれるだろう。つまりは「そういうこと」なのだ。

ちなみに、私にいつも「半ば強制的」に映画を見せられる我が社の店長も、例えば「砂の器」(松本清張)を語らせると1時間は喋ると思う。出演者のエピソードや裏話を交え、順にストーリーを追いながらもアクセントも付け加え、クライマックスの感動を身振り手振りすら交えながら、熱く、濃く、聴き酔っていると知らぬ間に「点と線」に移行しているかもしれないほどの「身の入り方」である。でも、そんな彼に、

『スパイダーウィックの謎って観たか?』

と聞いても、「はぁ?」と返される。「スターウォーズ」も「スーパーマン」も「スパイダーマン」も「三田ライト」も観ていない。これから観ることもないだろう。

「6」へ

■2008/05/18 (日) ガチコメ的「ヤッターパンダの話」6

工作員2号なんかも「仁義なき戦い」の話をしながらならば、朝まで飲む。登場人物の相関図が頭に入っており、どのシーン、どの場面の話でもすぐに対応する。しかも、あまり似ていないモノマネ付である。まあ、2号は子供がいるから「子供アニメ」には強いと思われるが、それでも「知っている」という程度の知識であろう。

私は基本的に「なんでも食べる」ので、「はぶて師匠」と同じく新作映画は観に行くし、もしくはレンタルで観てしまう。その中で「面白かった」と思ったモノは人にも勧める。だから店長は、今「LOST」にハマっているのだが、彼はとくに「アクションもの」などの、いわゆる「見るだけ」の映画は苦手なようだ。現在のようにコンピューターグラフィックを駆使しての「かっちょいい映像」などに興味が無いのだと思う。彼はきっと、そんなのを喜んで観に行く私を、心の底のほうで馬鹿にして笑っているのだ。

だが、しかし。

私は、それでも「観れ!」と言う。

それはいうまでもなく「感性」を磨くためだ。はっきり言って「しょうもないモノ」も多い。借りてきて観たのはよいが、それはもう怒涛のような後悔と、親父の威厳も地に落ちるほどの悪罵を投げかけられながら、それでも私は、今日もどこかにある「名作」を求めてレンタルビデオ店を彷徨うのであった。

「多くの人が観るモノ」には何かある。私の宝物の中には「スターウォーズ」のDVDボックスも含まれるが、アレなんか、毛唐のくせに、どれほどの「師弟関係」を描いているか。「師」(マスター)であるオビ=ワン・ケノービを軽視する弟子(パダワン)である若輩者、アナキン・スカイウォカーが暗黒面に堕ちていくところなんぞ必見であろう。力と技、そして若さで勝る弟子が師に勝てなかった(もしくは、師が負けなかった)理由を考えるだけで、私は次の会議のテーマに事欠かないほどだ。

「7」へ

■2008/05/18 (日) ガチコメ的「ヤッターパンダの話」7

なにもライトセーバーがかっちょいい!とか、ダースベイダー最高!とか思っているわけではないこともない。事実、ダースベイダーの「ボイスマスク」も持っていることも認めよう。こぉ~ほぉ~~・・・こぉ~ほぉ~~・・・

-

ただし、こうも言っておく。

「スターウォーズ」しか観ない奴は、やっぱり阿呆。

それなりの「大作」のストーリーを読み解き、難解なストーリーの面白さを楽しみ、あるいはイマジネーションを膨らませ、その物語の裏側にあるもの、もしくはその意図を探ろうとする過程でこそ「感性」は磨かれる。

だから、単純なストーリーの物語でも楽しめるようになるし、あえて深く読み取ることで違う意味も生まれてくるのだ。そして、その「感性」とは、その人の「人生観」や「仕事観」などの観念形態を築く上で重要な基盤となる。私の「感性」で表現すると「厚み」が出る。

つまり、固定観念丸出しの「薄い(厚みの無い)感性」であれば、子供や部下から「面白くない」と評価されることにもなろう。まあ、それが良いか悪いかはともかく、コレとは別に重要なこと、役に立つこともある。

それは、例えば、

「嘘」がわかる

ということだ。

もちろん、全部が全部ではないだろう。いうまでもなく、それを阻害するのは固定観念であり、思い込みであり、決め付けなどのレッテル貼付である。しかしながら、妙な表現だが「こちら側の感性が優れている場合」においては、その相手の「嘘」は見抜ける。更に言うと「見抜けない嘘」というのは「選択する」形式の嘘であり、どちらかの手に入ったコインを当てるかの如き、「見抜く材料が無い場合」に限定される。

「8」へ

■2008/05/18 (日) ガチコメ的「ヤッターパンダの話」8

相手に会う。話を聞く。質問する。記録する。

いくつかのアクションが可能であれば「感性の劣る」相手の嘘は見抜けることがあるし、その意図も読み取れるから「次の手」が決めやすくなる。

いや、少なくとも騙されない。

-

「感性」が幼稚な者の嘘はすぐバレる。

その目的が見透かされる。
そのチンケな動機は失笑を買い、更なる信用失墜の奈落に落ちる。

http://sankei.jp.msn.com/world/china/080518/chn0805182104011-n1.htm
<日本の緊急援助隊は煙たい? 住民歓迎も軍は「メンツが…」>
http://sankei.jp.msn.com/world/china/080517/chn0805172109020-n1.htm
<中国との意思疎通不足など問題点も 日本の国際緊急援助隊>

だが、我々は更に知っている。

騙されながらも、その使命を全うすることの尊さを。

損をすることを知っていながら、真摯に受け止める意義を。
何の徳にもならぬと知りながら、正しいことを行う意義を。

日本の先人達は教えてくれていた。

「誇り」の孤高を。
「強さ」の意味を。

自分ではなく、他人を救うという価値を。

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200805180390.html
<チベットの影薄まる 「神の助け」と五輪関係者>

そして・・・・・・・憎むべき悪とはなんなのかもな。

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