もう、最近は春に限らんが、車のフロントガラスにべったりと「黄砂」がついているときがある。隣の車は2~3日停めたままだったのか、もっとすごいことになっていた。
不愉快ながらも、ま、仕方がない。これもいずれは「鳩山イニシアチブ」のお陰で、日本の納税者が汗水たらして働いて納める税金から1兆7500億円(12年度までに)も支那共産党に差し上げてなんとかしてくれるのだろう。さすがは友愛である。
黄砂の代表的な発生場所は「タクラマカン砂漠」と「ゴビ砂漠」と「黄土高原」の3か所だ。もちろん、すべて支那が実効支配している。今も昔も支那は世界中に毒を撒き散らせるのが生き甲斐なのだろう。
その被害額は「東アジア全体で7000億円」ほどらしいが、こんなもん信じちゃいけない。これは洗濯ものが汚れたり、交通規制が敷かれたりという経済的損失だが、そこに健康被害などは含まれていない。なんでも銭カネに換算して納得するのも相手をみてからにした方がいい。また、日本よりも支那に近い韓国では、なんとも高齢者の死亡率が2.2%上がるのだそうだ。耳鼻咽喉科や眼科に駆け込む人も急増するらしい。言うまでもなく、この支那から飛んでくる砂はとても有害で、喘息の人やアトピーなどのアレルギー疾患の人は、この砂を吸い込むと症状が悪化する。さらには支那の報道でさえ肺の感染症や心臓の疾病の原因になると報じている。北京当局も「マスク着用を推奨」しているが、電気も水道もない農村やらはもちろん、上海のバラック小屋に住み不衛生な暮らしをする人らからすれば、いまさら「マスク」だけするなど滑稽なだけだ。
また、日本にまで達する砂は細かく、支那や韓国の工業地域を巻き込んで飛散するから、それはそれは有毒物質がてんこもり、小粒になった黄砂は日本人の肺の隅々まで行き届き、眼から耳から、鼻から口から気管支から、しっかりと汚染されるとのことだ。
この黄砂の被害は、もちろん農作物にも及ぶ。黄色い黄砂は濃くなると赤みが増し、視界はより悪くなるが、それは日照を遮ることになって農作物の発育に悪影響ともなる。ビニールハウスなどは砂の影響を顕著に被ることになる。朝日新聞はこれを「黄砂・地球を冷やす」(2005年1月31日・朝日新聞)と書いた。支那の環境汚染は地球温暖化を防ぐ役目を果たしているんだそうだ。もちろん、これはウソばっかりでもなく、いくらかの事実に基づいているらしいから、地球温暖化をどげんかせんといかん!という方は黄色い毒砂も大らかな心と健康な肺臓で受け止めてあげてほしい。ところで「ツバルの海水面上昇」は温暖化のシンボルみたいにされていたが、大きな声で「南極の氷が解けている!」とか言っていた人は、最近見なくなったがどこに行ったのか。おお、寒い。
ま、話は少しだけ変わるが、山梨県の西湖で絶滅したと思われていた「クニマス」という淡水魚が発見されたとのことで、天皇陛下も大変お喜びだ。陛下の口から直接、激励のお言葉と共に「さかなくん」と発せられたことについて、全魚類を代表する「さかなくん」は「感慨無量」との感想を述べていた。
妻:「ためにぃなるねぇ~♪」
この「クニマス」だが、地元の漁師などは「クロマス」だと思って獲っていたらしい。釣り客もボコボコ釣っていたそうだ。知らぬこととはいえ、そのような絶滅危惧種を塩焼きやらフライにして喰っていたとのことだから驚く。
妻:「~ためになったよぉ~♪」
ちょ、ちょっと、マッテくれ。
・・・・・・・。
「さかなくん」と「もう中学生」は別人だ。いいな?
妻:「・・・!!がい~ぃん・・・・ぎょぎょ~~」
ま、いずれにしても「イラストを描くため」に取り寄せた「ヒメマス」の中に紛れていたとのことだから、すごい偶然もあったものだ。これも日本が西湖を埋め立てたり、工場の汚水を流し込んだりしていなかったからだが、これが支那だったらこうはいかない。
例えば、シーシェパードやらコーヴの監督に教えてあげたいが、支那には「ヨウスコウイルカ」というのがいた。長江(揚子江)にいる淡水イルカの固有種だ。このイルカは大昔から長江に住んでいて「愛のない結婚を強いられた女性が長江に身投げして死んだその化身」だという伝説がある。このイルカは紀元前から確認されているらしいが、この伝説は当時のモノだと思う。つまり「漢民族」ではない他民族が長江を管理している時代だ。
「平和の化身」と呼ばれているころもあったそうな。何故「この世に絶望して自殺した女性の化身」が平和を愛するのかはともかく、当時から5000頭ほどのイルカちゃんは揚子江で元気に泳いでいたわけだ。しかし、この数十年で「一頭も見なくなった」とのことだ。
そして、この数十年といえば支那大陸を支配していたのは漢民族だ。漢民族からすれば「伝説?なにそれ?どうやって喰うの?」ということだから、揚子江には工業廃水をドバドバ捨ててカラフル、且つ、ケミカルな色をした泡が流れることになった。しかも、彼らはなんと、それを喰った。肉や皮を獲るために乱獲した。見境がないとはこのことだ。
紀元前3年に5000頭しかいなかった、つってんのに、そんなのお構いなしで競って獲った。ンで、もし、本当にヨウスコウイルカが絶滅しているならば、それは「人類が直接、クジラ種を絶滅させた最初の事例」だそうで、これも支那共産党の誇り高き伝説のひとつに組み込まれることになっている。「クジラのためなら海上保安庁と暴力衝突も辞さず」という日本のクジラ女は「イルカのために」支那共産党人民解放軍にも同じことをしてほしい。ここにも書いたが「イルカ」とは「クジラの小さいモノ」をいう。同じものだ。是非とも揚子江に「ゴジラ」で乗り込んでほしい。「イルカのために死んでもいい」という覚悟を見せてもらいたい。応援する。コーヴの次回作は決まった。支那共産党の許可は得られぬだろうから、日本でやったように盗撮して映画化して欲しい。出来ないなら「ハリハリ鍋」を喰って、ぐれいと!クジラベーコンはオイシイデェス!と言って欲しい。
つまり、だ。
環境破壊やエコを言うなら支那に言え、アメリカに言え。ましてや支那の環境破壊は「50%早い」とイギリスの新聞も書いた。ガーディアン紙のジョナサン・ワッツという記者は7年間を支那で取材して「中国の環境汚染は人々の想像を超えている。ひとことで言えば灰色、としか言いようがない」と述べている。もちろん、日本にも公害問題はあった。ヨーロッパにも、アメリカにもあった。だから支那にもあって当然だという意見がある。支那共産党の言い分そのままである。だが、ちょっとマッテほしい(しゃきーん)。
日本やその他の国が「他国からの援助」で公害問題に取り組んだであろうか。工業の発達とは「環境破壊を抑制する」ことに伴う責任論が問われねばならない。こんな事はとっくに人類は学んでいる。つまり、発展できるんだから、人様に迷惑かけずにするのが当然、という概念だ。無論、技術も買えるし、ノウハウも得ることもできよう。日本が苦労して解決した公害問題を、あとから見て学べるわけだ。それを日本は太っ腹で惜しみなく提供もしている。こんな国は稀である。しかし、だ。
日本という国は技術提供や人材提供だけではなく無償で金まで出すという。ここまでいくと稀ではなく馬鹿なだけだ。日本以外の国に対して荷車を曳いて井戸の水を飲めとはいわない。電気も使うし自動車も走るのは当たり前だ。それを日本にしてやるな、とも言わない。日本民族はそういう民族だ。自分のところを忘れて、余所のところをちゃんとしてしまうお人好し民族だ。それは仕方がない。しかしながら、物事には何でも限度というモノがある。支那の勝手で環境を破壊しまくり、隣国だけではなく、世界中に迷惑をかける環境破壊国家に対して、なぜゆえに日本だけがそのような大金を出し続けねばならないのか。
100歩譲って、それでも感謝されているならマシだ。支那共産党が支那人民に対し「日本に足を向けて寝るな」と教えているならわかる。しかしながら、現実はまるで逆だ。日本からの提供であっても、それを教えず、あまつさえ「オリジナル」だと言ってしまう。日本から多額のODAがあっても人民は知らない。日本人も知らない人が多い。
朝日新聞も「黄砂が地球温暖化を防ぐ!」と無茶をした年、日本の対米貿易額二十兆円に対し、ついに対中貿易額が22兆円となって「日本の最大貿易相手国は中国」だと報じた。しかし、日本の貿易収支はアメリカ相手なら六兆円、支那相手なら一兆円しかないとは口が裂けても報じない。ユニクロなどの企業もバングラディシュに逃げ出しながら「中国は魅力的な市場」だと言い続けている。朝日新聞は「中国株はいかが?」と共産党一党独裁国家の株をお勧めするまでに狂った。士魂商才から最も遠い国である支那相手に商売するなどというリスクには触れず、日本の経済界は、中国は魅力的な市場、将来有望なビジネスステージだと言い続けている。
それほど支那での商売が儲かるなら、どうぞ勝手に、人を誘わず黙ってやっていればいいのだが、欧米諸国のチャイナフリーはもう常識になりつつある。支那産のモノ、とくに「口に入れるモノ」を輸入したがる先進国など、これから増えるはずもない。喜ぶのは北朝鮮のように「人民の餌」なら歓迎する、という失敗国家だけだ。日本の消費者も避け始めている。先日も、つい最近まで中型スーパーで管理職をしていた男性と飲んだが、私が仕入れしていた10年と少し以前からして「支那産の食料品」は激減している。生鮮食品、加工品を問わず、メイドインチャイナは「売れない」時代になった。これが現場の事実だ。
これは支那産のモノ全てに関して言えることだ。最近ではノーベル平和賞や尖閣諸島があった。支那の「やり方」自体が国際社会から「NO」を突き付けられている。無論、日本の尖閣諸島問題で世界に事実を伝えたのは日本政府ではなかった。一色氏がビデオを公開せねば、どれほどの国益が失われていたかと思えばゾッとする話だ。また、現在の日本経済を苦しめるデフレも、価格破壊と称する支那産の安モノが蔓延ったことも大きな要因であろう。また、どんな国でも経済を立て直すには公共事業は外せぬ対策であるも、日本はタイミングも悪く「コンクリートから人へ」にころっとやられた。国がやることは「全て悪いこと」という子供騙しにやられた。町の社長は節税という名の脱税をしながら、役人だけには厳しかった。自堕落な生活をしながら政治家を叩いておればよかった。貧すれば鈍するわけだ。
支那共産党が出来てからは、もう一事が万事、日本にとって良いことなどひとつもなかったのが実際だが、それでも作られた「日中友好」はこの国からいろんなモノを奪い続けた。中には本気で信じている哀れな人もいたが、そういう人に「毒餃子」を言うと、日本だって赤福も吉兆も、ミートホープも不二家もあった、と真顔で言い返すことになった。知らずのうちに支那の擁護者になっていた。単なる産地偽装や賞味期限の張替、表示と違う肉を混ぜたり、残った料理を使いまわしていたことと、子供が死にかけたメタミドホスの毒性についての区別もつかぬほど、なぜだか「日中友好」に入れ込む人もいた。
それでも「知って伝えて、知ってもらう」ということは効果抜群であった。我が妻は何百円か高くとも国産表示のモノを買うようになったが、この2カ月ほどはとくに機嫌が良いから不思議だった。理由はひとつだ。「私の就職がまだ決まらないから」であろう。「不安なとき、大変な時こそ笑う」を体現している。これも「日本とは何か」を知った結果であると確信する。大袈裟ではないのだ。また、倅も進学は決まったが、アルバイトが見つからない。それでも笑って「ダメだったら次に行けばいい」と余裕ぶっこいている。倅は大学生になったら「親の援助を受けない(部屋代・食事代を取られる)」から、本当はかなり焦っているはずだ。来年過ぎても見つからねば、携帯電話も持てなくなるし、自転車で大学まで通うつもりなのだ。それでも「初めてのアルバイト代」が出れば、私と妻を連れて「どこでもなんでも御馳走する」と大見得を切る。「いま、こうやって勉強したり、アルバイトしたりできるのは親のお陰」だと恥ずかしげもなく言う。これはお姉ちゃんの真似だ。
我が家だけではない。長年の友人の私が言うが、本当にどーしようもないツレも「自分が生きているのは英霊のお陰」だと口にするようになってから、そいつは本当に勉強して資格を取ったり、家族に感謝を表現することも忘れないから実に円満に過ごしている。そうなれば、良いことのサイクルが自然と回るから、逃げ出すことが無くなるわけだ。つまり、周囲から一目置かれる存在となる。
最近、電車の中で「地べたに座る」若者を見ただろうか。減っていないか?コンビニの前はどうだ。もちろん、いることはいる。まだ、いる。しかし、減って来ていないか?
戦後のベビーブームに生まれ、安保闘争に明け暮れ、そのまま楽な方に流されただけの「ど左翼」の団塊世代が浮いてきている。「日中友好」どころか、北京には蠅もいない、ソ連には泥棒がいない、平壌には失業者がいない、と言っていた連中はもう、誰も相手にしなくなった。モスクワにある電飾看板が「靴屋」とか「肉屋」となっていることをして、冗談抜きで「平等社会だ!」と言っていた馬鹿をみながら、我々世代は商品にキャッチコピーを付ける仕事をした。朝日新聞も「人民日報」や「朝鮮労働党新聞」のような名前ではなく、あーさひがさんさん、おはよーさーん、と馬鹿みたいなCMを流していた。
NHKも長らく「いわゆる拉致」と言っていた恥ずかしい過去がある。社会党の残党も「拉致は捏造」だと言っていた。最近では田原総一郎が裁判に訴えられ、外務大臣は「まったく違う」と外務省からの情報を否定した。団塊世代が言った「日中友好」も「地上の楽園」も「日米安保打倒」も「平和社会」も「地球市民」も「憲法9条」も「友愛社会」も、全部が全部、今ではもう、馬鹿丸出しだ。すなわち、これらの馬鹿は、南極の氷が解けてツバルが海の中に沈んでしまう!と言っていた馬鹿くらい馬鹿なんだとバレてしまったからだ。
大学が「筑紫哲也を読みなさい」と学生に言えば学生は笑っている。「大江健三郎は素晴らしい」と言えば、学生から「なんで?ねぇ?なんで?」と詰められる時代になった。
予言しておきたい。今後の小中学校の卒業式などで「国歌斉唱」やら「国旗掲揚」は「子供らから求められる」ことになる。親ではなく、本人らからだ。日教組の教師は日本人の子供から「なんで日本の学校なのに国旗がないんですか?国旗を掲揚してください」と言われたとき、慌てふためいて、軍国主義がどうした、日の丸の赤は血の色で、白は骨の色だと言ってみればいい。全員から大爆笑される日が来る。子供らから「んじゃ、せんせ、日本から出て行けば?というか、その前に公務員になるなww」と言われる日は、もうすぐ、そこだ。