紀行文は、旅行中の情景を事実に基づいて記述したものも多いので、旅のガイドブックにもなり、旅行に携行していくと便利です。
東北・北陸なら松尾芭蕉の『奥の細道』、奈良ならば、亀井勝一郎の『大和古寺風物詩』や和辻哲郎の『古寺巡礼』、九州北部ならば与謝野鉄幹他の『五足の靴』といった感じです。
その中で、歌人の若山牧水が1922年(大正11)に長野県から群馬県を旅した時の『みなかみ紀行』というのがあり、現在岩波文庫等からも出版されています。
近年になって、このルートはロマンチック街道と銘打って観光コース化されていますが、当時の風景もそのまま残されている所が多く、沿道にその付近で歌われた若山牧水の歌碑なども立ち並び、なかなか良いコースなのです。
こんなところを旅しながら、ポケットから『みなかみ紀行』の文庫本を取り出し、旅先で読んでみると著者の感動と、自らの体験が重なって、旅情も深まるのではないでしょうか‥‥。
〇{若山牧水}とは?
明治時代後期から昭和時代前期に活躍した歌人で、本名は若山繁といいます。1885年(明治18)8月24日、宮崎県東臼杵郡東郷村(現在の日向市)に生まれ、早稲田大学文学部英文科に学びました。
1905年(明治38)、尾上紫舟を中心に車前草社を結び、1910年(明治43)刊行の第3歌集『別離』によって歌人としての地位を確立、翌年、創作社を結成して主宰しました。
自然主義の代表歌人で、歌集『路上』『くろ土』『山櫻の歌』などが知られています。酒と旅をこよなく愛し、日本中を旅行し、朝鮮半島へも出向いています。
その歌は広く愛誦され、日本各地に歌碑が建てられていますが、『みなかみ紀行』をはじめ紀行文にも定評があり、各地を旅したものが残っています。
晩年は、沼津市の千本松原に居を構えますが、1928年(昭和3)9月17日に43歳の若さで没しました。
<代表的な歌>
「幾山河 越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく」
「白鳥は かなしからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ」
〇『みなかみ紀行』の旅とは?
『みなかみ紀行』は、1922年(大正11)10月14日沼津の自宅を立ち、長野県・群馬県・栃木県を巡って、11月5日に帰着する24日間の長旅の一部を綴ったものです。
若山牧水の紀行文中最長で、利根川の水源を訪ねるという意味で命名されています。この旅のかなりの部分は、若い弟子達と変わる変わる連れ立っての徒歩旅行で、文中にその情景を歌った短歌が散りばめられています。
現在、このルートはロマンチック街道と銘打って観光コース化されています。
☆1922年(大正11)秋の若山牧水の旅
・10月14日
沼津の自宅を立ち東京経由
↓
御代田駅下車後自動車で
↓
岩村田「佐久ホテル」泊
↓
・10月15日
佐久新聞社の短歌会出席
岩村田「佐久ホテル」泊
↓
・10月16日
軽便鉄道で小諸駅へ
↓
小諸懐古園を散策
↓
小諸駅から汽車で沓掛駅へ、
下車後徒歩で
↓
星野温泉泊
↓
・10月17日
軽井沢駅前の蕎麦屋で昼食
↓
草津軽便鉄道で嬬恋駅へ
↓
嬬恋駅前「嬬恋館」泊
↓
・10月18日
自動車で草津温泉へ
↓
草津温泉「一井旅館」泊
夜、湯揉み唄と時間湯を見る
↓
・10月19日
徒歩行の途中急に花敷温泉へ
↓
花敷温泉「関晴館」泊
↓
・10月20日
徒歩で暮坂峠を越える
↓
沢渡温泉「正栄館」昼食
↓
四万温泉「田村旅館」泊
旅館で不快な思いをする
↓
・10月21日
中之条駅から電車で渋川駅へ
↓
渋川駅前の小料理屋で昼食
↓
渋川駅から電車で沼田駅へ
↓
沼田「鳴滝館」泊
↓
・10月22日
徒歩で法師温泉へ
↓
途中、茂左衛門地蔵尊へ参詣
↓
法師温泉「長寿館」泊
↓
・10月23日
徒歩で法師温泉から戻る
↓
笹の湯温泉昼食
↓
身体の疲労を感じて、
湯宿温泉「金田屋」泊
↓
・10月24日
徒歩で沼田へ
↓
沼田「青地屋」泊 夜、歌会
↓
・10月25日
片品川に沿って歩く
↓
老神温泉泊
↓
・10月26日
徒歩で途中吹割の滝を見、
東小川で千明家に立ち寄る
↓
白根温泉泊
↓
・10月27日
徒歩行の途中で大尻沼を見る
↓
丸沼の養鱒場の番小屋泊
↓
・10月28日
徒歩で金精峠を越える
↓以上『みなかみ紀行』
日光湯元温泉「板屋旅館」泊
↓
・10月29日
徒歩で戦場ヶ原越え中禅寺湖へ
↓
中禅寺湖畔「米屋旅館」泊
↓
・10月30日
華厳の滝を見、いろは坂を下る
↓
馬返し駅から電車で日光へ
↓
日光の友人宅に泊
↓
・10日31日
日光東照宮を見物
日光の友人宅に2泊目
↓
・11月1日
宇都宮市へ向かう
人気blogランキングへ→
国内旅行ブログランキング⇒
東北・北陸なら松尾芭蕉の『奥の細道』、奈良ならば、亀井勝一郎の『大和古寺風物詩』や和辻哲郎の『古寺巡礼』、九州北部ならば与謝野鉄幹他の『五足の靴』といった感じです。
その中で、歌人の若山牧水が1922年(大正11)に長野県から群馬県を旅した時の『みなかみ紀行』というのがあり、現在岩波文庫等からも出版されています。
近年になって、このルートはロマンチック街道と銘打って観光コース化されていますが、当時の風景もそのまま残されている所が多く、沿道にその付近で歌われた若山牧水の歌碑なども立ち並び、なかなか良いコースなのです。
こんなところを旅しながら、ポケットから『みなかみ紀行』の文庫本を取り出し、旅先で読んでみると著者の感動と、自らの体験が重なって、旅情も深まるのではないでしょうか‥‥。
〇{若山牧水}とは?
明治時代後期から昭和時代前期に活躍した歌人で、本名は若山繁といいます。1885年(明治18)8月24日、宮崎県東臼杵郡東郷村(現在の日向市)に生まれ、早稲田大学文学部英文科に学びました。
1905年(明治38)、尾上紫舟を中心に車前草社を結び、1910年(明治43)刊行の第3歌集『別離』によって歌人としての地位を確立、翌年、創作社を結成して主宰しました。
自然主義の代表歌人で、歌集『路上』『くろ土』『山櫻の歌』などが知られています。酒と旅をこよなく愛し、日本中を旅行し、朝鮮半島へも出向いています。
その歌は広く愛誦され、日本各地に歌碑が建てられていますが、『みなかみ紀行』をはじめ紀行文にも定評があり、各地を旅したものが残っています。
晩年は、沼津市の千本松原に居を構えますが、1928年(昭和3)9月17日に43歳の若さで没しました。
<代表的な歌>
「幾山河 越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく」
「白鳥は かなしからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ」
〇『みなかみ紀行』の旅とは?
『みなかみ紀行』は、1922年(大正11)10月14日沼津の自宅を立ち、長野県・群馬県・栃木県を巡って、11月5日に帰着する24日間の長旅の一部を綴ったものです。
若山牧水の紀行文中最長で、利根川の水源を訪ねるという意味で命名されています。この旅のかなりの部分は、若い弟子達と変わる変わる連れ立っての徒歩旅行で、文中にその情景を歌った短歌が散りばめられています。
現在、このルートはロマンチック街道と銘打って観光コース化されています。
☆1922年(大正11)秋の若山牧水の旅
・10月14日
沼津の自宅を立ち東京経由
↓
御代田駅下車後自動車で
↓
岩村田「佐久ホテル」泊
↓
・10月15日
佐久新聞社の短歌会出席
岩村田「佐久ホテル」泊
↓
・10月16日
軽便鉄道で小諸駅へ
↓
小諸懐古園を散策
↓
小諸駅から汽車で沓掛駅へ、
下車後徒歩で
↓
星野温泉泊
↓
・10月17日
軽井沢駅前の蕎麦屋で昼食
↓
草津軽便鉄道で嬬恋駅へ
↓
嬬恋駅前「嬬恋館」泊
↓
・10月18日
自動車で草津温泉へ
↓
草津温泉「一井旅館」泊
夜、湯揉み唄と時間湯を見る
↓
・10月19日
徒歩行の途中急に花敷温泉へ
↓
花敷温泉「関晴館」泊
↓
・10月20日
徒歩で暮坂峠を越える
↓
沢渡温泉「正栄館」昼食
↓
四万温泉「田村旅館」泊
旅館で不快な思いをする
↓
・10月21日
中之条駅から電車で渋川駅へ
↓
渋川駅前の小料理屋で昼食
↓
渋川駅から電車で沼田駅へ
↓
沼田「鳴滝館」泊
↓
・10月22日
徒歩で法師温泉へ
↓
途中、茂左衛門地蔵尊へ参詣
↓
法師温泉「長寿館」泊
↓
・10月23日
徒歩で法師温泉から戻る
↓
笹の湯温泉昼食
↓
身体の疲労を感じて、
湯宿温泉「金田屋」泊
↓
・10月24日
徒歩で沼田へ
↓
沼田「青地屋」泊 夜、歌会
↓
・10月25日
片品川に沿って歩く
↓
老神温泉泊
↓
・10月26日
徒歩で途中吹割の滝を見、
東小川で千明家に立ち寄る
↓
白根温泉泊
↓
・10月27日
徒歩行の途中で大尻沼を見る
↓
丸沼の養鱒場の番小屋泊
↓
・10月28日
徒歩で金精峠を越える
↓以上『みなかみ紀行』
日光湯元温泉「板屋旅館」泊
↓
・10月29日
徒歩で戦場ヶ原越え中禅寺湖へ
↓
中禅寺湖畔「米屋旅館」泊
↓
・10月30日
華厳の滝を見、いろは坂を下る
↓
馬返し駅から電車で日光へ
↓
日光の友人宅に泊
↓
・10日31日
日光東照宮を見物
日光の友人宅に2泊目
↓
・11月1日
宇都宮市へ向かう
人気blogランキングへ→
国内旅行ブログランキング⇒
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます