栃木県那須塩原市
■説明板・・・
●烏森神社(からすがもりじんじゃ) 鎮座地 西那須野町三区町635番地
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●由緒沿革
烏森神社の前身、烏ケ森稲荷神社は、平安時代の延喜2年(902)、上石上村(現、大田原市)の農人田守(たもり)という人が、烏ケ森の丘の上に祠(ほこら)を建て、豊受姫命(とようけひめのみこと※神社データベースには 伊邪那岐命の孫姫にあたる神。豊受大神(とようけのおおかみ)とも尊称し、皇太神宮の外宮の御祭神。天照大神のお食事を司る神で、「宇気」は宇迦之御魂命(倉稲魂命)、保食神(うけもちのかみ)、大気津比売命(おおけつひめのみこと)などの「うか」「うけ」「け」などと同じく、食物・稲の霊を意味するもの。倉稲魂命と同一神とする説もある。」とありました。)を祀り、五穀豊穣を祈ったことに始まると伝えられています。
創建以来、那須野ケ原鎮護の神として、このあたりを入会秣場(いりあいまぐさば:共同の草刈り場)として利用した周辺54ケ村の信仰、殊に厚く、祠が守られてきたといわれます。
鎌倉時代初めの建久4年(1193)、将軍源頼朝の那須野巻狩の際、この丘を展望所として、総指揮を執ったと伝えられ、神社の名は関東一円に広まったといわれます。江戸時代から明治の初めにかけては、上石上村の村社として守られてきました。
明治12年(1879)11月14日、後に総理大臣になられる、伊東博文と松形正義が、地元開墾発起人の印南丈作、矢板武等の熱意ある要請に応え、烏ケ森上から那須野ケ原を視察、開拓事業の協力を約し、その成功を祈願したといわれます。
明治14年(1881)8月6日、明治天皇の御名代として、有栖川熾仁(たるひと)親王殿下が神社にご参拝、那須開墾社の印南、矢板等の開拓の労を賞せられ、松を御手植えになられました。
明治15年(1885)2月、那須開墾社は肇耕社(ちょうこうしゃ※三島農場)の三島通庸(みちつね)にも呼びかけ、上石上村と共に浄財を募り、社殿建築に着手しました。
明治18年(1888)、社殿竣工、4月5日、開拓者の氏神として、栃木県知事樺山資雄外、来賓多数参列のもと遷宮式(御神体を移す式)を盛大に執り行い、烏ケ森稲荷神社は「烏森神社」となりました。同時に神社を中心に松と桜を奉納植樹し、公園化が図られました。
明治27年(1894)5月6日、松形正義、佐々木高行両伯爵、佐藤暢知事等の臨席を得て、開拓者500余名参列のもとに、那須開墾社の開墾成業式が神前で盛大に行われ、開拓事業の成功を神社に奉告しました。以来、烏森神社は「開拓のおやしろ」として崇敬され、現在に至っております。
平成11年(1999)9月吉日
烏森神社社務所
栃木県那須塩原市
市営乃木駐車場 =乃木公園周辺の案内=
●乃木公園(のぎこうえん)3.7ヘクタール
明治の元勲(げんくん)乃木希典(のぎまれすけ)陸軍大将ゆかりの地で、木立がうっそうと繁り、池や小川に野鳥のさえずりが聞こえ、バードウォッチングを楽しむ施設などがあります。また、公園に接して希典、静子夫妻が晩年、田園生活を楽しんだ乃木別邸、及び夫妻を祭神とした乃木神社があります。
乃木公園と国道400号を結ぶ桜並木の両側に芦野石を敷石した歩道で、花見や散策が楽しめます。
西那須野駅東口から黒羽に至る12.8キロメートルを運行していた東野(とうや)鉄道(大正4年4月17日~昭和43年12月15日)跡地のうち大田原市までを、歩行者・自転車専用道として整備し、ジョキング及びサイクリングなどを楽しむことができます。
那須塩原市
■乃木神社由緒
御祭神 乃木希典命
配 神 乃木静子命
乃木将軍は、明治23年に伯父吉田清皎(きよあき)氏の農園を譲り受け、翌年那須野石林に別邸を建設されました。軍人ではありましたが、休職の間はここに来て農業に従事し、「農は国の大本なり」と農の範を示されました。明治天皇様が御崩御なされ、大正元年9月13日の御大葬にご参列の夜、東京赤坂の御本邸においてご夫妻は殉死されました。
その悲しみの報に接し、地元住民の方々が寄付を募り、那須の乃木神社が創建され、大正5年4月13日に御鎮座となりました。別邸は、遺言により実弟の大舘集作氏の所有となりましたが、やがて御遺跡全部が県下諸学校の浄財寄付により、乃木神社に奉献されました。
以来、ご命日の9月13日を例大祭として祭礼を執り行い、崇敬者の方々と世界の平穏をお祈り致しております。
御鎮座祭 4月13日
例大祭 9月13日
乃木神社は、乃木将軍として今でも親しまれている乃木希典を祭神とする神社です。
杉木立におおわれた境内には、社殿(本殿・拝殿)のほか宝物館があり、将軍ゆかりの品々が保存されています。
境内の東には、乃木希典が明治時代に四度の休職中、晴耕雨読の生活を楽しんだ乃木別邸があり、今も静沼の水面に影を映しています。
大正元年(1912)9月13日、明治天皇大葬の日に乃木将軍夫妻が殉死されると、人々に大きな衝撃を与えました。別邸があり、将軍ゆかりの深かった狩野村(現西那須野町→那須塩原市)石林や那須地区の人々は、将軍夫妻の殉死を深く悲しみ、有志者によって将軍を祀る神社の建立が提案されました。
大正3年(1914)8月、神社創立の儀が出願され、県内外からの寄付によって、大正5年(1916)3月6日に社殿が竣工しました。
4月12日に鎮魂祭が、そして翌13日に鎮座祭が執りおこなわれ、乃木神社が創建されました。その後も、乃木将軍は「軍神」として、また「土徳勧農の神」として人々の敬慕を受けました。
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