約150年前の巳待塔と勝善神
■岩原の巳待塔と勝善神
この塔は月待信仰で巳待講中が、江戸時代岩原村から宇都宮に通じる通称「宮街道」沿いに、岩原石を利用して弘化2年(1845)乙巳(きのとみ)11月吉日に建立されたものである。
巳待講とは月の乙巳(15日)の日に行われる弁財天の祭りで、土地豊穣の農神として崇め行われた行事である。
岩原の西側には豆田川と姿川が流れ、東側には鎧川が流れている。それぞれの河川を守るため、西には弁財天を主祭神とする岩原神社が守り、この巳待塔は東の鎧川を守る役割があったものと思われる。
・寸法高さ 153cm 幅 41cm 奥行29cm
(この塔は宇都宮市内随一の大きさを誇るものである。
同所右隣には農耕の神・家畜全般の神、さらには岩原石を宇都宮まで運ぶため、交通・運送の安全を祈願して、明治元年(1868)建立された馬供養碑「勝善神」がある。
・寸法 高さ 178cm 幅 69cm
※勝善神・・・そうぜん・・・馬の保護神で、勝善、正善、宗善、総善などいろいろにいわれ書かれている。