那須烏山市(旧南那須町)鴻野山
文化庁Hp説明文には・・・
8から10世紀の下野国芳賀郡衙(はがぐんが)の付属施設、ないし新田駅家(にいたのうまや)に比定される官衙遺跡、これと併存する東山道跡、およびこれと交差する古代の道路跡からなる。いずれも良く残り、構造や変遷が明らかとなった。古代国家の交通体系や地方支配体制を示すものとして重要。・・・
※この長者ヶ平を最初に見学に行ったのは25.5.10「下野三十三観音札所としもつけの民話四十八 下野新聞社 平成10年」」の本に掲載されている「長者ヶ平」のタイトルに惹かれ、どんなところだろうと思ったから。
以前は畑の中に説明板があったが、今回見た限りにおいては、国指定史跡の表示板しか見えなかった。
※ここに900年前伝説があるとのことなので見に行った。一面は水田。遠くに小さく説明板のようなものが見える。
奥州征伐に行った源頼義・義家が征伐を終え再度、長者の家に泊まり長者の屋敷を焼き討ちにした話。
この当時の武将は立場が変わると抵抗勢力になるような地方の有力な長者(支配者)をおそれたのだろう。
長者ケ平は昔の役所跡らしい。