■みぶ わが町の史跡を訪ねて 500円
壬生町立歴史民俗資料館編集
壬生町教育委員会発行・・・・には
■朝比奈三郎の墓とかかわる言い伝えが残る塚です。
「あかね」という娘は、朝比奈三郎とともに落ちのびた三郎の家来熊野五郎を慕い、尼となりその行方をさがしましたが、ついに北小林の地で病にかかりたおれてしまいました。しかし、偶然にも五郎が通りかかり助け起こしましたが、彼の腕の中で息をひきとりました。五郎も悲しみのため後を追うように自らの命をたちました。
里人たちは、これを憐れみ二人の墓をつくったといわれています。
尼恋塚は、水不足のときこの塚に祈ると雨が降るといわれることから雨乞塚とも呼ばれています。
たんぼの中にある高い木が尼恋塚、低いほうが熊野塚。たぶん。
●五町文化財マップには
この五輪塔は、上田朝比奈の小高い丘の上に建てられています。朝比奈の五輪塔は、上田の五輪塔とともに鎌倉から室町期にかけて造られたもので、壬生町内に残る五輪塔では最大のものです。総高260cm。傍らには、火輪、水輪の部分を残す、もう一基の五輪塔があります。また、本五輪塔には、朝比奈三郎の伝説が語り継がれています。
●冊子「わが町の史跡を訪ねて」には
朝比奈三郎の墓
鎌倉幕府の重臣和田義盛は、北条氏の横暴に憤り挙兵しましたが戦いに敗れ討死しました。しかし、義盛の子、三男朝比奈三郎義秀は運良く犬飼の小林の地に落ちのびることができ、追手の目をくらませるために、自分の墓にみせかけ二基の五輪塔を造立しました。その後、義秀はいずことなく去って行ったと言われています。現在、五輪塔は壬生町指定有形文化財となっています。高さ260cm。
朝比奈三郎は1200年頃の武将
鎌倉時代ですね。
19.10.5に撮ったもの。
栃木県壬生町