平和とくらし  #茨木市議会議員 #山下けいきの日々是好日

平和憲法が私の原点。鹿児島の吹上浜、桜島が原風景。毎週阪急3駅、JR2駅の5駅をのぼりを背負ってアピールランしています。

高校一年の原稿が出てきました

2006年08月28日 | 日々雑感 #茨木市議会議員
片づけをしていたら、「加世田」という高校時代の文集が出てきた。卒業生の一言があり、「高校生活に思う」というテーマで各学年から5名の原稿がある。私は「新しい社会を」と題して書いているのだが、文章は今と変わらず生硬で稚拙なのだが、考えは今も変わっていないなと思わず苦笑してしまう。受験優先の片田舎の高校にあって、私の文を載せるか載せないかで職員会議がもめたと、後に二年の担任になった白尾先生が教えてくれた。都会の大学や職場では70年安保を前に闘いが高揚している時代だったが、保守的な鹿児島の中でも更に保守的な加世田では何も考えさせない雰囲気が高校を支配し私は反発していた。高石友也コンサートの入口で入場させなかった教員を「彼ら」と言ったら「先生を彼らとは何事か」と説教され、職員室の廊下で正座させられたこともあった。

新しい社会を 一年 山下慶喜

 高校にはいってまず気づいたのは、生徒手帳はまちがっているのではないかということだった。人格の完成をめざして、知育、徳育、体育の調和をはかる。しかし、そうとは思われない。補習、毎日のように行なわれるテスト、特別学級の設置、科目の一方的変更、これらは知育にかたよりすぎている。

 このような現状をみて、私たちは「高校は予備校ではない」と反発する。これに学校側は次のように答える。「あなた方の大部分が大学進学を希望している。そのためにはこのようなことをしなければ、あなた方の希望をかなえさせることはできないのだ。大学進学はたやすいものではない。そのためには高校では勉強だけでいいと。その他のことは大学に入ってからせよ」と、我々は反論する。我々が大学進学を希望しているのは亭実である。でもそれだけをするために、入学してきたのではない。我々は何でもやりたいのだ。それは高校でしかできないのだ。それを大学でやれとは。

「合格」の二字のためのテクニックを習得するだけでいいのだろうか。現状が好ましくないと思ったら、それを改革するべきだと思う。勉強の他には見向きもしないで、なんのために大学へ進学するのだろうか。中卒者、高卒者のような低賃金で苦労するのは、いやだから大学へ行く」というが過半数の本当の気持ちではないだろうか。楽をするために進学するのは、なんとなく気がとがめるので、なにかと理屈をつけるように思われる。そして、彼らはパチンコの玉のようにふりむくこともなく、定められた道をすすむ。つまり○○大学卒というレッテルで、その人の社会においての価値が決定される。

 彼らを迎え入れる社会は、汚れているところが多すぎる。そうなったのは、為政者の国民不在の政治による。ある国民不在の例をあげよう。アメリカから購入しょうとしているFX機とガン対策費をくらべればわかる。五分間に一人の割合でガンによって死んでいく。どちらの予算をふやすことが、国民の安全を守ることになるのだろうか。しかし、彼らだけをせめていいものだろうか。彼らを選んだ国民の眼を疑うべきだと思う。このような社会に対して高校生が政治に関心を持つのは当然である。高校生は勉強さえすればよかったよき時代は過ぎた。

 我々はまだ社会を見る眼がないと大人はいう。我々もいおう。あなたたちはそれがあるのかと。君達は高校時代をなんとなく過ごしてはならない。何でもいい、何かをつかんで卒業するべきだ。とある人がいった。全くだと思った。

我々は正しい野党精神をもち、新しい社会の建設に尽さなげればならない。

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