安威川河川敷100コースで開かれた記録会。
【今日のメモ】ほんとに久しぶりの安威川ラン。起き立てということもあってか身体が重たい。大池2丁目のSさんや市職員の方など顔見知りの皆さんと挨拶を交わし、またランナーのNさんとは継続している相談の経過をお聞きしたりで中身の濃い約8キロのランになりました。ラン後は集団登校の見守り。どんよりと曇り少しパラパラの雨も。子どもたちはいつものように元気に登校していました。今日は資料整理など、今後に備えました。
私が尊敬し、RUNNERS9の会の会員でもある藤井さんが京都地裁の傍聴に行かれました。その裁判の被告になっているのが門川大作京都市長。その傍聴記と新聞記事をご自身のブログで紹介されています。
以下、藤井さんのブログより
1986年1月、京都市中の小中学校の卒業式案に突然日の丸・君が代が入ってきた。確か当時京都市の小中学校は250校ほどだったと思うが、すべての校長さんが遠隔操作をされているロボットのように同じ言葉をしゃべり出したのだ。「私はずっと前から卒業式での日の丸・君が代は必要だと思っていました。市教委からの指導もありましたが、私自身の判断で卒業式に国旗・国歌(日の丸・君が代)を入れます」などなど。
これが私の人生における最大の謎。そして、私の人生における最大の恐怖。
校長さんにも一人一人個性があるはずなのに、ある日突然一斉にロボット化してしまっていた。こんな不思議でなおかつこわいことはない。結局、私はこの恐怖から逃れたくて(と言うより、自分の信念よりも自分の生活を守るほうを優先する「教師の成れの果て」のような姿を見てしまって)その数年後に教職を離れてしまった。そしてこのときの謎と恐怖は、25年近くたった今も残ったままである。
当時この問題で大活躍されていたのが高石文部次官。彼は学習指導要領に国旗国歌の指導項目を入れた実績を手土産に、自民党の衆議院選候補となるはずであった。しかし、リクルートから賄賂をもらったことが発覚、逮捕起訴され失脚。
その時私は、政治家をめざす者は何か目に見える実績を手土産に自分を売り込むものなのかと思った。
京都の教育「改革」を語るとき、ここ10年ほどの変化だけを見ていても分からない。私は、1986年に京都市中の小中学校の校長さんを震え上がらせ、卒業式での日の丸・君が代を強行させた人物が大きなキーワードになっていると思う。
それがいったい誰であるかは分からない。当時の校長さんたちがその間の事情を正直に話してくださるとも思えない。でも、私は・・・。(これ以上書くと、名誉毀損で訴えられる可能性があります。)
私が一番見たかったのは、門川大作氏の表情である。
140万人の京都市の長にまで上りつめた人が、損害賠償請求裁判の被告側証人として尋問されるとき、どう対処されるのか。それが見たかった。
私が門川氏に直接お会いしたのは、私が京都市のへき地の小学校教師をしていた30年前。その時、組合対策の先頭に立っていたのが門川氏であった。その堂々たる姿は、「ああいえばこういう」タイプの人間というのがぴったりの人だった。
ところがこの日の門川氏はまるで元気がなく、私が長年持ち続けていたイメージとはかけ離れていた。「記憶にございません」「知りません」の連発は、いつか見た国会証人喚問とそっくりだった。
詳しくはパオパオだよりの11月12日(金)~10日(水) をご覧ください。
金欲も含めて出世とか権力を志向する御仁が尽きることはありません。しかしそれが何ぼのもんじゃい、人間ちょぼちょぼやないか、みんな年をとり、身体も動かんようになる、死んだらおしまいやと思う私は、そのために時間を費やしたいととは思いません。私欲のために世の中を悪くしてはいけません。
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鹿児島の表情をリアルタイムで伝えるホームページ・今日の桜島です。桜島、錦江湾、天文館、知覧などご覧になれます。時々ご覧いただければありがたいです。
【今日のメモ】ほんとに久しぶりの安威川ラン。起き立てということもあってか身体が重たい。大池2丁目のSさんや市職員の方など顔見知りの皆さんと挨拶を交わし、またランナーのNさんとは継続している相談の経過をお聞きしたりで中身の濃い約8キロのランになりました。ラン後は集団登校の見守り。どんよりと曇り少しパラパラの雨も。子どもたちはいつものように元気に登校していました。今日は資料整理など、今後に備えました。
私が尊敬し、RUNNERS9の会の会員でもある藤井さんが京都地裁の傍聴に行かれました。その裁判の被告になっているのが門川大作京都市長。その傍聴記と新聞記事をご自身のブログで紹介されています。
以下、藤井さんのブログより
1986年1月、京都市中の小中学校の卒業式案に突然日の丸・君が代が入ってきた。確か当時京都市の小中学校は250校ほどだったと思うが、すべての校長さんが遠隔操作をされているロボットのように同じ言葉をしゃべり出したのだ。「私はずっと前から卒業式での日の丸・君が代は必要だと思っていました。市教委からの指導もありましたが、私自身の判断で卒業式に国旗・国歌(日の丸・君が代)を入れます」などなど。
これが私の人生における最大の謎。そして、私の人生における最大の恐怖。
校長さんにも一人一人個性があるはずなのに、ある日突然一斉にロボット化してしまっていた。こんな不思議でなおかつこわいことはない。結局、私はこの恐怖から逃れたくて(と言うより、自分の信念よりも自分の生活を守るほうを優先する「教師の成れの果て」のような姿を見てしまって)その数年後に教職を離れてしまった。そしてこのときの謎と恐怖は、25年近くたった今も残ったままである。
当時この問題で大活躍されていたのが高石文部次官。彼は学習指導要領に国旗国歌の指導項目を入れた実績を手土産に、自民党の衆議院選候補となるはずであった。しかし、リクルートから賄賂をもらったことが発覚、逮捕起訴され失脚。
その時私は、政治家をめざす者は何か目に見える実績を手土産に自分を売り込むものなのかと思った。
京都の教育「改革」を語るとき、ここ10年ほどの変化だけを見ていても分からない。私は、1986年に京都市中の小中学校の校長さんを震え上がらせ、卒業式での日の丸・君が代を強行させた人物が大きなキーワードになっていると思う。
それがいったい誰であるかは分からない。当時の校長さんたちがその間の事情を正直に話してくださるとも思えない。でも、私は・・・。(これ以上書くと、名誉毀損で訴えられる可能性があります。)
私が一番見たかったのは、門川大作氏の表情である。
140万人の京都市の長にまで上りつめた人が、損害賠償請求裁判の被告側証人として尋問されるとき、どう対処されるのか。それが見たかった。
私が門川氏に直接お会いしたのは、私が京都市のへき地の小学校教師をしていた30年前。その時、組合対策の先頭に立っていたのが門川氏であった。その堂々たる姿は、「ああいえばこういう」タイプの人間というのがぴったりの人だった。
ところがこの日の門川氏はまるで元気がなく、私が長年持ち続けていたイメージとはかけ離れていた。「記憶にございません」「知りません」の連発は、いつか見た国会証人喚問とそっくりだった。
詳しくはパオパオだよりの11月12日(金)~10日(水) をご覧ください。
金欲も含めて出世とか権力を志向する御仁が尽きることはありません。しかしそれが何ぼのもんじゃい、人間ちょぼちょぼやないか、みんな年をとり、身体も動かんようになる、死んだらおしまいやと思う私は、そのために時間を費やしたいととは思いません。私欲のために世の中を悪くしてはいけません。
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