ローズマリー(ヨーダ改め)

人形制作、大自然の恵みを頂いての手作り、日々の暮らしなど発信していきたいと思います。

アレッ?黙秘モード?

2022-12-06 | 実母の事

一昨日の日曜日、母が来ました。

認知症が進んだ母を看る日でした。

母は弟を溺愛していて、父の死後は遺産の全部を

弟に相続させました。

私は相続手続きががすべて終わった後、母から聞かされました。

母は私に実印を作ってあげたから持ってきた。

と 木製の実印をくれました。

(後でわかったことですが、この時母は弟には上質な象牙で実印を作っていました。)

帰り際に『実印登録も済んでるから・・・全部○○(弟)の名義にしたから・・・』

と言いました。

『何のこと?』

と聞くと

父の遺産は、母の幼馴染の司法書士のSさんに依頼して全部弟名義にした。

ヨーダの相続放棄の書類をSさんが作ってくくれるとき、実印がいるので作ったから。

と言うことでした。

後でそのことを母から聞かされた父方の伯父たちの話では

○○(ヨーダの父)は難病のお前をいつも心配して

ヨーダが田舎に帰りたくなった時は、小さな家でも建ててやらんといかん。

宅地用とヨーダが作れるくらいの小さな自家菜園用の畑と

ヨーダが入る墓用にヨーダの好きな場所をあてがってやりたい。

と伯父たちに会うたびに言ってくれてたようです。

伯父たちは『お前は本当にそれでええのか?』

と心配してくれました。

 

その頃の私は、自分に遠い未来があるとは思ってもいませんでしたし

母と弟が望むならそれでいいと思いました。

 

母は弟が結婚してからは老後は世話をかけるからと

弟夫婦をいつも特別扱いしていましたが

伯父たちが母に話してくれたこともあって

弟が相続した動産不動産で利益が生じた時には、経費を差し引いた後の金額を

母、弟、ヨーダで3等分するということになりました。

が、高額の利益が生じた時もすべて弟が手にしました。

母は老後の世話をかけるから・・・・と言うばかりでした。

母が全部弟のものにしたいならそれでいいとヨーダは思いました。

弟は『姉貴の分を持って行かんといかん。』と言いながら

半年たっても、一年たっても持って来ないので

私の取り分は、母のものとして

母の老後の役に立ててもらうことにしました。

そんな事情から母の老後のことは、弟夫婦も納得していると思っていました。

 

母の認知症が進んできた一年前に弟から

『お姉もチョットは婆さんの面倒見てくれえ!』と

いきなり、かなり強く言われた時は(この時弟夫婦は喧嘩してたみたいですが・・)

ちょっとびっくりしました。

 

そんな訳で私も母との時間を過ごすことが出来るようになりました。

それまでは母に会いに行っても、いつも弟嫁の機嫌が悪いので長居もできませんでした。

親戚達からは、あの嫁さんはプライドが高くてなかなか難しいから

お母さんのことではヨーダは手出しも口出しもせんほうがええ

と言われていました。

昔から小姑鬼千匹と言いますが、『夫の姉は目の上のたん瘤』と言い切る知人もいます。(笑)

 

弟嫁は介護関係の仕事で、母の世話もプロの考えで手配しやってくれています。

有難いことです。

 

前置きが長くなりましたが

そんな訳で母と過ごせる時間が増えました。

弟は母は朝食に一時間以上かかるから(うちでは25分くらいです。)

朝食も姉貴に頼むと言って

いつもは朝5:30頃、母を連れてくるのですが

寒波が来て寒そうだったので、今回は朝食を済ませ8時ごろに来てもらいました。

母によく来てくれたね、と言うと少し笑顔がでます。

うちに来ると母は自由に過ごします。

疲れたので寝ると言って、入るなり横になってお昼近くまで寝ました。

途中1回トイレに起こし、寒くないように気を付けました。

母は毎日デイケアに通っていて、ショートスティの日もあるようです。

母は猫かぶり的な所があるので外ではすごくいい顔をします。

毎日の通所はどんなにか疲れることでしょう。

正気の時には

毎日毎日行くのも疲れる、一日中家でゆっくりしたい。

と言ったりもします。

 

昼食は、家族が母の好きなブリを買ってきてくれ

凄く新鮮で、母もブリが美味しいとたくさん食べました。

気分が良かったのか他のおかず沢山食べました。

 

昼食前にトイレに誘ったのですが

今は行きたくないと言うので食後に連れて行ったら

大、小、両方らしていました。

シャワーで綺麗にしてあげたので

母は気持ちよくなったと言ってくれましたが

4~5年前までシャンとしていたた母を思い出すと

何だか哀れで涙がでそうになりました。

 

弟夫婦は、母は何も覚えてないし何もわからん。

と言います。

意識は不安定になっても魂ではわかっているはず。

最後まであきらめずに母が気持ちよく過ごせる

環境、食事、言葉で寄り添いたいと思います。

 

一つ困っているのは

いつ母が黙秘モードに入るのかわからないことです。

母が元気な時は、自分の家では用事以外は

ほとんど話をしないようでした。

 

母、弟、弟嫁の3人でいる時

弟と弟嫁が話している話題に母が加わると、弟嫁は途端にしゃべらなくなるそうで

嫁姑のゴタゴタが起きないようにうちではほとんど話しをしない。

○○(弟)は嫁姑の間に入って仲裁はようせんから

悩ましたら可哀想だから。

と母は言っていました。

 

 

その反動か、リラックスしてるのか

うちではよくしゃべって、よく笑って、いつでも自由にしていました。

認知症が進むまでは 

自宅黙秘モードと

ヨーダの家自由モードを

上手に切り替えていたようです。

ところが、最近うちにいる時も

黙秘モードと思われるような反応の時が時々あるのです。

よくよく気を付けて母の様子を見ていると

時々ごちゃごちゃになっているようですが

 

『おばあちゃん』と呼んだら 黙秘モード?

『お母さん』と呼んだら 自由モードかな?

 

『ブリ美味しかった?』『おやつはなにがいい?』『紅葉した楓が綺麗やけど見に行く?』

のような話しかけには 自由モード

 

嫁には 黙秘モード

娘には自由モード

と上手く切り替えていたのではないかと思います。

 

 

認知症になる前の母、祖母が良くお参りに行った龍王宮に弟たちと参拝の時の母

足腰丈夫でしたが骨粗鬆症なので参道の長い階段で転ばないよう

念のために杖を持たされています。

 

 

母はお洒落で、年をとってもいつも身ぎれいにしていました。

いつまでも老け込まないでほしいから

私は母のことを『おばあちゃん』とは呼ばずに

いつも『お母さん』と呼んでいたのに

弟たちにつられて最近は『おばあちゃん』と呼んだりしていました。

記憶が薄れ、記憶を取りだしてくるのが難しくなっている母を

余計に混乱させてしまったかもしれません。

 

それに気が付いてからは

『おばあちゃん』と呼ばないよう気を付けています。

 

 

私のブログを読んで下さっている方は

母には小さい時から弟と差別され、粗末に扱われ、邪険にされ

虐待に近い扱いを受けたのに

どうして母に穏やかでいられるのか

不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。

 

ヨーダは幼い時から祖母に色々なことを学びました。

祖母は幼い私に

人には生まれ性、生まれあわせと言うものがあって

ヨーダはおそらく、あかの他人さまから頂くものが多くて

親からのもらいは少ないかもしれないよ

と言うような話を繰り返し聞かせてくれたことが

今でも強く心に残っています。

 

祖母と父から有り余るほどの愛情を受けたせいか

母に冷たくされても

ヨーダはこれもヨーダの生まれあわせと感じ

負の感情を抱くことは有りませんでした。

幼い頃は寂しく思ったことは有ります。

ヨーダが難病になって母もつらかったと思います。

 

 

祖母が言ったように、ヨーダは血縁でも親戚でもない方々に

助けて頂いたり、親切にして頂いたことが、数えきれないほどあります。

感謝の気持ちは持っていても

元気になるまで何のお返しもできませんでした。

今は手の届かないところに旅立たれた方も・・・

ヨーダがみんなから頂いた愛を

この世に居られるうちに少しでもどこかにお返ししたいのです。

母の人生の最後の時期も、全力で支えてあげたいのです。

そんな機会をくれた弟夫婦に感謝しています。

 

今日はだらだらと思いつくままに書いてしまいました。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

 

 

 

 

 



最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (kikokikonoriko19888888)
2022-12-07 04:29:22
日本は男尊女卑の国という、、継承権は男子ですよね。
心の歴史はひっくり返せないですよね。日本の母ちゃんは
男の子の、、母親ですよね。法律なんかは無関係ですよね。

平等を考えていると、「虐めの域」だから、
人間の老いる姿の実技取得講習料が無料で、
「人間」を学ぶという、、
「未来の自分が そうならない様にする」ことで、
、思いやりや、癒しの心に気が付きます。
、寄り添う心の強制取得実地取得。
呆けない、依存しない、ぴんぴんころりを目的にして、
「天知る,、、地知る、、、我知る」
寿命ゴールへの、トレーニングだと心得れば


生き残りをかけて自分だけを助けるという時代だから、、、
生きて行く為の「手をもらう」と言った嫁入りでした。

生きる為の手段が結婚というような時代でしたから。

「女、、3界に家なし」、、かしらね?!
オカシイ人は
相手も時代の被害者なんですよ、、、きっと!!、
考えていたら、、、バカを見ますよ
(^^!生きている今を、一つでも気持ちの晴れる発見をして、自分の心の中に、
自分専用の誰も入れない部屋を持たないと、、
他人の事で人生終わってしまいますよね。
日本緒女性は、、、時間を貢、、金銭も貢、、労働力も
         貢いで貢いで、、子供を育てて、心も貢。
だから、、こんな小さな島国が、、戦争で敗戦しても
  植民地にならずに済んだのかもしれませんよ。
実は、、日本は、、「女の忍耐の土台」が有るから、、、
何とかなっているのではないでしょうかね?、
返信する
Unknown (ginrei0556)
2022-12-07 13:44:21
kikokikonoriko19888888 さんへ

コメントありがとうございました。

母も昔の日本の母ちゃんです。
自分の家のことに国家の法律なんか関係ないという考えです。

kikokikonoriko19888888 さんが書いてくださったように母の姿に否応なく老いと言うものを認識させられます。

願わくば廻りに世話をかける前に
ピンピンコロリで潔くこの体から離れたいです。

私は長い間、難病を抱え最低限必要なもの以外はそぎ落として戦士のように生きてきたように思います。

母が○○(弟)にはヨーダのようになってほしかった。と言ったことがありましたが、いばらの道を歩き続けるような人生を生きていくには弟の心は脆すぎて壊れてしまうと思います。
弟の心の脆さも母の過保護、過干渉の影響大だと思います。


難病と母のおかげかヨーダは鉄より強い鋼の女と言われるようになりました。
全く以って喜ばしからぬ言われ方ですがこれも自分の生きてきた道と受け止めています。

その時は、つらい思いをしたり損得で言えば損をしたり、勝ち負けでいえば敗者であったりしますが、まっすぐに生きていればそれらは全て心の糧になっていると思います。

自分を愛せない人は誰も愛せないと思います。

難しい環境の中で成長し、長い間難病を抱えて生きてきて
健康で当たり前な日常を手にした今
これからは惟神で生きていきたいと思います(特定の宗教とは関係なく)。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。