そのⅡ 六欲天の魔王
思へばこの世は常の住み家にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり
六欲天の魔王と怖れられている織田信長が幸若・敦盛を謡い、舞ってい
る。
鼓を打っているのは正妻濃姫である。
家来衆が広間に控え、信長の敦盛を固唾をのんで見詰めていた。
その中に、悪魔が変身した明智光秀と明智光晴となった弟がいた。
二人は、光秀の現世で従妹となっている濃姫の斡旋で、足利将軍家の家来か
ら織田信長の家臣となった。
信長は情に流されることは決してない。光秀の中に得がたい才能を見付けた
から家臣団に加えたのだ。光秀はいきなり重臣に引き立てられた。
「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」
信長が床を打ち付けながら敦盛を謡い、踊った。
二人の小姓が立ち上がり、扇子を翳して、信長の後に続いた。
「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」
「一度生を享け、滅せぬもののあるべきか、これを菩提の種と思ひ定めざらん
は、口惜しかりき次第ぞ」
今度は三人で声を合わせて唱和した。
家臣一同、信長の舞を睨むようにして見詰めている。信長の家臣は僅かで
も油断、緩みを見せる分けにはいかないのだ。
そして、このように上機嫌で敦盛を舞った後は、決まって軍令が発せられる
のだ。
舞を終えた信長が、筆頭家老柴田勝家の前に立ち止まった。
「勝家、美濃攻めを急げ、猿の他は己に任せる」
今度は信長、光秀に振り返った。
「光秀、将軍を尾張にお迎えするように。この信長の天下布武はお前の働き
に掛かっているぞ」
「ハハーッ」と、畏まる光秀。
光晴は信長を穴の開くほど見詰めていた。「光秀様が仰るように、この男
が、私の代わりに世の中に復讐してくれるのだろうか?」
光晴は今、光秀と共に将軍のいる越前へと急いでいた。
「信長は六欲天の魔王である。六欲とは地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上
の欲望で、これを尽くせば、あらゆる障害を打ち砕くことが出来る」
「私は、光秀様の元で軍学、軍略、刀槍術を十年以上学んでまいりました。信
長などの手を借りなくとも、光秀様が、手を貸して下されば世の中に復讐出来
ると思います」
「芳次郎、いや光晴、悪魔が自らの手で、人や人の世に災いを成すことは禁じ
られておる。悪魔は人の心に住み着いて、虜にした人を自在に操って、人を殺
めたり、戦乱を起こさせるのじゃ」
その頃、兄の芳一は下関の阿弥陀寺にいた。
「祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり」
瞑想しながら、静かに琵琶を弾きながら、芳一は平家物語を謡いだした。
講堂には、名高き琵琶法師の平家語りを聴くために集まった人々で埋め尽く
されていた。
「沙羅雙樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」
芳一が眼を開いた。が、何も見えなかった、菩薩のとの盟約で視力を失って
いてたのだ。
突然、芳一の琵琶が激情のままに、荒々しくかき鳴らされた。
「驕れる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し。猛き者もつひには滅びぬ」
また、琵琶が凪のそよ風の如くに静まった。
暫く静かに琵琶を奏でる。その哀調は聴く者皆涙なしには聴けなかった。
さらに、芳一の琵琶が悲しくも静かに堂内を漂った。
「偏に風の前の塵に同じ」
外は夕闇が迫っていた。
阿弥陀寺の崖下の浜辺に蟹が群れをなしていた。
皆、顔を顰めて泣いていた。
蟹たちは、芳一が平家物語を語るときは、このように浜辺に集うて来るの
である。
2017年2月1日 Gorou
思へばこの世は常の住み家にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり
六欲天の魔王と怖れられている織田信長が幸若・敦盛を謡い、舞ってい
る。
鼓を打っているのは正妻濃姫である。
家来衆が広間に控え、信長の敦盛を固唾をのんで見詰めていた。
その中に、悪魔が変身した明智光秀と明智光晴となった弟がいた。
二人は、光秀の現世で従妹となっている濃姫の斡旋で、足利将軍家の家来か
ら織田信長の家臣となった。
信長は情に流されることは決してない。光秀の中に得がたい才能を見付けた
から家臣団に加えたのだ。光秀はいきなり重臣に引き立てられた。
「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」
信長が床を打ち付けながら敦盛を謡い、踊った。
二人の小姓が立ち上がり、扇子を翳して、信長の後に続いた。
「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」
「一度生を享け、滅せぬもののあるべきか、これを菩提の種と思ひ定めざらん
は、口惜しかりき次第ぞ」
今度は三人で声を合わせて唱和した。
家臣一同、信長の舞を睨むようにして見詰めている。信長の家臣は僅かで
も油断、緩みを見せる分けにはいかないのだ。
そして、このように上機嫌で敦盛を舞った後は、決まって軍令が発せられる
のだ。
舞を終えた信長が、筆頭家老柴田勝家の前に立ち止まった。
「勝家、美濃攻めを急げ、猿の他は己に任せる」
今度は信長、光秀に振り返った。
「光秀、将軍を尾張にお迎えするように。この信長の天下布武はお前の働き
に掛かっているぞ」
「ハハーッ」と、畏まる光秀。
光晴は信長を穴の開くほど見詰めていた。「光秀様が仰るように、この男
が、私の代わりに世の中に復讐してくれるのだろうか?」
光晴は今、光秀と共に将軍のいる越前へと急いでいた。
「信長は六欲天の魔王である。六欲とは地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上
の欲望で、これを尽くせば、あらゆる障害を打ち砕くことが出来る」
「私は、光秀様の元で軍学、軍略、刀槍術を十年以上学んでまいりました。信
長などの手を借りなくとも、光秀様が、手を貸して下されば世の中に復讐出来
ると思います」
「芳次郎、いや光晴、悪魔が自らの手で、人や人の世に災いを成すことは禁じ
られておる。悪魔は人の心に住み着いて、虜にした人を自在に操って、人を殺
めたり、戦乱を起こさせるのじゃ」
その頃、兄の芳一は下関の阿弥陀寺にいた。
「祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり」
瞑想しながら、静かに琵琶を弾きながら、芳一は平家物語を謡いだした。
講堂には、名高き琵琶法師の平家語りを聴くために集まった人々で埋め尽く
されていた。
「沙羅雙樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」
芳一が眼を開いた。が、何も見えなかった、菩薩のとの盟約で視力を失って
いてたのだ。
突然、芳一の琵琶が激情のままに、荒々しくかき鳴らされた。
「驕れる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し。猛き者もつひには滅びぬ」
また、琵琶が凪のそよ風の如くに静まった。
暫く静かに琵琶を奏でる。その哀調は聴く者皆涙なしには聴けなかった。
さらに、芳一の琵琶が悲しくも静かに堂内を漂った。
「偏に風の前の塵に同じ」
外は夕闇が迫っていた。
阿弥陀寺の崖下の浜辺に蟹が群れをなしていた。
皆、顔を顰めて泣いていた。
蟹たちは、芳一が平家物語を語るときは、このように浜辺に集うて来るの
である。
2017年2月1日 Gorou
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