そのⅢ 祇王と尼御前
住職が不在の夜、芳一の平家語りを聴くために京から二人の高貴な身分の婦
人が尋ねてきた。
芳一が身繕いを整え、琵琶を携えて広間に行くと、すでに二方は着座してお
られた。
芳一が座ると、年老いた侍女と見られる婦人が。・・・
「まあ? こんなに若いとは意外で御座います」
「ほんに、その若さで良くも極められましたな」
高貴な婦人は優しく、優雅な言葉で芳一を褒めている。
「高名な法師殿の平家語りを是非にと、陛下が」
「良子、尼に陛下とはいかに」
「そうで御座いました、尼殿の為に何か一曲語っては頂けませんでしょう
か?」
「承知致しました。さて、何を語りましょうか?」
「法師様の良きように」
芳一は暫く考えて、祇王の段が相応しいと気付いた。貴婦人が尼様だったか
らである。
静かに琵琶を弾いて、芳一は祇王の段を語りは始めた。
入道相国・清盛が天下を掌中に握っていた頃。
都で評判の白拍子の姉妹がいた。姉を祇王、妹を祇女と言い、母は刀自と伝
わっている。
清盛が姉の祇王を寵愛した。妹の祇女と母刀自をも大切にして、家や財宝を
与え、祇王の家族は人もうらやむ倖せな暮らしを過ごした。
都の人々は大変羨んで、「あなめでたの祇王御前の幸せや、同じ遊女となら
ば、せめて名を祇一とつけん」
有る者は娘を祇二、祇福、祇徳等とつけた。
三年の間、祇王は幸せの絶頂にあった。
その頃、都に評判の白拍子が出て来た。加賀国の者で、名を仏と言った。
「昔から多くの白拍子がいたが、このような舞は見た事が無い」と、京中の
人々は身分の上下無くもてはやした。
その仏が清盛入道の屋敷にやってきた。
取り次ぎが「今京で評判の仏御前が参っております」と告げると。
「遊女は人の召しに従って参る者だ。その上祇王がいる所には許されぬ。退出
させよ」
と言ったが、傍らに侍っていた祇王がこう申し上げた。
「あそびものの推参は世の常、年もまだ若く、つれなく追い返しては可愛そう
で御座います。舞や歌を聞かなくても、ご対面だけはして上げてくださいま
し」
祇王がこう言ったので、清盛入道は仏を引見した。
「今日の見参は無いものであったが、祇王があまりに申すので引見した。会っ
たからには、今様の一つもうたえ」
「招致致しました」と、仏は今様を一つうたった。
君を初めて見る折は 千代も経ぬべし姫小松 御前の池なる亀岡に
鶴こそむれいてあそぶめれ
と、三度歌い上げた。
「わごぜは、今様は上手であった。この分なら、舞も定めて良かろう。鼓打ち
を呼べ」
仏御前は髪姿良く、容姿美しく、声良く、節も上手で、見事に舞い終えた。
清盛入道は仏御前に心をうばわれ、その寵愛は祇王から仏へと移った。
芳一はいったん琵琶を置いた。
「祇王の段は、かなり長う御座います、夜も更けて参りましたので今宵はこれ
にてお許し下さいませ」
「残念ですが、今宵は退散仕りましょう。明晩酉の刻に迎えをよこしますか
ら、ぜひ我が館で平家語りを、我が一族郎党にお聞かせ下さいませ」
「畏まりました。明晩は何も用がありませんのでお待ちしております」
二人が去って程なく、住職が帰って来て芳一の部屋に血相を変えて駆け込ん
できた。
「芳一」、お前が会っていたのはこの世のものでは無い。明日の夜も約束をし
たと聞いたが本当か?」
「はい」
「必ずやお前に悪さをする。命さえ危ない」
住職は、芳一を裸にして全身に経文を書いた。芳一の身体は足の裏から耳の
裏にまで、ビッシリと有り難い経文で埋め尽くされた。
「明日は誰が来ても会ってはならぬ、呼ばれても返事をしてはならぬぞ。芳
一」
「はい、和尚様」
と返事をしたものの、あの優しい尼様があの世の者とは、芳一には信じる事
が出来なかった。
芳一は、母のような温かさと、優しさと、香しき匂いを尼様から感じ取って
いたのだ。
2017年2月2日 Gorou
住職が不在の夜、芳一の平家語りを聴くために京から二人の高貴な身分の婦
人が尋ねてきた。
芳一が身繕いを整え、琵琶を携えて広間に行くと、すでに二方は着座してお
られた。
芳一が座ると、年老いた侍女と見られる婦人が。・・・
「まあ? こんなに若いとは意外で御座います」
「ほんに、その若さで良くも極められましたな」
高貴な婦人は優しく、優雅な言葉で芳一を褒めている。
「高名な法師殿の平家語りを是非にと、陛下が」
「良子、尼に陛下とはいかに」
「そうで御座いました、尼殿の為に何か一曲語っては頂けませんでしょう
か?」
「承知致しました。さて、何を語りましょうか?」
「法師様の良きように」
芳一は暫く考えて、祇王の段が相応しいと気付いた。貴婦人が尼様だったか
らである。
静かに琵琶を弾いて、芳一は祇王の段を語りは始めた。
入道相国・清盛が天下を掌中に握っていた頃。
都で評判の白拍子の姉妹がいた。姉を祇王、妹を祇女と言い、母は刀自と伝
わっている。
清盛が姉の祇王を寵愛した。妹の祇女と母刀自をも大切にして、家や財宝を
与え、祇王の家族は人もうらやむ倖せな暮らしを過ごした。
都の人々は大変羨んで、「あなめでたの祇王御前の幸せや、同じ遊女となら
ば、せめて名を祇一とつけん」
有る者は娘を祇二、祇福、祇徳等とつけた。
三年の間、祇王は幸せの絶頂にあった。
その頃、都に評判の白拍子が出て来た。加賀国の者で、名を仏と言った。
「昔から多くの白拍子がいたが、このような舞は見た事が無い」と、京中の
人々は身分の上下無くもてはやした。
その仏が清盛入道の屋敷にやってきた。
取り次ぎが「今京で評判の仏御前が参っております」と告げると。
「遊女は人の召しに従って参る者だ。その上祇王がいる所には許されぬ。退出
させよ」
と言ったが、傍らに侍っていた祇王がこう申し上げた。
「あそびものの推参は世の常、年もまだ若く、つれなく追い返しては可愛そう
で御座います。舞や歌を聞かなくても、ご対面だけはして上げてくださいま
し」
祇王がこう言ったので、清盛入道は仏を引見した。
「今日の見参は無いものであったが、祇王があまりに申すので引見した。会っ
たからには、今様の一つもうたえ」
「招致致しました」と、仏は今様を一つうたった。
君を初めて見る折は 千代も経ぬべし姫小松 御前の池なる亀岡に
鶴こそむれいてあそぶめれ
と、三度歌い上げた。
「わごぜは、今様は上手であった。この分なら、舞も定めて良かろう。鼓打ち
を呼べ」
仏御前は髪姿良く、容姿美しく、声良く、節も上手で、見事に舞い終えた。
清盛入道は仏御前に心をうばわれ、その寵愛は祇王から仏へと移った。
芳一はいったん琵琶を置いた。
「祇王の段は、かなり長う御座います、夜も更けて参りましたので今宵はこれ
にてお許し下さいませ」
「残念ですが、今宵は退散仕りましょう。明晩酉の刻に迎えをよこしますか
ら、ぜひ我が館で平家語りを、我が一族郎党にお聞かせ下さいませ」
「畏まりました。明晩は何も用がありませんのでお待ちしております」
二人が去って程なく、住職が帰って来て芳一の部屋に血相を変えて駆け込ん
できた。
「芳一」、お前が会っていたのはこの世のものでは無い。明日の夜も約束をし
たと聞いたが本当か?」
「はい」
「必ずやお前に悪さをする。命さえ危ない」
住職は、芳一を裸にして全身に経文を書いた。芳一の身体は足の裏から耳の
裏にまで、ビッシリと有り難い経文で埋め尽くされた。
「明日は誰が来ても会ってはならぬ、呼ばれても返事をしてはならぬぞ。芳
一」
「はい、和尚様」
と返事をしたものの、あの優しい尼様があの世の者とは、芳一には信じる事
が出来なかった。
芳一は、母のような温かさと、優しさと、香しき匂いを尼様から感じ取って
いたのだ。
2017年2月2日 Gorou
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