そのⅧ 山が動いた
疾きこと風の如く、
徐かなること林の如く、
侵すこと火の如く、
動かざること山の如し、
その山が動いた。
元亀3年(1572年)9月29日、武田信玄は重臣の山県昌景と秋山信友に3000の
兵力を預けて信長の同盟者である徳川家康の三河に侵攻させた。
そして10月3日、信玄も2万2000の兵力を率いて甲府から出陣し、10月10日に
は青崩峠から家康の所領・遠江に侵攻を開始した。
信長は四方を敵に囲まれていた為、家康への援軍は佐久間信盛などに率いさ
せた三千に留まった。
光秀は光晴に百人の強者達を率いさせ、信盛の援軍と帯同させた。
「よいか光晴、信玄公の戦振りをしかと己の眼で見てまいれ」
「はい」
武田軍は怒濤の如く家康領を侵していった。
今日も家康の居城浜松城では軍議が続いていた。
織田の佐久間信盛の籠城論が断然優勢で有った。
家康も渋々ながら了承した様子でただ黙って座っていた。
そこへ知らせが入った。信玄軍は浜松城に見向きもせずに西進をしている
と。
徳川の重臣も織田の援軍もほっとした。
光晴は籠城には反対だった。信玄の上洛を少しでも遅らせる為、背後から襲
うのが上策だと思って、進言しようと立ち上がった。
ほぼ同時に一人立ち上がった。家康その人で有る。
「浜松城を見捨てて行くとは、信玄、この家康をよくも瘦けにしおった。一
同、全軍で打って出る、陣振れの太鼓と法螺を鳴らせ」
その場の者は皆あきれた。あの臆病で慎重な家康が? 狂ったか?!
鹿角の兜に黒糸威の鎧を纏った武将が勢いよく立ち上がった。
「先陣は其れがしが承る」
「良く言うたぞ平八郎」
本田平八郎は二丈余(約6m)もある蜻蛉切を頭上で軽々と旋回しながら、評
定広間から出て行った。
ようやく徳川の諸将も立ち上がって戦支度に取りかかった。
「あれが音に聞こえた蜻蛉切りと本田平八郎か」
光晴はそう感心しながらも、冷静に家康の本心を探った。
桶狭間の様に、家康は大博打に出ようとしているのだ。
考えて見れば、この城で竦んでいれば、嵐は頭上を過ぎるが、戦の勝者が信
玄でも信長であっても、徳川家は地方大名に甘んじ、悪くすれば攻め滅ばされ
てしまう。
こうして、窮鼠が虎の後を追った。
三方原で信玄は悠然と待ち構えていた。
武田軍三万、徳川軍二万、勝てない戦とも思えなかったが、武田の三万は並
みの軍勢の二倍から三倍の破壊力を持っていた。
武田の戦い振りは少し変わっていた。先陣を切るのは礫隊で、後に弓隊、槍
部隊、最後に騎馬隊が突撃して、敵陣をズタズタに切り裂く。
「オオッ! あれが武田の騎馬隊か?!」
織田の諸将は後陣で、まるで物見遊山をしているように武田の戦振りを見て
いた。
光晴が驚いたのは、礫隊を指揮する風と林の姿を確かに見たからだ。
更に眼を見張ったのは、なんと武田の騎馬隊の先頭を切っているのは火だっ
た。
徳川軍は左翼の本田隊が目覚ましい活躍を見せたものの、本体と右翼が全く
振るはず、家康は影武者まで討たれて総退却を余儀なくされた。
殿を勤めるのは本田隊だ。
光晴は明智隊を纏めて、本田隊に馳走した。
「光晴殿、かたじけない」
「なんの、わたくしは遊山に来たわけでは有りません」
その時、一騎の武田武者が二人を追い越していった。
火だ! 火は後ろ乗りをして光晴に笑いかけている。
「おかしな女子じゃのう、光晴殿」
「とんでもないお転婆娘で、武田のくノ一、火と名乗る者です」
「ふむ、武田は確かに強いが、風変わりな戦振りを見せる。急がねば城まで奪
われかねない」
光晴と本田隊は浜松城目掛けて早駆けた。
浜松城は城門を大きく開いて、篝火で城内まで明々と闇に晒していた。
追っ手の武田軍は、城を目前にして戸惑っていた。罠ではないかと疑ってい
たのだ。
光晴と平八郎が広間に行くと、家康は忙しく箸を動かして湯漬けを掻き込ん
でいた。
「苦労で有った平八郎。助成忝い、光晴殿というたかな」
「はい」
「殿、何を悠長に。湯漬けなど食ろうている時では有りませぬ。大門は開かれ
たままで、いまにも武田勢が城内に乱入して参ります」
「なに、・・・城攻めはせぬ。死にものぐるいでかかってくる相手に軍勢を削
がれるのを嫌う」
家康が言うように、武田勢は浜松城から撤退をしたが、翌日から家康の諸城
を火のように攻めて落城させて行き、野田城を陥落させた後、何故か動きを止
めた。
数日後の深夜、光晴の寝所を火が訪れた。
人の気配に、光晴が眼を開けると、息のかかるほど間近に火の顔があった。
相変わらず微笑んでいた。
「光晴、お前が何を夢見ていたか、当ててみようか?」
「ふん、見てもいない夢をどうやって当てる?」
「光晴、お前は痴れ者じゃ。夢というのは熟睡している時に見るのでは無い。
うつらとする時に、心と頭で考える事じゃ」
「そなたに分かるのか?」
「そなたは無かろう。火と呼べ」と、ふくれ面を見せる火。
「あいわかった、火よ、当てて見よ」
「信玄がなぜ動かぬのか分からぬのじゃろう?」
「わからぬ」
「馬鹿か光晴は。動かぬと考えるから分からぬのじゃ。なぜ動けぬと考えぬ」
「動けぬ? 火よ、わたしを妖言で誑かすのか」
「わしはお前と謙信公だけは誑かさぬ」
「謙信公? 信玄公では無いのか」
「そうだ、馬鹿な光晴にもう一度だけ言う。わしは明智光晴と上杉謙信公だけ
は誑かさぬ」
「何故?」
「お前を気に入ったからじゃ。謙信公はわしら三姉妹に命を呉れたからじ
ゃ」
火の最後の言葉は天井から振ってきた。
徳川家康は三方原の大敗で得がたい物を手に入れた。前代未聞の律儀者の評
判である。義理堅い家康、頼れる御大将家康。その虚像は、徳川三百年の礎を
確りと築いた。
2017年2月8日 Gorou
疾きこと風の如く、
徐かなること林の如く、
侵すこと火の如く、
動かざること山の如し、
その山が動いた。
元亀3年(1572年)9月29日、武田信玄は重臣の山県昌景と秋山信友に3000の
兵力を預けて信長の同盟者である徳川家康の三河に侵攻させた。
そして10月3日、信玄も2万2000の兵力を率いて甲府から出陣し、10月10日に
は青崩峠から家康の所領・遠江に侵攻を開始した。
信長は四方を敵に囲まれていた為、家康への援軍は佐久間信盛などに率いさ
せた三千に留まった。
光秀は光晴に百人の強者達を率いさせ、信盛の援軍と帯同させた。
「よいか光晴、信玄公の戦振りをしかと己の眼で見てまいれ」
「はい」
武田軍は怒濤の如く家康領を侵していった。
今日も家康の居城浜松城では軍議が続いていた。
織田の佐久間信盛の籠城論が断然優勢で有った。
家康も渋々ながら了承した様子でただ黙って座っていた。
そこへ知らせが入った。信玄軍は浜松城に見向きもせずに西進をしている
と。
徳川の重臣も織田の援軍もほっとした。
光晴は籠城には反対だった。信玄の上洛を少しでも遅らせる為、背後から襲
うのが上策だと思って、進言しようと立ち上がった。
ほぼ同時に一人立ち上がった。家康その人で有る。
「浜松城を見捨てて行くとは、信玄、この家康をよくも瘦けにしおった。一
同、全軍で打って出る、陣振れの太鼓と法螺を鳴らせ」
その場の者は皆あきれた。あの臆病で慎重な家康が? 狂ったか?!
鹿角の兜に黒糸威の鎧を纏った武将が勢いよく立ち上がった。
「先陣は其れがしが承る」
「良く言うたぞ平八郎」
本田平八郎は二丈余(約6m)もある蜻蛉切を頭上で軽々と旋回しながら、評
定広間から出て行った。
ようやく徳川の諸将も立ち上がって戦支度に取りかかった。
「あれが音に聞こえた蜻蛉切りと本田平八郎か」
光晴はそう感心しながらも、冷静に家康の本心を探った。
桶狭間の様に、家康は大博打に出ようとしているのだ。
考えて見れば、この城で竦んでいれば、嵐は頭上を過ぎるが、戦の勝者が信
玄でも信長であっても、徳川家は地方大名に甘んじ、悪くすれば攻め滅ばされ
てしまう。
こうして、窮鼠が虎の後を追った。
三方原で信玄は悠然と待ち構えていた。
武田軍三万、徳川軍二万、勝てない戦とも思えなかったが、武田の三万は並
みの軍勢の二倍から三倍の破壊力を持っていた。
武田の戦い振りは少し変わっていた。先陣を切るのは礫隊で、後に弓隊、槍
部隊、最後に騎馬隊が突撃して、敵陣をズタズタに切り裂く。
「オオッ! あれが武田の騎馬隊か?!」
織田の諸将は後陣で、まるで物見遊山をしているように武田の戦振りを見て
いた。
光晴が驚いたのは、礫隊を指揮する風と林の姿を確かに見たからだ。
更に眼を見張ったのは、なんと武田の騎馬隊の先頭を切っているのは火だっ
た。
徳川軍は左翼の本田隊が目覚ましい活躍を見せたものの、本体と右翼が全く
振るはず、家康は影武者まで討たれて総退却を余儀なくされた。
殿を勤めるのは本田隊だ。
光晴は明智隊を纏めて、本田隊に馳走した。
「光晴殿、かたじけない」
「なんの、わたくしは遊山に来たわけでは有りません」
その時、一騎の武田武者が二人を追い越していった。
火だ! 火は後ろ乗りをして光晴に笑いかけている。
「おかしな女子じゃのう、光晴殿」
「とんでもないお転婆娘で、武田のくノ一、火と名乗る者です」
「ふむ、武田は確かに強いが、風変わりな戦振りを見せる。急がねば城まで奪
われかねない」
光晴と本田隊は浜松城目掛けて早駆けた。
浜松城は城門を大きく開いて、篝火で城内まで明々と闇に晒していた。
追っ手の武田軍は、城を目前にして戸惑っていた。罠ではないかと疑ってい
たのだ。
光晴と平八郎が広間に行くと、家康は忙しく箸を動かして湯漬けを掻き込ん
でいた。
「苦労で有った平八郎。助成忝い、光晴殿というたかな」
「はい」
「殿、何を悠長に。湯漬けなど食ろうている時では有りませぬ。大門は開かれ
たままで、いまにも武田勢が城内に乱入して参ります」
「なに、・・・城攻めはせぬ。死にものぐるいでかかってくる相手に軍勢を削
がれるのを嫌う」
家康が言うように、武田勢は浜松城から撤退をしたが、翌日から家康の諸城
を火のように攻めて落城させて行き、野田城を陥落させた後、何故か動きを止
めた。
数日後の深夜、光晴の寝所を火が訪れた。
人の気配に、光晴が眼を開けると、息のかかるほど間近に火の顔があった。
相変わらず微笑んでいた。
「光晴、お前が何を夢見ていたか、当ててみようか?」
「ふん、見てもいない夢をどうやって当てる?」
「光晴、お前は痴れ者じゃ。夢というのは熟睡している時に見るのでは無い。
うつらとする時に、心と頭で考える事じゃ」
「そなたに分かるのか?」
「そなたは無かろう。火と呼べ」と、ふくれ面を見せる火。
「あいわかった、火よ、当てて見よ」
「信玄がなぜ動かぬのか分からぬのじゃろう?」
「わからぬ」
「馬鹿か光晴は。動かぬと考えるから分からぬのじゃ。なぜ動けぬと考えぬ」
「動けぬ? 火よ、わたしを妖言で誑かすのか」
「わしはお前と謙信公だけは誑かさぬ」
「謙信公? 信玄公では無いのか」
「そうだ、馬鹿な光晴にもう一度だけ言う。わしは明智光晴と上杉謙信公だけ
は誑かさぬ」
「何故?」
「お前を気に入ったからじゃ。謙信公はわしら三姉妹に命を呉れたからじ
ゃ」
火の最後の言葉は天井から振ってきた。
徳川家康は三方原の大敗で得がたい物を手に入れた。前代未聞の律儀者の評
判である。義理堅い家康、頼れる御大将家康。その虚像は、徳川三百年の礎を
確りと築いた。
2017年2月8日 Gorou
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