そのⅦ 叡山焼き討ち
三年前、まだ三姉妹が信玄に仕えていた頃の話である。
元亀2年(1571年)9月12日早朝、信長軍三万は比叡山を蟻の逃げる隙間も無
い程取り囲んでいた。
出撃を知らせる法螺貝が鳴り響き、織田軍は一斉に比叡山に攻め登った。
参戦した主な武将は、信長を初め、柴田勝家、明智光秀、木下藤吉郎などで
ある。夜討ちしなかったのは一人も逃さぬ為であった。
信長公記に曰く。
『九月十二日、叡山を取詰め、根本中堂、山王二十一社を初め奉り、零仏、零
社、僧坊、経巻一宇も残さず、一時に雲霞のごとく焼き払い、灰燼の地と為社
哀れなれ、山下の男女老若、右往、左往に廃忘を致し、取物も取敢へず、悉く
かちはだしにして八王子山に逃上り、社内ほ逃籠、諸卒四方より鬨声を上げて
攻め上る、僧俗、児童、智者、上人一々に首をきり、信長公の御目に懸け、是
は山頭において其隠れなき高僧、貴僧、有智の僧と申し、其他美女、小童其員
を知れず召捕り』
猛烈な炎を上げる山王二十一社、逃げ惑う僧侶や庶民、それに赤子を抱いた
女や幼童・幼女が織田の侍達に惨たらしくも首を切られている。
「地獄だ、この世にも地獄が有ったのだ」
光晴は呆然として佇んでいた。立てているのが不思議なほど狼狽していた。
「光晴、良く見ておけ。この光景を忘れてはならぬ」
光秀は灼熱の大地を踏みしめ、立ち続けた。
光秀を囲む明智の兵達は誰も動かず、殺戮に加わる者は一人もいなかった。
「光晴、迷っていた我が心が定まった。魔王を討つ、いや魔王は神になろうと
している。そのような者生かしてはおけぬ。光晴お前は、菩薩に復讐を誓った
その時に、既に人では無くなっておるが、半分は人としての心が残っておる。
今、決断せよ。わしと供に信長を討つか、並みの男として生きるか」
光晴は即座に返答した。
「光秀様と供に狂った魔王を滅ぼしまする」
「道は険しいぞ。果たして機会が巡ってくるのが何年先になるは分からぬ」
「承知! 魂塊が砕け散るまでまちまする」
前方から、忍者の集団に守られた僧侶や庶民がやってきた。
先頭を走る三人のくノ一は風変わりな忍び衣装を着ていた。
青衣装のくノ一が飛んだ。
続いて飛んだのが萌葱衣装のくノ一だ。
紅に燃えるくノ一はクルクルとトンボを切って近づいて来た。
青衣装の風が光秀の前で、背中から忍び刀を抜き放って構え、鋭い眼光で睨
んだ。
「邪魔立て無用!」
「我らは人にはあらず、案山子のような物じゃ、何も見えぬで、何も出来ぬ」
光秀の言葉で、風は忍び刀を収めて深く頭を下げた。
「忝う御座いまする、明智十兵衛光秀様。ですが、ただ見逃しては御身に魔王
の災いが掛かりましょう。ここは一つ争う振りなどいたしませ」
「では、舞でも舞うか」
光秀は、大げさな身振りで刀を抜き、家来の一人に剣舞を仕掛けた。
明智衆は皆一斉に刀を抜いた。
警戒して林も忍び刀を抜いて身構えた。が、明智一党は光秀を中心に剣舞を
おどけた様子で踊った。
槍を構えた武士は歌を歌い出した。
♪酒は飲め飲め飲むならば 日の本一のこの槍を
何人かの槍武者が衾を造って唱和した。
♪飲みとるほどに飲むならば これぞまことの明智武士
光秀までが歌に参加した。
明智衆の中で一人だけ、光晴が憮然として紅の衣装の火と睨み合っていた。
火が構えた忍び刀を空中に放り投げた。
クルクルと舞いながら、火の背中の鞘に収まった。
「お前は阿呆踊りをせぬのか?」
火が嬉しそうに笑い、幼さの残った顔を光晴の耳元に近づけた。
「若年故に踊れぬのか? 歌えぬのか?」
光晴はこの娘に惹かれた、行方の分からぬ妹を思い出したのだ。
「ドコイ」
光秀のかけ声で群舞は終わり、明智武士は皆案山子に戻った。
風と林と忍者群は、僧侶と人々を囲んで守りながら山を駆け下りていく。
火が光晴に囁きかけた。
「わしの名は火」
「火?」
「いかにも、光晴殿」
そう囁いた時には火は数間先を駈けていた。
駈けながら光晴を何度も振り返り、その度にあどけない笑顔を送って来た。
光晴は何故か赤面していた。少しだけ人の心が戻っていたのかも知れない。
戦後、比叡山で信長の惨い命令を守った武将に何の報償も無かった。
黙って逃げるのを見過ごした明智光秀と木下藤吉郎にも、なんのお咎めも無
かった。叡山焼き討ちは、信長にとって既成概念を破るための大芝居だったか
らからも知れない。
三姉妹は、延暦寺宗主覚恕法親王を信玄の元に送り届けた。
信玄は延暦寺の復興を覚恕法親王に確約したが、実現しなかった。
信玄はくノ一を良く育て、良く使った。
戦で孤児になった幼い子達を隠れ里で忍びに育て上げたのである。
三姉妹も、川中島の戦い(第四次)の後で信玄に拾われた。
武田のくノ一は皆信玄を父親のように慕っていた。謙信を神と崇める三姉妹
を除いてはである。勿論三姉妹は口にも態度にも出さなかった。
くノ一は二十歳を幾つか過ぎると信玄の側室に取り立てられ、三十路を過ぎ
た者は歩き巫女として、生涯信玄に日本各地の情報を届け続けた。
近頃、風が側室に迎えられると、噂が頻りに流れた。
林と火が風に報告した。
「風よどうする?」
「林よ、どうにもせぬ」
「お姉様、いっそ抜けるか?」
「火よ、未だその時期では無い」
風は不思議な微笑みを浮かべて越後の方を見やった。
三姉妹は「生き抜け」と言った謙信の言葉を頼りに戦乱を生き抜いて来たの
だ。
2017年2月7日 Gorou
三年前、まだ三姉妹が信玄に仕えていた頃の話である。
元亀2年(1571年)9月12日早朝、信長軍三万は比叡山を蟻の逃げる隙間も無
い程取り囲んでいた。
出撃を知らせる法螺貝が鳴り響き、織田軍は一斉に比叡山に攻め登った。
参戦した主な武将は、信長を初め、柴田勝家、明智光秀、木下藤吉郎などで
ある。夜討ちしなかったのは一人も逃さぬ為であった。
信長公記に曰く。
『九月十二日、叡山を取詰め、根本中堂、山王二十一社を初め奉り、零仏、零
社、僧坊、経巻一宇も残さず、一時に雲霞のごとく焼き払い、灰燼の地と為社
哀れなれ、山下の男女老若、右往、左往に廃忘を致し、取物も取敢へず、悉く
かちはだしにして八王子山に逃上り、社内ほ逃籠、諸卒四方より鬨声を上げて
攻め上る、僧俗、児童、智者、上人一々に首をきり、信長公の御目に懸け、是
は山頭において其隠れなき高僧、貴僧、有智の僧と申し、其他美女、小童其員
を知れず召捕り』
猛烈な炎を上げる山王二十一社、逃げ惑う僧侶や庶民、それに赤子を抱いた
女や幼童・幼女が織田の侍達に惨たらしくも首を切られている。
「地獄だ、この世にも地獄が有ったのだ」
光晴は呆然として佇んでいた。立てているのが不思議なほど狼狽していた。
「光晴、良く見ておけ。この光景を忘れてはならぬ」
光秀は灼熱の大地を踏みしめ、立ち続けた。
光秀を囲む明智の兵達は誰も動かず、殺戮に加わる者は一人もいなかった。
「光晴、迷っていた我が心が定まった。魔王を討つ、いや魔王は神になろうと
している。そのような者生かしてはおけぬ。光晴お前は、菩薩に復讐を誓った
その時に、既に人では無くなっておるが、半分は人としての心が残っておる。
今、決断せよ。わしと供に信長を討つか、並みの男として生きるか」
光晴は即座に返答した。
「光秀様と供に狂った魔王を滅ぼしまする」
「道は険しいぞ。果たして機会が巡ってくるのが何年先になるは分からぬ」
「承知! 魂塊が砕け散るまでまちまする」
前方から、忍者の集団に守られた僧侶や庶民がやってきた。
先頭を走る三人のくノ一は風変わりな忍び衣装を着ていた。
青衣装のくノ一が飛んだ。
続いて飛んだのが萌葱衣装のくノ一だ。
紅に燃えるくノ一はクルクルとトンボを切って近づいて来た。
青衣装の風が光秀の前で、背中から忍び刀を抜き放って構え、鋭い眼光で睨
んだ。
「邪魔立て無用!」
「我らは人にはあらず、案山子のような物じゃ、何も見えぬで、何も出来ぬ」
光秀の言葉で、風は忍び刀を収めて深く頭を下げた。
「忝う御座いまする、明智十兵衛光秀様。ですが、ただ見逃しては御身に魔王
の災いが掛かりましょう。ここは一つ争う振りなどいたしませ」
「では、舞でも舞うか」
光秀は、大げさな身振りで刀を抜き、家来の一人に剣舞を仕掛けた。
明智衆は皆一斉に刀を抜いた。
警戒して林も忍び刀を抜いて身構えた。が、明智一党は光秀を中心に剣舞を
おどけた様子で踊った。
槍を構えた武士は歌を歌い出した。
♪酒は飲め飲め飲むならば 日の本一のこの槍を
何人かの槍武者が衾を造って唱和した。
♪飲みとるほどに飲むならば これぞまことの明智武士
光秀までが歌に参加した。
明智衆の中で一人だけ、光晴が憮然として紅の衣装の火と睨み合っていた。
火が構えた忍び刀を空中に放り投げた。
クルクルと舞いながら、火の背中の鞘に収まった。
「お前は阿呆踊りをせぬのか?」
火が嬉しそうに笑い、幼さの残った顔を光晴の耳元に近づけた。
「若年故に踊れぬのか? 歌えぬのか?」
光晴はこの娘に惹かれた、行方の分からぬ妹を思い出したのだ。
「ドコイ」
光秀のかけ声で群舞は終わり、明智武士は皆案山子に戻った。
風と林と忍者群は、僧侶と人々を囲んで守りながら山を駆け下りていく。
火が光晴に囁きかけた。
「わしの名は火」
「火?」
「いかにも、光晴殿」
そう囁いた時には火は数間先を駈けていた。
駈けながら光晴を何度も振り返り、その度にあどけない笑顔を送って来た。
光晴は何故か赤面していた。少しだけ人の心が戻っていたのかも知れない。
戦後、比叡山で信長の惨い命令を守った武将に何の報償も無かった。
黙って逃げるのを見過ごした明智光秀と木下藤吉郎にも、なんのお咎めも無
かった。叡山焼き討ちは、信長にとって既成概念を破るための大芝居だったか
らからも知れない。
三姉妹は、延暦寺宗主覚恕法親王を信玄の元に送り届けた。
信玄は延暦寺の復興を覚恕法親王に確約したが、実現しなかった。
信玄はくノ一を良く育て、良く使った。
戦で孤児になった幼い子達を隠れ里で忍びに育て上げたのである。
三姉妹も、川中島の戦い(第四次)の後で信玄に拾われた。
武田のくノ一は皆信玄を父親のように慕っていた。謙信を神と崇める三姉妹
を除いてはである。勿論三姉妹は口にも態度にも出さなかった。
くノ一は二十歳を幾つか過ぎると信玄の側室に取り立てられ、三十路を過ぎ
た者は歩き巫女として、生涯信玄に日本各地の情報を届け続けた。
近頃、風が側室に迎えられると、噂が頻りに流れた。
林と火が風に報告した。
「風よどうする?」
「林よ、どうにもせぬ」
「お姉様、いっそ抜けるか?」
「火よ、未だその時期では無い」
風は不思議な微笑みを浮かべて越後の方を見やった。
三姉妹は「生き抜け」と言った謙信の言葉を頼りに戦乱を生き抜いて来たの
だ。
2017年2月7日 Gorou
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