ONE FINE DAY

「昨日のことは忘れてほしい」
「もう遅い。日記に書いた」

感傷

2015-06-15 | 美術
今日は美術史講座前期の最終日だった。
大学のオープンカレッジに通い始めて4年。
ルネサンスから19世紀アート前期まで終わらせて、
(夏季・冬期講座で、ヴェネツィア派・ドイツ美術
ロシア19世紀・フレスコ画なども学んだ)
後半の印象派はもういいかなと思っている。
その後の現代美術も自分で勉強しようと思っている。

ただ、八丁堀校のM先生の美術講座だけは
受け続けたいと思っている。

そんなわけで、
本校に来るのはもしかして今日が最後かなと思ったら、
ちょっとだけ感傷的になった。
大学生で溢れかえるこの街が私はあまり好きでなかった。
でもここで学んだことは大きくて、
イタリアへの憧れが膨らんだのも、
ここでの講義のおかげだ。
そしていよいよ3日後にローマへ向かう。
帰り道、感謝の気持ちでいっぱいになった。

最後のテーマは、
ラファエル前派だったけどね。


Casper David Friedrich

2015-05-18 | 美術
西洋近現代美術史(19世紀アート)
今日はドイツロマン主義のフリードリヒだった。

またナポレオンだ。
神聖ローマ帝国はナポレオンの侵攻によって
1806年に解体した。
フランスの統治下となる。
ナポレオン崇拝時期もあったベートーヴェンだって
複雑な心境だったに違いない。

1808-1810に描かれた「海辺の修道士」

画面の3分の2が空だ。
海辺に佇む修道士が暗い夜の海を見ている。

ベルリン美術館で上の絵と対に飾られているのが、
「樫の森の修道院」

破壊された教会に残ったのはファサードだけ。
そこをくぐって人々は祈りをあげようとしているのか?

ドイツの人々はこの対の絵の前にある椅子に座って
何時間もみているそうだ。

さてフリードリヒの作品に触れる前に、
実は先生は
数枚のレンブラントの風景画を見せてくれた。

レンブラント「エジプトへの逃避途上の休息」

当時絵画のヒエラルキーは歴史画、宗教画、肖像画に比べると
風景画はまだまだの時代。
風景画を描きたければそこに宗教的テーマを入れた。
(それはそれで美しいとおもうが)

レンブラント「長いアーチのある風景」

橋を渡ればもうすぐ我が家だ、
長い旅から家路につく者を木々は太陽をさんさんと浴びて出迎える。
これは希望を描いた風景画。

そして、
レンブラント「風車」

低地の苦しみながら、灌漑用水を作り土地を整えていったオランダ人の
心の象徴というべき水車。堂々と誇り高く描かれた。


こうしてレンブラントの風景画を見た後に
どこか寒々しく、死を思わせるようなフリードリヒの絵を見ると、
ちょっと見方が変わってくる。

「雪中の石塚」

樫の木はドイツの国の木だ。
石塚は墓とも思えるが、その上にたつ枯れ木の枝からは
新緑が出てきている。
これも希望を描いたのではないか?

「聖堂のある冬景色」

この絵にはとても惹かれる。
遠くに霞んで見えるゴシックの教会が美しい。
小さくてよく分からないが、
手前中央の岩に男が寄りかかっている。
手前に放り出された松葉杖をついて
やっとの想いでここにやってきたのだ。
彼が見つめているのが何かこの絵でわかるだろうか?
木に吊るされた磔刑のキリスト。
テーマはともかくこの絵の構図、色彩は本当に美しい。

フリードリヒがこれでもかと描く
凍てついた寂しい冬景色。
でもそれは国を奪われた悲しみばかりではなくて、
ドイツ人の精神を見据え、微かな希望を描いているのではないか。
風景画の決まりも、宗教画の決まりも飛び越えて、
新しい時代の絵となり得た。

こんなに美しい風景画も描いています。


50代になって19才年下の奥さんをもらって
こんな絵も描いています。


でも、変わった人だね。


Goya

2015-05-11 | 美術


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西洋近代美術史講座
(19世紀アート) 今日は先週に続きゴヤだった。
2時間以上先生はゴヤについて、ゴヤの描いた絵について語り続けても
まだまだ語り足りないようだった。

18世紀から19世紀にかけて、
スペインも怒濤の時代を駆け抜けるのだが、
権力者が変わろうとも、何が起ころうとも、
ゴヤはひたすら描き続けた。
絵描きは絵を描き続けなくてはいられない。
絵を描くことが生きることなのだ。
わたしはそのことにいつも感動する。

ゴヤについての研究はこの10年で大きく進み、
10年前と今とでは、ゴヤ像は変わってきているという。
美術史の醍醐味だ。

特に印象に残ったゴヤの作品。
時の国王、カルロス4世と家族の肖像画。



人の良さそうな国王と
実権は私が握っているのよ!のお妃。
臆面もなく娘達と同じドレスを着て、同じアクセサリーを身につけ、
しかも髪飾りはキューピッドの矢がハートを射抜く乙女ぶりだ。
ちょっと太めの身体に田舎のおばさんのような風貌。

でもお妃はこの絵を気に入って、
ゴヤに感謝の言葉を惜しまなかった。
だって私の自慢の腕をこんなに堂々と美しく描いてくれたのだもの。
腕自慢のお妃、憎めない。

絵の左端にはキャンバスに向かうゴヤ自身も描かれている。
ラスメニーナスのベラスケスと同じ位置にゴヤがいる。
大先輩のベラスケスをゴヤはどう思っていたのだろう。