わかったようでわからないのが
人生なのでしょうか
未だ木鶏とならず
不惑
はあまりにも有名な言葉です
人生の折り返しを過ぎて
わからないことが益々あり
もしかして先人の遺した言葉は
結果を表すのではなく
日々、自分と向き合い 何に意識を
向けてその時どういう感情が起こり
どういった行動になったのか
見つめ続けよと言っているのかも
知れない…
私はスピリチュアルとは無縁と思って
いますが
「魂魄を留めん」という言葉には
否定的にはなりません。
おそらく20代30代の頃でも
否定的にはならかったと思います。
ですが、この頃は体力というか
地力でしょうか…肉体的な勢いがある
ので(あったので)言葉に対して
否定的にならないだけで
魂魄(魂と言ってよいと思います)
がなんであるかなどとは考える視点が
なかったように思います。
魂を大切にするというのは
どういうことなのでしょうね
日々できることを淡々と積み重ねて
修正、振り返り、できたこと
できなかったことを見つめる事しか
思い浮かびません(笑)
それも生き様なのでしょうか?
読んで頂きどうもありがとうございます。
朱禪記す