朱禪-brog

自己観照や心象風景、読書の感想
を書いてます。たまに映画も。

旧盆

2021-08-25 22:42:21 | 日記
私は在日コリアン3世と度々この
徒然に申し上げています。

立秋が過ぎ、土用となり処暑てなりて
季節はこれから初秋に向かうでしょう。

初秋のころには
旧暦のお盆 韓国では秋夕(チュソク)が
やってきます。

私の母方の祖母は済州島出身です。
旧両班家系の一人娘でしたが
故あって、日本に渡り同じ済州島出身の祖父と17歳で夫婦となります。

男子八人を授かるもことごとく
一歳を待たずして亡くなり
残った二人の女子二人が私の母と伯母です。

済州島は日本列島がそうであるように
周囲を海に囲まれています。

前にも申し上げましたが
龍頭岩というスポットがありまして
海の中に龍のような岩が突出しており、
この中心部からは真水が湧きでているんです。
私も飲みました。

そして、済州島は政治犯が流刑、遠島にあった男子が多く、その土壌は火山灰で
稲作に適しませんでした。

政治犯というには当時の両班(貴族階級)が多く、彼等は日常の生活というか
そもそも肉体労働をする階級ではありません。

土着の女性と婚姻をしても
労働には適しませんね
勢い、生活を支えるのは女性の役目となります
女性は生活の糧を求めて
海に潜り、海女となります。
そして、海の神さんを敬います。

祖母は海女さんではなかったですが
「海の神さん」は敬っていました。

旧盆になると
私を連れて淀川にいきます。
供物を淀川の岸壁並べ
線香を炊き、こよりを、燃やし
遥か玄界灘を超えた「海の神さん」と
会えるはずのない「両親」に祈りを捧げ、長い祈りが終わると
供えた酒を小指にとり
ピンピンと弾いて海に返します。

供物も小さい箱舟に乗せて
海に返します。

私は黙って、祖母を見守ることしかできませんでしたが
そこには、忘れがたい故郷と
忘れてでもこの日本で生きていくと
いう祖母なりの儀式だったと思います。

今日はどうもばーさんのことを
思い出してしまいます(笑)

ここまで読んで頂きまして
ありがとうございます。

朱禪記す



鶏粥

2021-08-25 11:06:39 | 日記
ばーさん亡くなって8年か…

ばーさんが50代の頃、上六で焼肉屋をしていたんですが、大阪場所で来阪したお相撲さん方がよく来ていたのを思い出します。
子供心にも牛一頭平らげるのでは?
と思うくらい凄まじい食べっぷりでした(笑)

肉の選び方も上手かったのでしょうが、
今でいうヤンニョム(味つけ)が神業の
如くだったと思います。

ばーさんのヤンニョムはレシピないんですね(笑)
茹でる、焼く、蒸す、炊く、煮るに関しても感覚なんですよ。

そして、自家製のキムチも感覚→手味でした。

幼少期、比較的身体が弱かった私は度々、熱を出して寝込んでいたんですね。

熱が高いと食欲はありませんが、熱が下がってくると、体力回復の為なのか?
食欲が湧いてきます。

そんな時に、作ってくれたのが
鶏を丸々一羽使った「鶏粥」だったんです。
(あ、鶏もも肉でもいいです)

寸胴鍋に一羽入れる(水から)
長ネギ二本入れる
煮立ったら中火→弱火
鶏から脂が出るので晒し→(今ですとキッチンペーパーですね)を
落とし脂を吸わせる。

米は研いだ生米を別鍋でごま油とともに
炒るんです。
←ここが一番のポイントだったと思います。

米が半透明になるまで
火の加減をしつつ炒ります。

鶏が茹で上がると、その鶏を1口サイズに手で裂いていきます。
これも大きさは適当です(笑)

鶏を入れていた寸胴鍋に炒り終わった米を入れて火にかけます。

水(お湯)の量は?
そうですね。鍋の大きさにもよりますがら3分の2くらいでしょうか

あとはときどき混ぜながら
米が粥になるのを待つだけです。
粥からふわぁ〜〜としたごま油の香りがでます。

先程の鶏も一緒に入れて混ぜていきます。
味つけは塩(粗塩)だけ。
食べる時に塩をふっても大丈夫です。

これらは、ばーさんの横で見ていた昔の記憶なのですが、私自身も長じてから
作りましたので、あながち外してないかと思います。

ごま油の香りと鶏の滋養が詰まった
「鶏粥」はいかがでしょう。

ここまで読んで頂きまして
どうもありがとうございます。

朱禪記す