もともと人混みが嫌いな性分ですが
今の時勢の謳い文句
「不要不急の外出は控えて」に対し
「有要しかない外出」をしています。
人が生きていくには「金」という
道具が必要であるので
労働の対価としての賃金を稼ぐ為の仕事
身体(体力)を維持する為の食材の買い出し
一日の仕上げとなる銭湯
月イチでの散髪
疫病以前ではこれに独酌の1杯飲み屋が
入ってましたが
約2年前に疫病に関係なく
今の自分のやめる事第1位にめでたく
ランクインしたのでやめました。
仕事→買い出し→銭湯(散髪)
これが私の行動範囲となります。
(面が割れてる人ならすぐに見つけらます(笑))
娘をどこかに連れて行こうにも
生来の出不精と人混み嫌いで申し訳ない
と思いますが……(苦笑
針で測ったような生活ぶりのようですが
本人には合っているようです。
初めての仕事は営業職で、27歳の時、
江戸に転勤となり
東日本全域を駆けずり回り、縁あって海外出張を年に10回以上行ってた生活もしてました。
ですが、振り返るとその時もプライベートではあまりあちこち行ってなかったですね。
ただ年齢が若かった事もあるのでしょうか?
今のような行動範囲よりは広かったようです。
そして、ずっと当たり前と思ってきたのが
「移動の距離に比例して情報は集まる」
という当時の経営者の言葉があります。
あながち間違っているとは思いません。
Web万能?の世の中で世界中の情報が
スマホ1台で閲覧できますが、
個人的には検索エンジン的使い方がほとんどを締めます。
究極は可能な範囲で原典にあたると言うことだと思うのです。
そういう視点で観れば前述の
「移動の距離に比例して……」は
間違いないと思います。
画面越しの人々であっても、この方は!!と感じたら、直接会って、お話をお伺いしたいと考えるタイプですね。
さて、今の行動範囲ですが、距離は短いですね(笑)
でも有要な事しかないので不便はないです。
そして、行動範囲も狭いですが
嫌な事はしてないのもあるのでしょう。
他人様の意見や考えに振り回される事がなくなり
「自己観察」或いは今の行動範囲の中での「職人的な他者」を観察し、自分との対話に繋げる機会が増えたように感じます。
なので、移動する「距離」は私の中で消えました。
人はどんな人であれ
一人では生きていけません。
一人で生きていけないからこそ
その一人である自分自身を見つめる
「自己観察」や「自己対話」が
必要だなと感じています。
スティーブ・ジョブズが
毎朝、鏡の前に立ち、33年間続けたという
「今日が最後の日だとしたら、今からやろうとしている事はやるのだろうか」
「違う」が続いたら、今の生き方を
見直す機会かもしれない」
これも徹底した「自己観察」「自己対話」
だと思います。
環境が変化しても
自分はそこに「在る」のですし
未来などわかりませんし、先回りもできません。
ならばやってきたこと
(過去の経験、体験)を一つの点とし、
今やること(やろうとすること)を もう一つの点として繋ぎ合わせていけば
前に進もうかと思えるのではない
でしょうか。
そして、丁寧な生き方ができれば
いいですね。
ここまで読んで頂きまして
ありがとうございますm(*_ _)m
今日が良い一日となりますように。
朱禪記す