これは「銀河アンドロメダの猫の夢」の私の感想と作者の読者への解説である。書きながら、気が付いたら、文章を直すこともある。文章の名人には、ふた通りあると聞く。ナポレオンがモスクワから、引き揚げた時、あの五十万のナポレオン軍に従軍したと言われるスタンダールは帰ってきてから、「赤と黒」という有名な小説を一気に書いたと言われる。こういうタイプの小説家と、フローベルのように、わずかの文章に推敲に推敲を重ね、書く作家があるといわれる。
私は良い文章を書きたいと思っている一人であるが、どちらかというと、後者のタイプで、磨いていくタイプだと、思う。だいたい、こんな風に、直接ネットに書くと言うのは、初めての経験であるから、文章が荒くなる、余計に推敲が必要ということである。
今から、二十五年前には「いのちの花園」という長編小説を書き、本にして、本屋に置いたり、知人に配った。公害問題に関心があつたので、水問題を扱いながら、原子力発電所の問題も扱った。大きな原発事故が起きる場面も書いた。当時は、原発推進派の力が巨大だったのか、私の力不足からか、反響は周囲の評価だけだった。
それから、十年ぐらいして、実際に福島で不幸にも事故が起きた時には、驚いた。悲しいいことであり、そんな恐ろしい事故は起きてほしくなかったが、作家としては、書いていることに間違いがなかったということで、さらに書くようにといわれた思いだった。
ブログを書き始めたのは、三年前ぐらい前からである。その前、十三年【?】ぐらいは、ネットは殆どやっていなかった。古い電話回線を使って、アメリカで仕事をしている知人と電子メールのやり取りをしていたぐらいで、息子は光回線をやっていた.
しかし、インターネットを始めたということに関してはかなり早くから、始めたのだ。なにしろ、出たばかりの四十万円もする高価なパソコンを買い、ホームページを作つたからだ。【それまでは、ワープロで仕事をしていた】
最初は夢と希望の船に乗った思いだった。北海道から九州までの未知の人と長いメールのやり取りをして、ネットの素晴らしさを味わっていたが、しだいに夢みたいなわけにはいかないことに気が付き始めた。ことに、ウイルスというのが出回るようになった頃、冬眠しようということになった。
そうして、十三年、電子書籍を作ってみると、ネットの重要性がわかる。
こうして、書き始めたのが、この「銀河アンドロメダの猫の夢」という小説である。銀河アンドロメダの発想は宮沢賢治の「銀河鉄道の夢」である。こんなに長い物語になるとは思わなかった。
我々の銀河、つまり天の川を見ていても崇高な気分になる。アンドロメダ銀河は写真で見るわけだが、何と美しく何と神聖さに満ちた銀河ではないか。二千億の恒星。その中に何があるか、空想に任せて書いて良い未知の異世界が広がっているに違いない。
テーマとして、今、地球は危機にある。ついこの間まで、テレビでは、毎日のように、いのちにかかわる気温を繰り返した。私の子供の頃、そんなことを言ったら、夏なんだから、暑いのは当たり前と言われたろう。最近の気象災害といい、文明の進化がプラス面だけでなく、マイナス面を引き起こしているのだ。戦争の道具も核兵器まで生み出してしまった。
武器をもって戦うというのが、人類の歴史に最初から、それは人の道でないと言った偉人がいた、
老子である。引用しておこうと思う。
「さて、立派な武器は不吉な道具で、人(物)はみなこれを嫌います。そこで、まともな道を身につけた人はそのようなものを手にする立場にはおらないのです。
道理を知る人(君子)は普段の生活では左を上位にしますが、武器を使うときには右を上位として貴びます。
武器は手にするだけでも、災いがやってくる道具で、道理をわきまえた人の手にする道具ではありません。
(敵の攻撃をうけて )やむを得ず武器を使うことがあっても、最小限(身を守るため)あっさりと使う(恬淡)のが最上です。もし戦って勝ってもよいこととすれば、人を殺すことを楽しむことになりましょう。そもそも人を殺すことを楽しむような人には、天下を支配する願いなどかなえられません。
【野村茂夫氏訳 】
戦争は恐ろしいもので、やってはならないもので、どうしたら戦争を防げるか、平和を守れるかが、私のファンタジーのテーマの一つでもあるが、戦争による悲惨、別離は数々の物語を生み出したのも事実である。例えば、小説では、トルストイの「戦争と平和」それから、ヘミングェイの「武器よさらば」など、今日はたまたま見つけた、杜甫の詩、を紹介しよう。
杜甫は有名な安禄山の乱に会い、玄宗皇帝の妃、楊貴妃が殺される悲しみを書いている。その華やかな宮殿で出会った歌手、しかし乱のあと、地方の宴会で、その素晴らしい歌をうたうその人に出会った喜びと、驚きが詩聖と言われる杜甫によってうたわれている。
岐王(きおう)の邸内で、いつも見かけた。
崔九(さいきゅう)の正堂の前で、何度も歌を聞いた。
今ここにあるのは、ほかならぬ江南の美しい自然
なんと落花の季節に、またきみに逢おうとは。
岐王の宅裏 尋常に見し
崔九の堂前 幾度か聞きし
正に是れ 江南の好風景
落花の時節 又た君に逢う 【井波律子氏訳 】
下記より、「銀河アンドロメダの猫の夢」を始めるわけですが、既に読んだ方は二度読む忍耐力があるだけにされた方が良いと思います。直しがある場合は文字を赤くする予定です。
プロローグ
吾輩は部屋の中で目をさました。なんだか、長い夢を見た。窓の外にチューリップが咲いている。黄色と赤がそよ風に揺れている。目のまえの畳の上に「銀河アンドロメダの夢」という本が置いてある。そして、ハルリラよりというメモが置かれていた。ハルリラ。ぼんやり記憶をたどると、あの魔法の異界からやってきて、アンドロメダの銀河の中で、大きな経済的格差がなく、カント九条のある国のある惑星を探して旅している一刀流の達人ではなかったか。確かに、夢の中でそんな奴と長い旅をした。ヴァイオリンが得意で、時々詩も書く吟遊詩人のことも頭に浮かび、急になつかしくなり、その本を手にした。
なにしろ、メモには寅坊さん、あなたの夢を編集して、本にしておいたから、読んでくれと書いてある。
読み終わって、何か自分が見た夢の記憶と少しずれている。ハルリラの魔法もそのくらいのものだろうと思った。
一つ、肝心のことがぬけている。魔界のことが書かれていない。これは猫である吾輩の記憶にしっかり刻まれている。ハルリラは正義という言葉の好きな剣士だから、魔界を嫌っていた。だから、この夢の世界を描いた本には魔界のことをカットしてあるのだ、そう吾輩は納得した。しかし、吾輩の見たあの長大なアンドロメダの夢を忘れないうちに正確に書き加えておかないと、魔界のことは忘れ去られ、あの「銀河アンドロメダの夢」という本は未完成のものとなってしまう。
それは寂しい。
そこで、吾輩は日課としている銀閣寺の散歩から帰ってくると、主人の銀行員の書斎に閉じこもり、本を完成させることに決意した。
まずおさえておかねばならないことはハルリラの故郷である魔法の異界と魔界はまるで違うということだ。魔法の世界は吾輩の銀閣寺周辺に住んでいる人間と同じで、違うのは魔法を使うということだけだ。それに比べ、魔界は悪を好む人が住む所で、この娑婆世界に来ると、彼らは透明人間にもなれるし、生身の人間にもなれる。鳥になることもある。相手の普通の人間に悪をささやくことも出来る。ささやくだけでなく、相手の人間の心に入り、心の中で悪をつぶやくから、人は自分がそういう悪を自分が考えていると思うが、実際は魔界の連中のいたずらなのである。
猫である吾輩は自分の記憶をたどり、ハルリラがくれた本の中に、色々と自分の記憶を入れて、本物の自分の夢を残しておきたいという欲望にとりつかれ、書き込んで、完成したのがこの本「銀河アンドロメダの猫の夢」である。
【つづく】
久里山不識
【アマゾンより、「霊魂のような星の街角」と「迷宮の光」を電子出版】