魔界とか悪魔かいう言葉はどちらかというと、西欧の言葉と思っていた。特にメフィストは若い頃、ゲーテのファウストに熱中したから、悪魔メフィストフェレスはなじみがあった。
ところが、最近、仏教の経典が集まっている分厚い本をみていたら、魔界とか、悪魔とかいう言葉を偶然見つけたのだ。日本人に馴染み深い法華経や浄土系の仏典、あるいは有名な僧の著書の中でそういう言葉を見た記憶がないから、あれは西欧のものという思い込みでいた。確かにアニメに登場する。それも西欧から来たアイデアと思っていた。【悪とか罪とか悪業とか、悪道、無間地獄、悪煩悩は仏典に見る 】
ところが、風呂から出で、ふと読書に耽っていた時、東洋の古典の中に見つけたのだ。
「首楞厳三昧経」というあまり聞いたことのないお経だ。
興味深い言葉を見つけた。
「仏は言われた。『堅意よ、そなたのいう通りである。この菩薩は首楞厳三昧に安住し、意のままになる神力をもって、一切の魔界の行為を示現し、しかも悪魔の行為に染まって汚されるということがない。天女たちと楽しみ遊ぶすがたを示現しながら、しかも実際には淫欲の悪法を受けない。この善男子は首楞厳三昧に安住して、悪魔の宮殿に入ることを示現しているが、しかも身は仏のもとの集まりを離れない。悪魔の境界に遊び楽しむことを示現しつつも、仏法をもって衆生を教化しているのである671 』
これを見た時に、今NHKでやっている西郷隆盛のある場面を思い出した。遊郭で、徳川慶喜 と西郷の出会いである。そう言えば、遊郭というのは、江戸時代の物語にはよく出てくる。
子供の頃から、地獄というもの言葉は聞くが、迷信と思っているし、そういうアニメは殆ど見たことがない。私の興味は常に美しいもの、真理にあったのだ。だから、今も仏性が一番の関心事である。
しかし、ニュースを見ていて、人の犯す犯罪のなかに、悪を見ることになれていて、現代小説を書くのには困らなくても、ファンタジイとなると、魔界が必要だなあと痛切に思った。当たり前ではあるけれど、魔界はニュースに出てこない。
それで、アイデアを若い頃、何度も読んだゲーテのファウストから、借りた。しかし魔界の様子なんて、聞いたことも、見たこともないのだから、そういうものを書くには妄想にたよるしかない。
私は若い頃、詩を書いたので、空想にはなれている。しかし、詩の場合は美しいものを空想する場合が多い。さて、困ったとなる。で、どういう風に魔界を出して、魔界がこの物語でどいう役割をするのか、読者の感想を聞きたい所です。
ファンタジイにするなら、最近の官僚の不祥事も魔界の仕業とすることが出来る。
さて、最初は「ひまわり惑星」である。
そこに、どんな住人を住まわせるかが問題になる。生き物がいなければ、物語にならないからである。ロボットの進化したのが住む惑星も考えた。しかし、ロボットの頭脳はどんなに進化しても、プログラムされたもの。やはり、地球のように、自然に進化した人でなくては人間らしい生物が出てこない。、物語にもならない。ただ、どんな、知的な生物が住んでいるのかとなると、これは難題になるだりう。何しろ、つい五十年以上前には、火星には「たこ」みたいな火星人がいると思われていた時があって、それがアメリカに攻めてきたという騒動があったそうだ。嘘のような話であるが、今は水があるということが分かって、火星の生物さがしに一生懸命であるが、おそらく微生物がいることは確かということだろう。しかし、この程度の生物では物語にならない。
タコが進化した火星人を考えるなら、どんな生物だって、人に進化する可能性があると考えるのが自然だろう。それで行こうということになった。猫も犬も虎も鹿もネズミかも進化したらと妄想してみたら、面白い、そうすると物語が出来る。
仏典に、ほとけの眉間から、光がでて、全宇宙に光がいきわたると、仏国土が殆ど無限にあるよな描写がある。ようするに、地球に似た惑星が無数にあって、いろいろな人が生きていると考えるのが自然なところと、考えたわけである。
【 そのときに仏白毫の一光を放ちたもうに、すなわち東方五百万億那由他恒河沙等の国土の諸仏を見たてまつる。彼のもろもろの国土はみな頗黎をもって荘厳として、無数千万億の菩薩その中に充満せり。あまねく宝幔を張って宝網上に羅けたり。 彼の国の諸仏、大妙音をもって諸法を説きたもう。および、無量千万億の菩薩の、諸国に遍満して法を説くを見る】(法華三部経―三木随法 編著)
(その時、世尊は眉間にある白毫から一筋の光を放たれ、東方の五百万奥那由他のガンジス河の砂の数にも等しい国土に暮らしているすべての仏を照らしたのです。それらの仏国土は宝樹や宝衣で飾られ、無量千万憶の菩薩であふれ、天の幔幕が張られ、七宝の付いた黄金の網でおおわれていました。それらの国では如来が妙なる声で菩薩に教えを説いておられるのでございます。 )(立松和平訳 )
1 ひまわり惑星
あたりは金色の優しい日差しがあふれ、ぽかぽかと温かで陽気がよく、桜が満開である。ふと気がつくと、吸う空気もおいしい。そう言えば何か夢を見ていた。教会の鐘の音が美しく、吾輩は猫であるのに、生意気にも黒い蝶ネクタイをして上から下まで立派な服装である。横にはオフィリアがいる。目がねをかけて、白い長い口髭をつけたウサギ族の牧師が結婚の誓いの言葉を読んでいる。吾輩はひどく満足していた。
「愛こそ、宇宙をささえ、夫婦をささえている。汝らもこの神の愛の前に、猫としての愛を誓え」
吾輩はオフィリアを見た。ういういしい洋風の白い結婚衣装の上に猫族のオフィリアの顔が喜びに輝いている。
何故、オフィリアなのか。そういえば、一昨日の夜、銀行員の主人と一緒にハムレットの映画を見たせいかもしれぬ。
それは吾輩の結婚式の夢だったが、吾輩はこんな楽しい夢をよく見る。この前は長いマゼラン銀河を旅した夢を見た。確か、あの時の最後はアンドロメダ銀河への旅ということで終わったと思う。本当にそんな夢を見たのだろうか。吾輩の性格が生来、呑気で、いつも朦朧とした気分でいるのが好きで、敏捷になるのはカワセミを見た時や他の猫を見たかネズミを見た時ぐらいなもので、楽しい夢ばかり見る。それだけが生きがいである。
この日も、京都の銀閣寺のそばの川の所で、目覚め、少し散策し良い陽射しの中でカワセミを見た。カワセミは好きな友達であるが、向こうでは、そう思っていないのかもしれないけれど、吾輩は好きだ。全体にブルーで、腹の方はみかん色がいい。
カワセミを見たあと、何故か、吾輩は吟遊詩人の面影を追っていた。
どこかに、内の銀行員の主人と似ているような気もするが、やはり、詩人は違う。もっと、ハンサムである。それに、声がいい。主人のは、動作から、がさつだが、詩人は優雅である。主人の顔は四角く、白いが、詩人は細面で、浅黒い。
主人の目は、大きく怒ったりするが、詩人はいつも微笑している。
その時、カワセミがないた。うっとりするような声で、吾輩は吟遊詩人の声に匹敵すると思って、詩人の名前を思い出そうとしたが、思い出せず、美しい陽射しの中で、眠くなった。
気がつくと、アンドロメダ銀河鉄道の中にいて、「ぼくだよ。詩人のカワギリ【川霧】だよ」という声が聞こえた。青磁色のジャケットを着た背の高い詩人が立って、後ろにいる和服姿の侍を「ハルリラ」と紹介した。
吾輩の座っている席は空いていたので、詩人は吾輩の前に座り、ハルリラは横に座った。アーモンド型の詩人の優しい目は、きらきら輝き、唇にはほのかな微笑が浮かんでいた。腰に日本刀をさしているハルリラは若々しいが、童顔を隠すかのように、いかめしい顔つきをしていた。
「ここは」と吾輩が聞いた。
「向日葵惑星が近づいてきたよ」と詩人のカワギリはうれしそうに笑った。
虚空のいのちにさざ波をたてるかのように鐘の音が鳴り響き、東の空から、太陽より少し大きい緑がかった赤い恒星が昇り、その横に銀色に光る星はダイヤのような宝石に見える。青みがかった空には、遠くを白い蒸気を吐き出してゆっくりと、逞しく走るSLが小さく見える。
我らがアンドロメダの惑星の駅から、その不思議な惑星の地上に降りていく動く雲のような長い坂を下りると、いつのまにアンドロメダの宮殿のような駅は金色の雲のなかに隠れた。
その惑星の町の朝が旅人を迎えるかのように、緑と花の多い街角が現われ、銀杏のような形の赤い花がひらりと落ちてきて、柔らかな陽射しが平地を光の絨毯のようにする。
東の赤い恒星の下を走るSLは玩具のような郷愁をかなで、あちこちに小鳥の声が響き、生命への賛歌が聞こえるようだ。
広場にある巨大な噴水が赤や緑や黄色の光を放ち、白い澄んだ水の美しさを浮かびあがらせる。ここは何という惑星なのか、吾輩は大空のある所から向日葵のように見えた惑星の姿を思い出した。
噴水のそばで、姿勢をきちんとして、ペンギン族の老人が何やら喋っている。
吟遊詩人の半分ぐらいの背丈なのに、灰色の顎ひげは大地にまで、届きそう。
頭の上はつるつると光っている。目は丸く小さく、足が気の毒なくらいひどく短いが、杖を持っている。民族衣装風の赤や黄色や緑そしてブルーが格子じまにまざりあったジャケットをはおっていた。
声はやわらかな歌うような響きのある小声で、なにやら重要なことを喋っているようだ。
「最近、わが惑星に異星人がきて、権力を手に入れようとしているようだ。特に、清流の坂瀬川の上流にある銅山に異星人の本拠地がおかれているときく。
新政府には、大砲をつくることを勧め、銅を買うように交渉している。
銅が我が国の発展に重要なことは、わしもみとめる。最近、馬車と一緒に走っている自動車というのに、この国では採掘の難しい鉄ではなく、豊富な銅を使っている。正確に言うと、銅とすずの合金である青銅が使われている。
エネルギーはガソリンだが、排気ガスがひどい。車の後ろから吐き出されるガスを吸うだけで、たいていの者は気分が悪くなる。それに、銅は下流に鉱毒を流しているというではないか。あゆが死ぬ、水をひいている田の稲が枯れるというではないか。
わしは予言する。この芸術を愛する麗しの我らの惑星も、このままいけば、空気と川は汚れ、道は騒音であふれ、景色は美観を失い、人と人の親しみは失われ、人々は神を見失う。いたる所にいる神々の方でも、そうした惑星には愛想をつかし、姿を隠す」
彼の肩には、九官鳥がいて、「異星人に気をつけろ、」と言い、老人は馬車に乗った。
「もし、異星人とは」と吾輩は思わず、かけより聞いた。
ペンギン族の老人は、吾輩をじろりと見て、「今だに鋭いつのを頭にはやしているサイ族だよ。普通は余計なものは退化するのだが、サイ族だけは違う。わしは、民族平等主義者だが、サイ族だけは、油断がならんと思っている。もっとも、魔界から来た連中だという情報もある。もしも魔界から来た連中とすれば、ことは厄介だ。何故なら、魔界の連中が何を考えているか、わしとても見当がつかないからな」
「魔法界とはそんな恐ろしい所ではないぞ。魔法界の多くは善なる意志が貫かれている」とハルリラが言った。
「魔法界ではない。魔界だ。魔界には悪魔メフィストが支配する悪の異界だ。魔法界と区別するために、毒界という場合もある」
「毒界。うん。それなら、知っている。あそこは悪いことばかり考えている連中が多い、良いことをしょうとする人を邪魔しようとすると親父から聞いた」
「そうだろう。しかし、あの異星人はやはりサイ族じゃよ」
「何で」
「わしの直観だ。それでも、気をつけた方がいい。確かな情報があるわけではないのでね」
老人が立ち去ると、ハルリラはいきなり、大刀をぬいて青空に向けた。
「わしの正義の剣が悪をほろぼす」と言って、しばらく日差しが長い銀色の刃に輝いているのを眺め、それからさやに納めた。
「向日葵の惑星も問題がありそうだな。ともかく、わしにとっても、初めての所だ。ここがわしの志と合う惑星だといいのだが、やはりペンギン族の長老が言ったことは気になる」とハルリラが言った。
「今の所は町は綺麗ですし、あの変な車も滅多に通らない。それでも、鉱毒というのは心配ですね。」と吟遊詩人が言った。
「坂瀬川といったな。そこへ行けば分かるだろう。その内、分かるさ」とハルリラは答えた。
しばらく行くと、両側に柳の巨木が立っている砂利道を三人で歩いていくと、城をつくり、この町の基礎をつくった人の銅像の立っている小さな広場に出た。そこに鹿族の若者が座っている。
鹿族のつのは退化しているし、サイ族のようなごつい顔立ちでなく、卵型のやさしい顔つきである。彼はよれよれのズボンに、着古した茶色のジャンバーをはおっていた。、
その広場から、二つの道が分かれていた。
右手には花壇の横に、石畳の道がずっと続いている。
左手は普通の砂利道である。
「どちらが城に行くのかい」とハルリラが聞いた。
鹿族の男は「もちろん。花壇の方さ」と指さした。
「もう一つは邪の道だよ」
「変わった名前だな」
「それはそうだ。行きつく先はサタンのいると言われている洞窟があるからな」
「サタンなんかいるわけないだろう」
「いるんだよ。邪の道を説くんだよ。愚かさを知る正道を忘れ、悪を好み、愛語のないレベルの極度に低い邪の道を説くサタンがその洞窟を出入りしているらしいが、その姿を見たものはないと言われる。ともかく、その洞窟から魔界に通じているという噂がある。いのちの深さを知ろうとしない産軍共同体の悪への誘惑と同じ道だ、その邪の道を説くサタンはいるのだよ」
「俺たちは城を目指しているのでね。そんなサタンに興味はないよ」
「それなら、その薔薇の花の咲く花壇のある道を行くことだよ。そちらには面白い人たちがたくさんいるからね」
「面白い」
「誠実な人。愛に満ちた人、少し意地悪な人もまじっているから気をつけな。しかし、多くは良い人たちで、心底から平和を願う人達が住んでいる」とその鹿族の若者は微笑した。
どこからともなく、吾輩の耳に聞こえた。
「旅が始まる 不思議な旅が
アンドロメダの街角は善があるのか悪があるのか
春のような日差しがわが心を天にのぼらす
鳥の声、青空にたなびく白い雲
地球とどこが違うというのか
けれども、どこからか魔法の笛が聞こえてくる
目の前に、巨大な美しい花が蜃気楼のようにたちのぼり、
何と、赤い唇がほほえんでいるではないか」
吾輩は砂利の道がちょっと気になって、双眼鏡を出し、サタンの道の向こうを見ると、女が立ってこちらを見ている。眼鼻だちの整った美人であるが。眼が緑でどこの民族か分からない。年は三十には届かない感じで、肌は白く、髪は金色に輝いていた。ハルリラが吾輩の様子を不審に思ったのか、双眼鏡を奪うように取り、自分で見て、「興味ない」と言った。ハルリラは吟遊詩人に双眼鏡を渡そうとすると、詩人は受け散らず「出発」だと言った。
【つづく】
久里山不識