しばらくそこに滞在していると、カナリア国から十八才の娘がやってきた。
我々は伯爵と若者モリミズと一緒に、波止場に出迎えに行った。暑い風が海から吹いていて、日差しも強烈だった。湿度が低いので、摂氏四十八度という猛暑の中でもなんとか歩けるが。
ともかく町が地下につくられる理由が分かる。
彼女は巌窟王の娘であるから、ヒト族だった。しかし、吾輩は彼女に会うまではそのことを忘れていたようだ。ヒト族の娘の特徴は鼻と目と口元のバランスが良いということだ。それが細面の顔という額縁に綺麗におさまっているし、黒髪の美しさは虎族の黄色よりはさらに美しいと思ったほどだ。
それに、彼女の場合、悲しみに耐えてきた気高い美しさがあった。
彼女は伯爵の叔母の家に、ソロ弁護士と一緒に案内された石炭のエネルギーで冷気を送られた地下の邸宅だった。そして、伯爵と叔母の家は近かったから、伯爵は 巌窟王と娘の心身の心構えが出来た一番体調の良い時を見計らって、二人を対面させる手筈をとったようだ。なにしろ、十五年も会っていない親子だ。そういう細かな配慮をする中にも、吾輩は直感するものがあった。ウエスナ伯爵と娘との間に、男女にある微妙なある種の引力が働いていると。
そこまでなら、吾輩は別に珍しくもない、当然の姿と思ったのだが。
不思議なことに、吟遊詩人の顔つきに不思議な憂いの表情が時々浮かぶのは例の慢性胃炎かと思うようにしていたのだが、今度の場合はそうではないらしい。
詩人にとっても、久しぶりに見るヒト族の娘だけに、何か郷愁以上のものを感じたとしても不思議はあるまい。
まあ、こういうことには、吾輩の出る幕ではないが、三角関係となると、厄介なことが起こりはしないかと案じられる。しばらく注意深く見守るしかあるまい。
ある日、シャンデリアの輝く広間で、我々が歓談している時に、上の入口から執事に案内されて、トパーズ色の光に包まれて、ヒト族の娘が頑健な弁護士ソロと一緒に入ってきた。反対側の下の階段を昇り、やってきたのが巌窟王だった。巌窟王は既に、十五年の辛苦を耐えて病弱にはなっていたが、しっかりした足取りで広間に立った。
吾輩から見ると、左手にヒト族の娘、右手に巌窟王が殆ど同時に立ったのだから、予期していた出来事とはいえ、少し驚いた。吾輩の前にいたウエスナ伯爵が立ち、娘の方に行った。二人は挨拶を交わした。
その間に、巌窟王は娘と伯爵に近づき、娘も巌窟王に近づいた。
華やかな薔薇などの花の模様のあるステンドグラスから洩れて来る光が巌窟王と娘の背後から、何とも言えない天国のような明るい空間をつくり、ここが地下であることを忘れてしまう程だった。
互いに一メートルほどの間隔になった時、足を止めた。
「シクラメンか」とカーキ色の厚手の服に青白い顔の巌窟王は震える声で言った。
「はい。そうです。お父さま。シクラメンです」と絹のように軟らかな紫の服を着た彼女は涙声だった。
「わしが父だと分かるか」
「はい。直感で分かります。三才で別れたので、かすかな記憶しかありませんけど、確かにあなたはお父さまです。よくぞ、ご無事で」
「わしは覚えているぞ。そなたの幼い顔、やわらかで小さな身体をこの手で何度も抱きしめたことを」
「森の中で遊んだことをかすかに覚えております」
「そうか、そこは川が流れていた。釣った魚は最高にうまかった」
「あたしも食べましたの ? 」
「食べたの何の。母親より食べたぞ」
「ああ、お母さまは何とお気の毒」
「そうさな。わしが逮捕されるのをソロと一緒に阻もうとして、兵士に刺されてしまった。ソロも危なかったが、彼は身のこなしが素早く剣をよけることが出来た」
「ああ、可愛そうなお母さま」と娘は言いながら、涙を流し、巌窟王の胸にひしともたれかかった。巌窟王はしかと娘のシクラメンを抱き留めた。
こうしてしばらく、二人は抱き合い、かすかな言葉の交換の中に、二人の愛の絆の深さを確認しているかのようだった。
伯爵は我々の座っている広間の大きなテーブルに二人を案内した。
「これで、無事、親子の対面はできた。あとは、一刻も早く二人でカナリア国に渡ることですな」と伯爵は言った。
「今の時期に、故国を去ることは悲しい。監獄の地図が出来、革命の嵐の時に、仲間の政治犯三十人が助かるのをこの目で確認したい」と巌窟王が言った。
「いえ、それはなりません。そのためにこそ、娘さんがあなたを迎えに来たのです。あなたは十五年の疲労をしょっておられる。監獄の地図も書いた。十分、職責をはたされたわけで、騒乱が起き、危険なことが起きる前に、カナリア国へお渡り下さい。あなたを支持する昔の患者の市民もそう願っています」
「お父さま、そうなさって下さい。そのために、あたしが海を渡って、お迎えに参ったのです」
ウエスナ伯爵は吟遊詩人の意見を聞いた。詩人の見識を高く評価していたのだろう。
「私はフランス系アメリカ人と普通、言っているのですが、母は日本人です。しかし、父方の先祖にはフランス人の血も入っているのです。ですから、子供の頃、フランスの話はよく聞かされたものです。今、この惑星のロイ王朝で起きていることは、地球の歴史の中でも最も劇的なあのフランス革命に酷似しているのです。
ですから、私の話も参考になると思います。
革命の動乱になりますと、巌窟王のように市民に尊敬されている人はロイ王朝からすると、眼の上のたんこぶですから、攻撃の標的にされます。それに巌窟王は身体が弱っておられる。この革命に参加することは娘さんの保護者の立場から言っても避けるべきでしょう。」
そのあと、しばらくして、二人の親子は、娘は旅の疲れを癒すために、父は身体を休めるために、執事に案内されて部屋の方に行った。
弁護士のソロと伯爵はしばらくカナリア国の政治状況が安定していることを話し合っていた。
カナリア国はいい。温暖化現象は惑星全体に及んでいるが、カナリア国は緯度が高いために、こちらよりも気候はやや穏やかで住みやすい。
それでも、一年中、多少の波はあるが、三十度近い。そのように、気候もこちらに比べると穏やかで住みやすい。今頃は熱帯植物ハイビスカスに似た赤い燃えるような花が咲き乱れているに違いない。それに優れた文化を持つ。民主主義が確立されている。
ただ、個人のトラブルはどういうわけか増える傾向にあるから、ユートピアというわけにはいきませんと、ソロ弁護士は豪傑笑いをした。
吾輩は吟遊詩人の憂いに沈んだ顔を見た。その顔は、巌窟王がいつ故国に帰るか、数日たったにもかかわらず、はっきりしない。それが憂いと悲しみと喜びを交錯することを加速させたようだ。
その間にも、虎族の若者モリミズはスピノザの講師として招かれ、外へ出る機会が多かったのだが。
ある時、その会合で、ウエスナ伯爵がスピノザ論を言っているような所を吾輩は耳にした。勿論、吾輩達は出席が許されているわけではないから、これは偶然のいたずらとも言えよう。それから、吾輩の猫族の耳の良さ、感度の高さというもので、この時ほど、猫に生まれたことの幸運を思ったことはない。
壁の向こうで、ウエスナ伯爵は言っていた。
「モリミズ君のスピノザ論によると、全ては神の変身したものであるけれども、個人、個人、そして、森羅万象の物質という風に現象してしまうと、そこに大きな川の流れにあちこち渦が巻き起こるように、激しい動きが起こるという話だ。
熊族のロイ王も虎族の貴族も鹿族の多くの人もみんな神仏の変身したものであるにもかかわらず、みなその出身を忘れ、争うようになる。その争いの元はエゴと一体になった欲望だ。神仏は一つ。だからこそ、人間も一つのいのちの流れ。そこに差別や、格差があってはならない。格差の固定化をもくろむのは、既成秩序の中で営利をむさぼる連中が執着を起こしているからだ。
個人のエゴが激しくなると、本来の神仏は一つ、ワンネスを忘れてしまい、人間と人間の関係がどんどん壊れ、自己のことばかり考えて、他者を傷つけるようなことを平気でするようになるそうだ。
今度の軍備の増強も、武器製造会社の欲望によるものだ。マゼラン金属の取締役フキという女がロイ王朝に武器を売り込もうとしている。」
吾輩はフキという名前で、ティラノサウルスホテルで見た、あの宝石で顔じゅうを飾ったような金持ちの虎族の女性を思い出した。
伯爵は話し続けていた。
「カナリア国を攻めて、何の意味がある。互いに軍拡を進めて、そんなことに大金を使うなんていうのは愚の骨頂。戦争になれば、苦しむのは庶民。カナリア国の優れた文化を理解し、ロイ王朝の歴史や鹿族の文化についても相互の理解を深めてもらえれば、軍備なんて最小限ですむ」
吾輩は思った。武器には人を殺したいという意思と魔性がある。これは猫の直観である。
伯爵の声はさらに吾輩の耳に響いた。
「そんな大金があれば、福祉施設の充実、町で言えば、病院や学校、託児所を増やし、路面電車をつくることを考え、天才ニューソン氏の提唱する水素社会にする方がどれだけ、庶民のためになることか」
壁の向こうから聞こえた伯爵の話は、少し、聞き取りにくい部分があったが、
そんな風な内容だったと思う。
こんな風にウエスナ伯爵のもとには、毎日十名近い人達が来て、何やら密談しているようだった。
ロイ王朝を倒す決行の日が迫っていることを我々は感じていた。我々は庭園を散歩して毎日を過ごしていた。
娘はどうなるのだろう。どうも気のもめることだった。
もしも、革命が失敗すれば長い監獄行きか、死刑が待っている。そういうことであれば、娘を安全な所に避難させるのが、普通のやり方だろうが、巌窟王の判断がにぶっているのか、それとも海を渡る天候の具合を見ているのだろうか。確かに、ここしばらく天候がよくなかったことは確かだ。
巌窟王が隣のカナリア国に避難する、という考えが浮かぶとなると、我々はどうするのだろう。危急の時に、アンドロメダ銀河鉄道の素晴らしいイラストの入ったカードはロイ王朝の兵士に役に立つのか、あの虎族のヒットリーラの時は金のコートが役に立ったが、今度はどうだろう、その辺も吾輩の関心事だった。
巌窟王と娘がカナリア国に出発した翌日の昼、虎族の若者モリミズが大慌ての様子で、そしてちょっと青ざめた様子で「ナナリアがつかまった。やはり、もつと強く言っておくべきだった。あれほど、この惑星には来るなと言っておいたのに。取材って、何の取材だ。彼女の職業は何なのだ」とちょつとヒステリックな調子で言った。
吟遊詩人が「どうしたのですか」と問うた。
「あの銀河鉄道にいた猫族の女の子ナナリアがいましたよね。あれがこの惑星に降りましたよね。それで、つかまってしまったのです。あの子には、この惑星は危険だから、次の惑星に行きなさいと言って、同意してもらったから、あの駅で降りるとは思わなかった。駅で出会った時に、強く引き返せとでも言うべきだった。取材とか行っていたけれど」
と若者モリミズはかなり取り乱したような感じだった。
「何かそういう職業についておられたのですか」
「いいえ、私は彼女の職業についてはよく分からない」
そこへウエスナ伯爵がやってきた。
「どうしたのだ」
彼は説明した。
「取材で、猫族となると、ABC監獄に入っている公算が高い。あそこは守りがそう固くはない。うまくすれば、看守を買収 出来る。なんとか、助け出すことは出来るだろう」と伯爵が言った。
「本当ですか」と若者モリミズが言った。
「出来る。君もついてくるか」
「はい」
「わたしも一緒に行かせて下さい」と吟遊詩人。
「あのABC監獄には、サル彫刻が雨の日も風の日も番をしているのです。あの猿と話するためにも、僕も行きますよ」とハルリラが言った。
「サル彫刻が」
「サル彫刻が私に魔法のメールを送ってくるのです」
「何て」
「会いたいって。奴は魔法界から、ある使命をおびてABC監獄にいるのです。あそこの兵士に聞いてみれば分かりますよ。いつの間にか、門の所に、サル彫刻があったと言うに決まっています。あまりに気品があるから、狐につままれたとね。魔法に、彼らは幻惑されやすいですから」
「サル彫刻の使命は」
「監獄に入っている政治犯がいるからこそ、よその惑星から来た我らのような武者に知らせる役目をおっている。伯爵に聞いてみて下さい」
「うん」と伯爵は言った。「何か気のようなものを感じた。ナナリアさんのことを考えた時、ふとABC監獄の建物が目に浮かんだからな。ハルリラ君の言うことは当たっているのかもしれないな」
「あの猿は」とハルリラは言った。それから、ちょつとした沈黙があって、そのあと、急にはきはきした声で言った。
「宇宙の目に見えない真実が形を取って、猿という彫刻になる、そんな感じがするのです。これは魔法界の最高の秘術と言われ、私もその中身については皆目分かりません。ただ、そういう事実があるということしか。
宇宙には真実がある。その宇宙の真実から舞い降りてきたとしか言いようがない。稀有の魔法界の芸術品です」
「そりゃ、いい。あの猿は君となら話をするかもしれない」と伯爵は言った。
「当然しますよ」とハルリラは笑いました。彼のような武人には珍しいような朗らかな美しい笑いでした。
大切なことは目に見えないと教えてくれた童話を吾輩はふと思い出しました。そんな思いで、吾輩は皆と一緒に猫族の娘ナナリアさんを助けに行くことになったのです。
【つづく】
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