NewYork 9.11テロ 天国から地獄へ

2011・9・11日NY Manhattanの37・38階で、私は恐怖の中に。
「歴史の生き証人」として語り継ぎたい。

9.11・・・2001・9・26

2005-10-26 15:49:13 | Weblog

2001・9・26

 

 

 

 

 

 

・NewOrleansに行った時、小さく見かけも悪いりんごが安くてこくが、あり美味しかった事を、思い出しました。

 

 あれは、すごくおいしいですよね。

直径5センチぐらいで。

 

・ 物流は、元に戻ったのでしょうか。

 

最初から、不足は有りませんでした。

当日は、テロという事で、スーパーが混みましたが。 前にも話しましたが、私のいるアッパーイーストサイドは、WTCよりは6.5キロ位離れています。

(Office は、6キロ 位。ミッドタウン)

従って、影響は、風向きによって、煙が来たくらい。

 テロによっての犠牲の方や、経済その他を考えなければ、生活も風景もいつもと変わり有りません。

ご存知 マンハッタンは、きゅうりのように細長い。

 ・WTCは、ダウンタウン

・縦のきゅうりの南下の左1部。

・ 夫の会社は、ミッドタウンきゅうりの真ん中。

 ・真ん中より北が・・・セソントラルパークを挟んで、左の部分がアッパーウエスト右がアッパーイースト。

・ セントラルパークの終わる100ストリートより北がハーレムです。

 

 >ボストンでは、海の物も手に入り易いとききますが、NYでは、いかがですか。マンハッタンの中心地なので、東京と同じように、良い食材が集まり不自由はないのかも。とにかく旬のもので、疲れを取って、お二人とも、お大切に。

 

 NYは、日本食材店があり、何でも手に入り、刺し身は、日本と同じ位、もしくはそれ以上においしいです。但し値段は、すべて日本の2〜3倍はします。

お元気で。

というわけで、今日も元気です。 M美さん、いろいろお心遣いいただいた事と思いますが、またの機会に。

 3人ともお元気でね。日本も、北京も、気をつけて。

 


9.11・・・・2001.9.27

2005-10-24 11:33:22 | Weblog

2001・9・27 11:30

 

 

 

 

 

 

 Tさんメール有難う。

 Yさん北京から、電話有難う。

 2人ともおばあちゃんの所へ行ってくれるそうで、喜んでいました。ありがとう。

 頭の中がこんがらがっってしまって。

 精神と身辺整理のため、日本に帰るとフラワーショップに行って10日程休みを取ってきた。

 こんな時やる事が他にあるような気がして。

 私は、フラワーショップの仕事にどれくらいのウエイトを置くべきか。と。

なにせ・・・・”歴史の生き証人”ですからね。

 あなた達もすごい親を持ったものよ! へへへ・・。

 「おばあちゃま(ここは、お嫁さん、孫には、「春美さん」と呼んでもらうかも・考慮中) WTCすごかったの?」

「そうよ・・・だったのよ。」 とかね。

 日本帰国取り止め。

 これは、日本から、会長・社長その他の方の取り止めを受けたもの。

ニューヨークの所長として、危険時に10日も帰国していては? という夫んの遠慮もあって。

 メールのある時代。

忙しさは、勿論ですが、いろいろと 苦痛を伴う判断があって、ここの所大変でした。

精神的に、肉体的に。 経費削減で、ここを売りに出すかも。

それに伴う不動産売りの件。

売りの前は、メンテナンス。他人が、家には言ってくる事が多くなる気遣い。

 はっきりし次第連絡します。

夫とは、時代の流れに逆らわず、欲を捨てて生きていこうと。

 こんな精神的な苦痛を伴う時に、なんで転居?と思いますが。

 人生いろいろ、世の中いろいろ。

Tさん、いつもこんな判断を迫られているのでしょうね。

心中お察し申し上げます。

Mさんの精神的な助けを得て、仲良く頑張ってください。

 今度のテロは、要注意ですね。

ラディンのような人間にかかったらどう仕様もありませんよね。

オウムを大きくしたような事件ですね。真珠湾・サリンとこちらでは、JAPAN が、不名誉なニュースに出てくる事が、多くなりました。

 私は、地下鉄N・Rには乗らない事にしました。

移動はバス。空からの散布と水は、避けられませんが。ネ。


9.11・・・9.25

2005-10-13 15:54:56 | Weblog

 

 

 

 

 

 

 

 

Aさんメール有難うございました。

NewOrleansに行った時、小さく見かけも悪いりんごが安くてこくが、あり美味しかった事 を、思い出しました。

 あれは、すごくおいしいですよね。直径5センチぐらいで。

 > 物流は、元に戻ったのでしょうか。

 最初から、不足は有りませんでした。当日は、テロという事で、スーパーが混みましたが。

前にも話しましたが、私のいるアッパーイーストサイドは、WTCよりは6.5キロ位離れていま す。

(Office は、6キロ位。ミッドタウン)

従って、影響は、風向きによって、煙が来たくらい。

 テロによっての犠牲の方や、経済その他を考えなければ、生活も風景もいつもと変わり有り ません。

ご存知 マンハッタンは、きゅうりのように細長い。

 WTCは、ダウンタウン・縦のきゅうりの南下の左1部。

 主人の会社は、ミッドタウンきゅうりの真ん中。

真ん中より北が・・・セソントラルパークを挟んで、左の部分がアッパーウエスト右がアッパ ーイースト。

セントラルパークの終わる100ストリートより北がハーレムです。

ボストンでは、海の物も手に入り易いとききますが、NYでは、いかがですか。

中心地なの で、東京と同じように、よい食材が集まり不自由はないのかも。

とにかく旬のもので、疲れを 取って、お二人とも、お大切に。

NYは、日本食材店(かたぎり)では、何でも手に入り、刺し身は、おいしいです。

但し値段は、日本の2〜3倍はします。


9.11・・・9.25

2005-10-13 15:50:44 | Weblog

2001/9/25 9:15

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も無事でした。

 日本も、狂牛病は大変デスネ。

気をつけてください。

 日本帰国は、今朝会社からのメールで、取り止めになりました。

「こんな時期、こちらでの業務に専念する。」

と夫の申し出への返事で。

今は、公にはされていないようですが、やはり戦争状態なのだと思います。

テロへの制裁は当たり前で、これは報復というのとは、ちょっと意味が違うようです。

 [こんな人間の尊厳を、存在すらを無視するやり方は、許しておけない。]

という事です。世界の殆どの国の世論がアメリカに同意している中で、日本は?

やはりこちらにいますと、日本という国の特殊さを思わされます。

 

 アメリカの陸・海・空軍を 見る機会がありました。

それは見事で、国民の税金でそれを許しているアメリカという国の、名実共の超大国としてのすごさを実感しました。

NATOの動きもこれを知ってのこと。

 

 私は、戦争は嫌いです。

いまだにここに住んでいると、真珠湾攻撃の件で、肩身の狭い思いがします。

 戦争は末代までも尾をひきます。

だから、戦争は、してはいけない。

 でもテロは、許しては、いけないと思います。

 

今度の事は特殊です。そして、今後もありうる事なのです。もっと危機感を持って対処しないと。

メディアの方向性の怖さも実感しました。

 現にマンハッタン全体がメチャクチャのようなイメージを受けるでしょうが、現場は、ダウンタウンの1部だけ。

 悲惨さは、言いようも有りませんが。

テレビ画面の怖さ。湾岸戦争の時のあの水鳥は、”やらせ”だった。とか。

 

アメリカでは、淡々とニュースを報道していた。

テロの残虐さから言うと、我々もいつ巻き込まれてもおかしくない。

 地下鉄、空からなどの毒ガス、水への混入など考えると。でも今回は、日本も 世界中のどの国でも、いつこんな事があってもおかしくない。

世界中がその危険にさらされているという事です。

今回のようにアメリカが1体化したのは、すごいです。それに諸外国も。

まだまだ書きたい事が、1杯ありますが、今からフラワーショップ。

 アメリカかぶれをしたとお思いでしょうが、私たちは、もう少し世界の中の自国の位置というものを考えていかなければ。

貧しい常に他国からは相手にされない国として、生きていかなければならなくなるかも知れないという事を実感しました。

 今回、小泉さんが、英語で意見を言えたという事は、素晴らしい事でした。

 元気です。

 


9.11・・・9.16

2005-10-13 15:41:57 | Weblog

2001/9/16 20:00

 

 

 

 

 

 

 

正直言って、すごく疲れました。

テロという見えない相手。

もしやの不安。

何処にいても、もし・・が頭を過ぎります。

安全は解っていても。

こんな中で、国際的な交渉や、復旧作業にあたっている人には、頭が下がります。

夫も大変なのに良く頑張っています。

日本の事も心配です。

テロに対する対策は。

やはりとんでもなく恐ろしい事が起きているのですね。

残虐さは、尋常ではありませんよね。

元気でいますので、お知らせいたします。

1番寝たら、又大丈夫。


9.11・・・9.15

2005-10-13 15:36:27 | Weblog

2001/9/15 24:00

 

 

 

 

 

 

 

昨夜は(金曜の夜)、疲れてへとへとで早く寝た。

神経が疲れていてので、眠れずに起き出して、アラブ関係の勉強をした。

完全に次元の違う人たち。

でも難しい。思想・宗教は。

 テロとしては、大成功なのだろう。

私ですら、関心を持たざるを得ないのだから。

 犠牲者の数。怒りと悲しみが沸き上がる。

こんな事が・・起こせるなんて。

許せない。

 昼食の時、夫が、アルバムをテーブルに。

 ワールドトレードセンターの写真のページを広げた。

トレードセンターの上に指を置き「もうこれが、なくなっちゃったんだよ。」と。

 現地で働く者にとって、つらい事は山ほど。

でも日本人の設計によるあの美しいビルは、私たちに勇気と希望を与えてくれた。

 どんなにあのビルに慰めと力を与えられた事か。

 日本からの人も、アメリカの人もそして、世界中の人が。

怒りが体中に走る。

今日は、午後から、セントラルパーク・ブロードウェイに様子を見に。

 セントラルパークは、たくさんの人が運動をしていた。

皆、かなりのストレスを抱えているのだと思う。

 こちらの人は、精神面のケアについては、熱心に取り組む。

ボランティアも励む。

自分のストレスも積極的に取り除く。

 ブロードウェイは、異常に人が少なかった。

観光の街。

飛行機が飛ばないのだものあたり前か。

ナスダックも星条旗を写しているだけで、動きを止めている。

殆どが、星条旗を。

いつもと違った風景。

 ワールドトレードセンター は・・・ ダウンタウンにある。

 シーグラムビル(主人のオフィスはこの中)

・・ミッドタウン

6キロ位 私の住んでいるビル・・・アッパアーイースト64st・・・8キロぐらい離れている。

というわけで、私達の住まいとは位置的には、離れています。

煙が見える程度で、生活には、支障は有りません。

 でもTVで悲惨な様子を見ると憤りと悲しみで震えます。

 少し疲れが出てきています。

又おしられせします。


9.11・・・9.15

2005-10-13 15:27:30 | Weblog

2001・9・15 8:00

 

 

昨日は、電話もメールもつながらず。

 午前は、家に。

何事もなし。

 テレビのニュースは、日本もアメリカも同時と思います。

 午後は、ブッシュ大頭領がNY入りをしたのをTVで。

大統領の援護にファントムなのかコンコルド型の戦闘機が、爆音を立ててスクランブルして飛んでます。

 4機姿を見ました。後は、音のみ8回くらい。

 生活は、普通。

又書きます。

 

 

肉体的には 疲れマックスデス!!が

精神的には 大分落ち着いてきました

 

「落ち着いて 人生を 送ろう」 と 思うようになりました

 

 


9・11・・・9.13

2005-10-12 15:49:13 | Weblog

2001 9・13

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は、朝メールを打って10:30に花屋に。

 途中66ストリートから68stまで、軍隊のトラックと迷彩色の軍隊がズラーと。

迷彩服の隊員に「 何しているの?」と聞く。

「ワールドトレードセンターのことで待機。」とのこと。

 緊張感。

軍隊と市バスが一緒の道路に動いているって、すごい光景。

 こんな時に迷彩色の人を見ると頼もしい。

 やはり厳戒体制なのだと再認識。

 テレビで見ていた中東の市民が軍隊と一緒にいるのを大変痛々しいと見ていたが、もはや自分がそれ。

 大使館へのストリートも閉ざされていた。

やはりアメリカ人の考えでは今は戦争なのだと、実感した。

夫も私の安否より会社の事の方が先だろう。

 

 それなら1人でいるより花屋にいた方が。

 フラワーショップのみんなは、ニューヨーカーで、土地感も有るし逃げる時も1諸に逃げれば良い。

「逃げるのを助けてもらえるかもしれない。」と思い花屋に向かう。

皆怖さもあるし、緊張もしているしで、異様に明るい。

 すぐ帰るつもりが、花のアレンジに時間がかかって、1:30に家に。

 すぐにメールを打とうと思いメールを開いた。 金融関係が怪しくなるというので、急いで、1階のシティイバンクにお金をおろしに。

カードでは、今朝$10おろしたので、もう防犯のためにおりない。

 2階に行って窓口で「国に帰るのでお金が要る。」と言って、多額をおろした。

 当面郊外のホテルに泊まっても良いくらい。または日本への2人の飛行機代の倍ぐらい。

マンハッタンに1ヶ月篭城できるくらい。

 

免許書とサインで、こんなにたくさんのお金がおろせるとは思わなかった。

(ニューヨークで取った私の写真入りの自動車免許・実技の時は英語の指示に従い、左運転の実技と、本当に大変だったが、

泣きの涙のあの努力が、こんな時に本当に役に立った。)

 ID代わりにパスポートがいるなら、家まで引き返さなければならなかった。

そんなことをしていたら、お金がおりなかったと思う。

 窓口の黒人の姉さんは鼻歌交じりで数えてくれた。。

忙しいから受け取って帰ろうとしたら、その場で数えろと。

 身体で隠して皆の前で一生懸命数えたよ。何とぴったりあっていました。 「ありがとう。」

 「テイクケア!」だって。

この明るさが、アメリカだよね。

 その間私の後ろには、10人ぐらいの人が。

 さすがに多額のお金 。

腰ベルトに入れて、家に飛んで帰って壷の中。

あの列は、金を持って歩かないアメリカの人が、皆$10以上おろしているって言う事になる。

でも事件の日の、買い物30分待ちは、現金支払、10品以下の列だったからで、カードだったら、50分は待たされたよきっと。

 というわけで、水 食料 金と3種の神器がそろいました。

 そして、”火事場の馬鹿英語!”

 夫は、「グランドセントラル駅に爆弾。」

との事で、昼頃2時間ぐらい非難させられたとか。恐かったでしょうね。

 フラワーショップにいた時のけたたましいパトカーのサイレンはそれだったのか。

 明日は、レノックス・ヒル・ホスピタルに献血に行ってきます。

 せめて私の血を、アメリカのために使っていただくつもりです。

最後まで、冷静で、元気1杯気を抜きながら、頑張りますので、心配しないで下さい。


9.11・・・9.13

2005-10-12 15:38:46 | Weblog

 

 

 

 

 

 

 

みなさま優しい言葉とアドバイズありがとうございます。

 ここからの感じでは、街は普段に戻りました。

 クイーンズ・ボロ・ブリッジから、マンハッタンに車が入ってきているので、食料も確保されるでしょう。

水もお風呂に張りました。

 高層の火事の怖さは、2年前に近くのシナゴグが焼けて、巻き添えになるかなと、恐かったので身にしみています。

 今回はここにいると、何事も無かったようです。

 が、テレビの映像や、テロという言葉に恐ろしさと怒りを感じます。

 見えない相手との対決の怖さ。

そのやり方の非法さ。

 仕事の前にスーパーによって様子を見てからにします。

ご心配身にしみて嬉しく。

メールが、届くか心配なので、急いで。

お元気でね。

 息子Y・T さんへ 大宮のおばあちゃんに連絡が付かないので、よろしく。

電話しておいてください。


9.11・・9.12

2005-10-12 15:31:39 | Weblog

 

 

 

 

 

 

 

今日も元気でした。

 ここにいる限り何事も無かったようです。

テレビを見ると、テロの恐ろしさに憤りを感じます。

まあ1昨日の午前中はテロという事で相当恐かったですが、午後になって事態が解ってきたら、安心だと思いました。

 風向きが変わると、相当きつい科学的なにおいがします。

でももう大丈夫です。

無くなられた方の冥福を祈って。


9.11 その日

2005-10-12 15:28:03 | Weblog

 

 

 

 

 

 

4:30ビルの下のフードエンボリアムで買い物をして帰ってきました。

列に並 んでから、30分かかりました。

だんだん落ち着きつつあります。

ドアマンは、 クレイジイと。

写真屋のおじさんノーモアと。

スーパーでは、アンビりーバブ ルと。

 お元気で。


9.11その日

2005-10-12 15:25:20 | Weblog

 

 

 

 

 

元気です。 

ご心配ありがとう。

 

恐いです。

 

ここからも煙が見えます。

 

マンハッタンは、交通がストップ。

 

どうして良いのか解りませんが、冷静に対処します。

 

ありがとう。もう連絡付かななるでしょう。

とりあえず。

えず。

 


9・11・・9・12

2005-10-11 14:56:09 | Weblog

 

 

 

 

 

 

どうしても納得いかないのですが、

 1.パイロットとして、ワールドトレードセンターに飛行機を突っ込むという事は、倫理上許されるものなのでしょうか。

例えば何年か前、羽田の沖に飛行機を突っ込んで、多数の犠牲者を出した。

この事を考えるとハイジャックで脅されても、トレードセンターに突っ込まなくても、手前の海に突っ込む事は出来たはず。

 航空会社には、パイロットの心得のマニュアルはないのか。

もしないにしても自分の心得として、アメリカ人なら、自国の経済を救う、混乱を防ぐという気になれなかったのか。

 

という事。

乗客が刺されたので、機長が客席に出てきたというが、こんな事は機長自らが、やる事ではないのではないか。

という事。

 夫と

「テロリストが、操縦していたのではないか」と、話していますが。

 

 2.何故あんなにきれいにビルが建てに崩れたのかという事。

 これは、夫と話し合って多分 上ででつる構造が、つっている部分が衝突で崩されたので、全体が。

と結論づけたのですが、これは、やはり柱の構造がそうなっていたという事で納得。

 多分テロリストは、このように崩れるのを知ってのことだったのでしょう。

 無くなった方の冥福を祈って。

お元気でね。


9.11翌日

2005-10-11 14:51:02 | Weblog

 

 

 

 

 

 

今 街は見えている限り何事も無かったように平静です。

何か昨日の恐怖が嘘のよう。

映画のシーンのような映像に、この映像にこんなに恐怖を感じたのだと改めて思いました。

 なくなった方は、本当にお気の毒でした。

でもこんな事を言っては不謹慎ですが、10キロ離れたここでは、あの恐怖は、メデェアの流す映像よりきているのとテロという事よりきていたのだと思ういどっと疲れが出ました。

 今は何事も有りませんし今後も大丈夫と思います。

取り急ぎ お知らせまで。