NewYork 9.11テロ 天国から地獄へ

2011・9・11日NY Manhattanの37・38階で、私は恐怖の中に。
「歴史の生き証人」として語り継ぎたい。

20019・11 IN New York Manhattan

2015-09-27 09:00:16 | Weblog

 

9・11 IN NEW YORK 

 

  あの日は、ことのほか青い空だった。

 

午前8:43分、いつになく遅い出勤の夫を玄関に送り、キッチンに戻ろうと歩いていた。

「エアープレイン・・クラッシュツ・・ウワールド・トレードセンター・・」ラジオから漏れた言葉に思わず足を止めた。

 思わず居間のテレビをつける。

 

「何やってんの。ふざけたセスナ機だよ。あの素敵なビルにぶっつけるなんて。」

そう思いながら。

 

ワールドトレードセンターに、小さなセスナ機が突っんでいた。

その時は、まさかテロとは思わず、旅客機とは思っていなかった。

観光のセスナ機と思っていた。

 

どうせすぐに、ビルはすぐに修理されるのだろうと思いながらも

「こんなことがあったよ」と連絡のために、夫に携帯の連絡をする。

何度連絡をしてもつながらない

こんなことで連絡をしても良いのかと、思いながら会社に、留守電を入れた。

この時にはそのぐらいの気持ちしかなく、テロがおきたのだとは、思っていなかった。

 

 そのうちに、ダウンタウンの方から煙があがっているのが見えた。

 

テレビを見ながら、テレビの向こうで、ダウンタウンの煙が見える。

アッパーイースト64ストリート・ビットイーンレキシントン アンド サードアベニュー の37階、38階のアパート(日本では、マンションと言う)の部屋からは、7キロ離れた、ダウンタウンの煙も見えるのだ。

 15分後、もう1機が、ツインビルのもう一棟に突っ込んだ時には、ただならぬことが怒ったと思った。  

 

 NYに住む我々日本人には、日本人の設計によるこのビルは特別の思い入れがあった。

海外生活でつらい時、楽しい時、嬉しい時、その度、あのビルを見上げて、どんなに慰められ、誇りに思ったことだろう。

 

 世界中の、NYへの観光客が、どれほどあのビルに、登ることを楽しみにしたことだろうか。

今この文章を書きながら、私は、ぽろぽろと涙をこぼしている。

 

 


9・11NYテロの日のManhattanでの記録

2015-09-27 08:20:06 | Weblog

私の このブログの最初は、このような書き出しで始まります。

 

きな臭い世の中になりました。

日本もこのような事を他人事と言えない時代になりました。

 

 TIME誌より

 

 goharuny

 

 

 客機2機がワールドトレードセンターに突っ込んだ。

 NY Manhattan のみに放映されているTV局の New York 1(One)では、まだ事実のみで、テロとは伝えていなかった。

テレビ画面の向こうにものすごい煙が見える。

何が起こったのか、早く情報がほしい。

 でもこんな時メディアは、事実以外は伝えないのだ。

あせりの中でこのことをじみじみと感じた。

・ こんな時、何をすればいいのだろうか。

 

セントラルパークが、眼前に広がりその向こうには、

アッパーウエーストのオノヨーコの住むダコタハウス、

シュワルツネッカー、メリルストリープの住むコンドミアムが広がっている。

 180度の展望のあるマンハッタンでも数少ないコンドミアムで、ただ一人私は、しばし呆然としていた。

 

 この夢のような展望が、恐怖に変わろうとは。

 このただならぬ出来事。

次は、このビルが狙われるのではないか。

飛行機が突っ込んでくるのではないか。

 

 急に恐ろしさにいてもたってもいられなくなった。夫への連絡の方法はない。

 

 私は、いまフラワーアレンジメントのデプロマ取得のため、講義合格後の170時間インターンシップが終わり、NYの有名な高級フラワーショップで、個人的な修行に入っていた。

 

 夫の会社からの連絡に立たなくてはならない。

即座にそう思い、フラワーショップに、休みの連絡をした。

 パスポートと銀行カード、有り金全部をウエストポーチに入れ、とりあえずエレベーターで、1階に行く。

 

コンシェルジェに様子を尋ねる。

ドアマンも、コンシェルジェもおろおろしている。

「 Oho!! クレイジィー」と。 「パ-ルハーバーだ!!」と。

(アメリカが攻撃されてのは、パールバー以来の2回目なのだとか。)

 

とりあえず、帰国のためのお金をおろさなくては。

 階下の銀行 City Bank に行く。セキュリティがかかっていて、カードでは、いくらもおりなかった。

窓口に行く。すでに10人くらいの行列があった。$500おろそうとした。

 窓口の黒人女性が、ものすごい早口で何かをわめく。「帰国にお金がいるので、$500おろしてほしい」と訴えた。誰もが、パニック状態だった。

2日後に冷静になって数えたら、$50しかなく真っ青。

いくら数えても$50なのだ。銀行記載は確かに$50になっている。

 窓口のお姉さんは、「セキュリティ上$50が限界」と言っていたのだ。

 

 当分の食料もいる

隣のフードエンポリアム(大型スーパー)に行く。

 

おお何と、ここも長蛇の列だよ。

 30人位の列が4列もできている。

仕方なく列の後ろにつく。

 

 

 


心が通わない

2015-09-26 07:17:50 | Weblog

どんなに尽しても

心が通わないと思う人がいました。

その人の生いたちを聞いて初めてその意味が解りました。

 

私は、戦後GHQの政策で、すべてを没収され

苦労をした家に生まれたのですが、

素直でひねくれていない自分を素晴らしいと思いました。

 

自分がいじらしくもあります。

 

また、親の育て方に感謝しています。

 

 

 

 


夫帰る

2015-09-26 07:01:43 | Weblog

結婚44年にして、

夫が私のもとに帰りました。

44年間夫の母と結婚していたようなものでした。

 

私は、私のような嫁が欲しいです。

大変な人が-1になりました。

完璧な外見とは全く異なる人でしたが。

 

外見が立派であるためには、いちばん近いところで、

本質があらわになるのでしょう。

人間に完璧はないのですね。

完璧には、傍にいて手助けをする人がいるのです。

 

私は今は、これからの生活を大切にしたいと思います。

 

耐えながら過ごした結婚生活でしたが、

結婚とは、自分のわがままを通したら、

破局が来ると思いました。

 

破局まではいかなくとも、相手を伸ばすことはできないと思った方が良いと思います。

自分が好き放題をして、相手に頑張ってもらおうなんて、むしが良すぎると思います。

この頃は、ご夫婦を見ただけでその姿のありようがよく解るようになりました。

 

夫婦のどちらかがやり放題で、満足をしていたら、

必ず影で泣いている相手がいるという事を

頭に入れておいた方が良いかもしれません。

 また、自分が好き勝手をしたら、

夫はそれなりに気をかなければぬ生きていけないのです。

夫に仕事で成功してほしかったら、自分も出来るだけの努力をすることです。

 

 

 

 

 


9.11テロ 天と地からのトラウマ

2015-09-11 06:08:23 | Weblog

今日は、

9・11NYテロの日です。

あれから14年たっているのに、

昨日の事のように私の心からは、時間が止まったままです。

 

ただ、この所、3・11震災や、この度の水害にて、

辛い事が多すぎて、

9・11を含めての思いが多くなりました。

 

ただ、天災と、人が起こす戦争のようなものは、

全然違うと思える所もあります。

 

予測のつかない突然の恐怖。

恐ろししかったです。

 

 

でもあれは、私だけではなく、

ホワイトハウスの人たちにも解りえない事だったのですね。

 

 

 


ワンワールドトレードセンター

2015-09-06 08:29:34 | Weblog

また、9・11の日がやってきます。

今更ながらにあの頃の恐怖がよみがえります。

突然の襲撃!!

 

何が何だかわからない中で生きなければならない・パニック状態。

 

今、跡地にワンワールドセンターが建ちました。

 

あの日本人が設計しワールドトレードセンターの

ツインタワーの美しさは、今も脳裏に焼き付いています。

 

 

 

 

 

 


CHICAGO

2015-09-05 12:24:10 | Weblog

 

1999年ごろ、Manhattan のアンバサダー劇場でシカゴを見ました。

その時にゲスト出演をして、

会場の大喝采を浴びていた人が誰なのかを知りたいです

シカゴは3回ぐらい見ていますのが、

その方が会場の現れたのは1回だけでした。

 

プロディユサーのバリーワイズか、

振付師のボブフォッシーか、有名人の俳優かだと思います。

あの人が誰だったのかを、

ご存知の方は、ぜひ教えてください。

 

 

 


死への送る辛さ

2015-09-03 09:24:50 | Weblog

 

身近な人を、送らねばならない辛さに、

精神的に参っています。

 

今年に入ってから、お医者さんからもうダメと、

ずっと言われ続けて。

本人は気づき始めたようです。

私たちは、どうしようもなく大変な日々を送っています。

 

本人の意識がしっかりしているだけに、

こちらも辛いです。

 

 

 

 

死ぬということは、本人も

看取るほうも大変なことだと本当に思いました。

 

 

 

 


夏の終わり

2015-09-02 17:27:45 | Weblog

ヒグラシから

ツクツクボウシに変わりました。

青い空になりましたが、この長雨で、すっかり秋の気配です。

 

年初めより体調の良くない人を身近にして、

精神的にだいぶ滅入って疲れ切っています。

 

死ぬことも、送ることも大変なことです。」

 

秋の気配

 

 

 

 

 


死ぬという事

2015-09-01 07:38:41 | Weblog

死を迎えることの大変さを

つくづく思いました。

今 死をを目の前にしている人を身近に見て、本当にそう思いました。

 

母を瞬時に無くした私は、親孝行も出来ずに苦しみましたが。

 

主人は、素晴らしい死に方だったと、言ってくれました。

人のためだけに生きた人だから、

神様が、苦しまないように助けてくれたのだよと。

 

今更ながら、私も本当にそう思えました。

 

 

 

私の庭