2011・9・11日NY Manhattanの37・38階で、私は恐怖の中に。
「歴史の生き証人」として語り継ぎたい。
NewYork 9.11テロ 天国から地獄へ
2001年11月13日・旅客機、離陸直後に墜落・NYで
米旅客機が、離陸直後に墜落。
元気です。テロでは、ないようですが。
怖いです。
米旅客機、離陸直後に墜落で、乗員・乗客255人、機内で爆発か。NYで。
*ニューヨーク12日 (某・今は名前を忘れたが・新聞の改編)
米ニューヨーク市クイーンズ地区の住宅街に12日午前9時17分(日本時間同日午後11時17分)ごろ、アメリカン航空のエアバス
A300型旅客機がケネディ国際空港を離陸直後に墜落し、炎上したのです。
この飛行機には、機はニューヨーク発ドミニカ共和国サントドミンゴ行きの国際便で、乗客246人、乗員9人が搭乗していたそう。
墜落現場ではビルなど4棟が炎上し、大きな黒煙が立ち上っている。地上で巻き添えとなった人の有無を含め、犠牲者の数など
はまだわかりません。。
日本人が乗っていたかどうかも不明。ニューヨークの日本総領事館では邦人の安否確認確認しています。
国防総省当局者は「テロと関連するとの情報は何も受けていない」と。
また、連邦航空局(FAA)スポークスマンは「テロリストの仕業の兆候はない」と言いなながらも、現時点ではすべての可能性を排
除しないと。
目撃者が地元テレビに語ったところによると、事故機は墜落直前に機体の右側が炎上していたのだとか。また、墜落直前に片方
のエンジンが落下し、機体とは4ブロック離れたところで炎上しています。機内で爆発があったのか。
現場はケネディ国際空港から十数キロ離れた住宅街。消防車44台、消防士200人が消火と救助活動に当たり、現場に駆け付
けたジュリアーニ市長は「生存者の救出に全力を尽くす」と言っています。
ジュリアーニ市長の事件への反応の速さには、本当に市民を安心させます。
事故発生直後、同空港とニューヨーク市近郊のラガーディア空港、ニューアーク国際空港が閉鎖されました。
また、国連総会が開催されている国連本部が封鎖され、ニューヨークのマンッタン島からの橋とトンネルもすべて閉鎖されました。
ニューヨークでは9月11日、乗っ取られたアメリカン航空とユナイテッド航空の旅客機が世界貿易センタービル2棟にそれぞれ激
突する大惨事が発生。これを受け、航空機や空港での安全管理体制を強化しているさなかの旅客機墜落事故で、米政府や私たちは、は強い衝撃を受けています。
というわけで、車での外出もままならない状態。
次々と、怪しげな事件、
こんな中で、不安にさいなまれながらも、元気に生きています。
2001/11/08 9:00 晴・NY恐怖のManhattan現状
2001/11/08 9:00 晴
クリヤーな良い天気です。ハドソン川の上に薄黒い雲が流れています。
イーストリバーの上にも。
WTCが未だくすぶっているのです。
きっとマンハッタンにも流れているのでしょうが、ビル群が遮っているのでしょう。
今日は窓を開けないで生活です。
10日 大宮のGMの所へ行ってくれるそうで、ありがとうね。とても喜んでいます。
GMへの連絡事項
その1 ・・10月30日より冬時間。
電話連絡は、出来たら朝6:00〜8:00の間に。
この時間に電話をするとお互いに、夜8:00〜10:00の間になるので都合が良い。
その2 ・・郵便は送らなくて良いです。NYから週1回電話をしますので、その時に手紙が来ていたら、教えてください。
マンハッタンのメールマンは、恐怖の炭疽菌で、すごいマスクをかけて配っています。
私たちも手紙を受け取った後、うがいと石鹸で手を洗っています。
以上連絡してね。
以下、NYの様子。 某・新聞よりの改編)
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*アフガン関係
・ビンラディンの金融組織網封鎖です。 62の個人・組織の資産を凍結−米大統領とか。
・マザリシャリフ攻防戦が激化している。 米軍は、北部同盟との連携強めている。
・アフガン軍事作戦で米英首脳会談 この会談でブレア首相、空爆だけでは不十分との認識している。
・米軍に基地提供した。 タジク大統領が正式表明
・「自由アフガン放送」創設を可決した。 米下院
・アフガン派兵を閣議決定する。 3900人規模、下院で承認へ−独
・アフガンへの派兵表明した。 陸海空で2700人 伊国防相
*炭疽菌関係
・炭疽菌は「国内で製造」された。 犯人は個人かと米紙にFBI高官が語った。
「アフガン攻撃・炭疽菌関係」
・ビンラディン氏の金融組織網封鎖=62の個人・団体の資産凍結―米大統領
*ワシントン11月7日
ブッシュ米大統領は7日の記者会見で、同時テロの首謀者とされるウサマ・ビンラディン氏が世界40カ国以上に展開している2つ
の金融ネットワークを各国と協力して封鎖するとともに、米国内でこれに関連する62の個人・組織の資産を凍結したと発表。
主要8カ国(G8)などが封鎖に乗り出したのは、ビンラディン氏のテロ組織アルカイダの銀行・投資顧問会社「アルタクワ」と、送
金・通信サービスを担当する「アルバラカ」。米当局は4州でアルバラカの事務所を閉鎖したほか、イタリアなど欧州の数カ国がア
ルタクワへの強制措置を実施。
米財務省はこれまでも、ビンラディン氏とアルカイダをはじめ、テロリストやテロ関連組織が米国内に保有する銀行口座などの資
産凍結を進めており、同日の追加措置でその対象となる個人・組織は合計150に。
オニール財務長官によると、米国内で凍結されたアフガニスタンのタリバン政権とアルカイダの資産は合計2400万ドル(約28
億8000万円)となり、世界全体では最低4300万ドル(約51億6000万円)に。
*炭疽菌は「国内で製造」 犯人は個人かとの米紙にFBI高官の談。
ワシントン7日
・米連邦捜査局(FBI)のモウン次官は7日付のボストン・グローブ紙に対し、米議会関係者やメディアに送り付けられた炭疽(たん
そ)菌は、米国内で製造されたとの見方を示した。また、FBIが菌を送り付けた犯人について、グループではなく、個人である可能
性が高いと見ていることを、表明した。
炭疽菌の出所について、欧米メディアなどは、同時テロ事件の犯人グループがイラクから入手した可能性を指摘。
一方、USAトゥデー紙は先に「政府に恨みを持つ米国人による単独犯行」との見方が捜査当局内で強まっていると言っています。
モウン次官は、ボストン・グローブ紙に「検査機関の分析は(菌が)米国内で製造されたことを示している」との事。
ただ、犯人が同時テロの首謀者とされるウサマ・ビンラディン氏率いる武装組織アルカイダと関係があるかどうかなどについて
は、明言を避けています。
これに関連して、リッジ米国土安全保障局長は7日の記者会見で、「まだ確認されていない」としながらも、炭疽菌の出所が「国
内であることを示すものは幾つかある」と述べ、米国で製造された可能性を視野に入れて調査していることを認めています。
私たちには、
何のために、炭疽菌がまかれたのか解らなくなりました。でも現に、Manhattanの人たちは、恐怖の中にあります。
・ABCの郵便室から炭疽菌検出=男児の感染源か―NY (某・新聞よりの改編)
* ニューヨーク7日
・米ニューヨークのABCテレビのスポークスマンは7日、同テレビのプロデューサーの息子(8カ月)が炭疽(たんそ)菌に感染し
た事件で、10月末に局内の郵便室から炭疽菌が検出されていたことを明らかにした。
この男児は9月28日に同テレビのニューヨーク本社を訪れた後、皮膚炭疽に感染したが、原因は不明とされていた。局内から不
審な郵便物などは発見されていないが、郵便室での炭疽菌検出が判明したことで、同テレビにも炭疽菌に汚染され
た郵便物が届いていた可能性が高いことが分かった。
同スポークスマンによると、男児の感染を受けて局内の検査が実施され、10月30日に炭疽菌の陽性反応が確認されたが、こ
れまで公表されていなかった。男児は本社に行った際、郵便室のある2階も訪れていたという。
*パキスタン、仏大統領が会談
パリ7日AFP
米国へ向かう途中のパキスタンのムシャラフ大統領は7日、パリでフランスのシラク大統領と会談した。
ムシャラフ大統領は「われわれは熟慮の末に(反テロ)連合参加を決めた」と強調。テロと闘い、アフガニスタン問題の解決を目
指す決意を示すとともに、アフガンでの軍事作戦の早期収拾を改めて訴えた。
*故ハク氏のおいも処刑=タリバン
ペシャワル(パキスタン)7日
アフガニスタンで10月26日処刑された反タリバン指導者アブドル・ハク氏の親族が7日明らかにしたところ
によると、タリバンは同氏のおいのイザトラ・カーン・シャヒル氏(22)を同日までに処刑した。
Manhattanのバスの中で、防毒マスクをした、小学生に会いました。
帽子、手袋、防毒マスク、物々しい姿に、むしろ生の怖さとを感じました。
この子の将来は、どんなになるのかと、しみじみ感じました。
と、同時に、自分が最高の恐怖の中にあることを感じました。
2001年11月7日・メキシコ*ティファナ
ティファナに行ったのですか。奇遇ですね。国境を越えただけで、まさにメキシコですよね。
去年の、アカデミー賞をとった映画は、ワシントンのホワイトハウスの裁判官の
娘が、有名高校に行っていて、ぐれて、ティファナに行って体を売って麻薬を買うという設定でした。
マイケルダグラス主演。 ティファナ・私は、夫がカンファランスに出ている時に、1人での冒険旅行で行ったので、懐かしかった。 あの国境のスタンガンの警備は、ものすごい恐怖ですよね。
リアルでした。
元気です。
2001年11月6日・国境を超えるという事
下記の教訓: 国境での手続は、くれぐれも気を付けること (息子 Yよりの注意 )
>私もMexico-USA国境を超えたことがありますが、不法入国者が多い為、入国審
査が厳重であるばかりでなくカービン銃を抱えた海兵隊員が入国審査の所で警備
していた。
あれは ?入国審査官を射殺して不法入国をした奴がいた、or ?本当に怪しくて
且つ武装している奴がいたら、その場でぶっぱなして 殺す。のか未だに分かりません。
私は、隠れて、国境を越えているメキシコ人にぶっ放しているのを、TVでみました。
>もう10年前の話ですが、びびったのをいまだに覚えています。
そう言えば、夫がカンファランスに出ている時に、ロスよりティファナに1人で地域のバスで行ったのですがアメリカ入国が大変でした。
>今回はたまたま運が悪いケースの様ですが、USAは気を付けないと本当に入国拒否されます(真顔で「日本に一回帰って、正規にVISAを取り直してからUSAに入国せよ」等と言われることもあるそう)。
まさに、そう言われたのです。困りました。ビザの上に、もう通用しないと書かれてしまった。
つまりカナダより日本に帰れと。車だったし、私用だったし。大変な事になる所でした。
結論は・・・、①もらっていた、A4の用紙を持っていなかった。
② カナダから、アメリカにテロリストが、入国したすぐ後だった。それで、厳戒態勢だった。
の2つでした。
我々は、ビザさえあれば、すべてに勝る。・・とおもっていたのですが、ビザは、直訳では、「アメリカへの入国査証」となりますが、
ビザは、アメリカへの入国書ではない。入国推薦状に過ぎない。
そうなのですか。
それよりも大事なのは、入国の際にホッチキスで、止めてもらうあの小さな紙切れつまりI-94の方がよっぽど大切と
いう事でした。・・・あれの滞在期限が切れていた。ロイヤーに頼んで、延期手続き補充の紙きれを、おいてきたという事。
その分A4の大きさの期限を延ばす用紙を持って歩かなければならなかったのを知らなかった。
問題はこれでした。ビザの延期をしてくれた、日本人弁護士が、1こと言ってくれれば良かったのか。
普段なら、夫がよく管理して、読んでいたのに、今回は、日本とのやり取りや、仕事の忙しさで、それが出来なかった。
彼には、珍しい、ありえないような失敗!!
やはり日本人なのでしょう。国境を超えることのこんなに大変なことの実感がなかった。コンピュウターに入っている方大丈夫と思っていた。コンピュウターも大事だが、それより実物が。バーコードがついていたので、領収書かなんかだと、思い込んでしまっていた。
アメリカは、「人はすべて、バーコード管理」 なのですよね。 頭では、解っていても、やはりの本陣は、国境を超えるという事の本当の意味を、実感し理解していないのですね。
もらった書類を良く読むべきだったのか(英文で、3ミリぐらいの文字で書いてあってバーコードが付いてい たので、領収書かと思ってしまった。アメリカは、数字やバーコードで人間を処理するので、注意しなければ。)・・・
日本人の私は、このころ、”バーコード慣れ”をしていなかった。今なら住基コードがあるけれどね。
バーコードで、管理されている国だったのね。
3:7ぐらいの割合で双方の不注意。でしょうか。
>詳しい事情は勿論分かりませんが、人種差別というのは少し違うと思う。気を付けて元気にお過ごし下さい。
解りました。ご心配ありがとうね。他の国で、仕事をして、お金を儲けるという事は、半端ではないのですね。
Yさんもいろいろ大変でしょうが、気をつけてください。御元気で。
息子 Yよりの注意・・ありがたく
2001年11月5日・マンハッタンのリノベーション&スタンガン
今台所と細かいところを repair。予定を平気で変更する。
・今でも変わらないよ。この間電子レンジを取り替えた。危ないと思ったので、持って来る日にちを名刺に書いてもらった。
それなのに「その日にちは、もう一度電話するという日にちだ」と、いいのがれされた。
1日待って挙句店に文句を言いに行ってこれだもんね。
まるで幼稚園児の言い逃れ。それでも自分が悪いとは決して言わない。
26・27・28と、このビルのサービスエレベータ(荷物用)がrepairで止る予定だった。29日になっても未だ修理が終らない。
したがって我が家の修理もサービスエレベーターが使えないのでまだ。台所はきれいに片づけて。全部物を移動してしまった。朝飯食べるのが大変だったよ。
慣れで、物が何処にあるかを身体が覚えている。
1個1個探したり、ちゃんとしたつもりが、それでも置き場を捜している。
これが引越しになると家の明かりをつけるボタンの位置がわからなくって手探りをする。 これってすごく寂しいのよ。つまり新しい家にきたって言う事は、友達&生活の全てを、学習し直すという事。
年取ったら引越しの辛さが身にしみる。
若い時は嬉しかったけれどね。
まあこんな事で。
この頃すごいよ。
サンフランシスコの橋の爆破の予告が入った頃から、ジョージワシントンブリッジ'( G.W.B. )を初め、各橋やトンネルにカービンガンを持った兵士が立っているの。
あれは怪しい人が来たらぶっ放すという事だよね。・・・つまり、巻き添えをくうということもある・・・
2001年11月5日 炭素菌近づく
炭そ菌が近づきました。
2001・9・11日よりパソコンで、日記をつけています。プリントもしてあります。 こちらに来てしばらくは、手書きでも。一緒にして置きます。いろんな経験をしています。
私に何か有りましたら、出版社でも持っていってくれても良いです。
ポジティブなアメリカ的思考で、元気に生きています。
Yさんの言うように、国境を越える時は、細心の注意が要りますね。
我々は島国で、本当にのんびり思考と、反省。パスポートは、命なんだよね。
2001年11月6日 ビザOK
お元気そうで、何よりです。
ビザ何とかなりそうです。
ほっとしました。大阪の領事館も、ロイヤーも、初のケースらしいです。
飛行機なら自動的に入国ビザを書く。カナダへは、陸続きで、いちいち入国書を書かないで、カナダに入国できる。
今回はたまだま運悪いケース。 テロリストが、カナダとの国境よりアメリカに入ったので。
カナダよりアメリカ入国が厳しかったのは、テロリストが、4〜5人カナダより入ったとか。それで、超厳戒態勢だったのです。
いろいろ有りました。
今日は英会話。アメリカ人の前向きな励ましに、めげそうな心がまた強くなりました。友達は有りがたいです。
お体くれぐれもお大切に。 元気です。
2001年11月2日・NYやばいかも。
事件その2・・すでに報道でご存知かと思いますが。こちらの様子を送ります。少しやばいかな。
でも平常心です。以下、某新聞の報道より
感染源はどこに? 「パターン違う」と困惑の当局者
*ニューヨーク10月30日
米ニューヨークの病院の女性職員の肺炭疽(たんそ)感染が確認されたことで、炭疽菌事件は新たな展開を示し始めた。
29日にはニュージャージー州の一般市民の皮膚炭疽感染も判明しており、疾病
対策センター(CDC)の担当官は「これまでのパターンに当てはまらない」と。困惑の顔。
ニューヨークの女性病院職員の検査結果が出たのが29日午後9時半すぎ。
ジュリアーニ市長は2時間後に急きょ会見を設定。
翌30日午前にも会見を開くなど、迅速な対応を見せた。
これまでは時折ユーモアすら交えながら、「治療可能だから心配ない」と連呼してきた同市長からも笑みが消えた。
両州のケースがこれまでと違うのは、被害者がメディアや郵便局関係者ではなく、「郵便物とはっきりした接点がない」(CDC担当官)という点。
特に肺炭疽は大量の芽胞を吸引しなければ発症せず、CDCは、集配中に汚染郵便物との接触で菌が付着した郵便物に触れても、発症するのは「ほとんど不可能」(コプラン所長)との見解を示している。
ただ、新たな炭疽菌入り郵便物の発見など、決定的な感染源が判明しない限り、郵便局での「二次汚染」への懸念は消えない。」
一般家庭に届けられる郵便物に対する不安が再燃する可能性もあり、当局は再び難しい対応を迫られている。
私は、郵便物は、ビニール手袋をして、開封している。事件に巻き込まれたら、会社にも迷惑をかけるから。
ジョーダン復帰。です。NBAファンの私としては、大変嬉しいです。
年俸は、すべてWTCのために寄付とか。羨ましい。そんな人に私は、なりたい。
と、夫に言ったら、世界に何人といない特殊才能の持ち主。だよと。
炭疽菌事件
*NYでも女性が肺炭疽陽性反応 ・勤務先の病院閉鎖 (この人が、私たちの住所より100mのところの病院勤務者)
・病院職員の肺炭疽感染を確認・NYで初・首都などの3郵便局で炭疽菌・フロリダやバージニアへも広がる
・ホワイトハウス郵便職員は全員陰性・炭疽菌事件―報道官
*市民相次ぎ発症、感染源どこに?・新たな展開に困惑の当局者−炭疽菌事件
*炭疽菌対策費、数千億円の可能性も・郵便公社総裁
まあ 何とか頑張っています。余り恐怖感はありません。大統領の笑みも消えましたが。
私は、子育ての段階で、子供達には、十分過ぎるほどの幸せを味あわせてもらいました。あとは、何にも言う事が有りません。
これからは、子供たちに迷惑をかけない様にするだけ。遠くから幸せを祈るのみです。
子供たちが 困った時に声をかけてくれたら、精一杯の事はしますがね。
2001年11月5日 冬突入
2001・11・5日・月曜
> いよいよ、冬突入です。 今日、初雪のニュース!
初雪ですか。今日はNYもとても寒いです。風がきついです。
大きな黒い雲が象徴的に流れています。何を意味しているのかなと思ったりしています。
37階と38階にいるのですが、雲の流れが身近で、圧巻です。
> アフガニスタンもこれから、どうなるのかと。
ほんとうに。でも余り戦いが長くならないと。ニュースより。きっと最新武器が・・
使われて。
うまく言えないのですが、 主人が、冷静でなので、私も平常心です。同級生なのに彼の態度に感服。
さすが海軍の父と、広島高女時代陸軍の父に大連まで会いに行った母を持つ子。
危機に対する判断の冷静さ。
私はいつも "うろたえるな” とたしなめられています。
3年半ここに住んで、本当に人生で学んだ事の大きなものは、ここでが大部分かと思えるくらいに多くを学びました。
だから仕方が無いかと。でも絶対に死にません。ウフフ。
いつもはこんな事を考えずにいて。ほんとに不遜な人間でした。
> 私も別れるときは、ある種の覚悟をいつも自覚してます。
遅れ馳せながら、やっと人並みかな。と。
> まあ、いずれ、一生、普通の人が経験出来ない状況のただ中にいるお二人のご無事をいつもお祈りしてる・・・口先だけじゃないよ。
ありがとうございます。嬉しく存じます。
> しっかりと、色んな事を考えていきましょう。
私に見えない視点で、いろいろ教えてください。
お心遣い嬉しく存じます。くれぐれもお元気で。
皆様にも宜しくお伝えください。
2001年11月2日 パリのめぐり合い
2001年11月2日
>ギフト券、ありがとう。 しゃれてるね。 ・・エスカルゴにしよう。
どういたしまして。喜んでいただけたら幸いです。
私も絶対エスカルゴ。 それとソーセージ。
エスカルゴ・・35年前、私がクイズに当たった招待で、主人と10日間パリ、ローマ、オーストリアに行きました。
あの頃お金が無くってエスカルゴを食べられなかった。
土産に買ったのですが、やっぱり人にあげてしまった。残念。
その後、いつ食べてもあの時を思い出す。それでも、そういう思い出って、大切ですよね。
すべてすんなりいっていたら、人生つまらないもの。
これぞまさに、Hungry 精神。アハハ
そうあの時、パリの地下鉄に、ほろ酔い機嫌で主人と腕組んで乗ろうとしたら、10研のも・・・さんのいた所の先生に会ったよ。
Conferrence で、来られていて、立派な外国の方と一緒でした。
名前をど忘れしたけれど、今東大教授のはず。
背が高くって、素敵な先生だった。私が8研にいたのを覚えていて下すった。
東大の医学部って割とハンサムもいるよね。
偶然 「ワオー」 と言う出会いだったので、不思議そうな相手の、素敵なオジサマドクターに、 「 私の大学のラボランチェだった子です」と話していた。
ソーセージ・・この頃、いろんな国のソーセージも意外とおいしいものがあるのがわかったの。
Harb に興味があります。
2001年11月1日 観念した!
観念しました。
NYの魅力。この街で死ぬのなら仕方ないかという。
> うーん、人は、異国に対して、そこまで考えられるのか・・ 最愛の人と一緒だからじゃないの?
そうじゃなくって、ここまで来ると、いずれ人間は死ぬのだからと。 「運が悪きゃ死ぬ人がいる」と、
あんまり身近に見せ付けられると、じたばたしなくなるんです。
確かに愛は深まりました。朝別れたら、もう病院で、別れの言葉も言えずに、3日後には死んでいるかもしれないんだモーん。
毎朝玄関でするハグも、心がこもるようになりました。ウヒヒ。
すごい平常心です。自分でも不思議なくらい。
夕方風向きで、変な悪臭がしました。まだくすぶっているのですね。
亡くなられた方が、成仏できないでいるのではと思うとすごくかわいそうで、悲しいです。
お元気で。
2001年10月24日 嘆きの壺へ
9月11日から、世界ががらっと変わってしまって、かつての良き時代がなく
なってしまった・・・という感が強いです。
何と言う時代になった事でしょう。この頃世の中が、変になったと思っていました。
9・11日には、その極。人間の質が、思考が、全く違う人間が地球上に現れた
と言う感じです。
2012年9月15日 ・PTG 外傷後成長
「PTG 外傷後成長 」 災害や事故、家族のし、暴力被害等、
人生を揺るがすようなつらい体験を経て人間的に成長することをポストトラウマティックグロウス(PTG)と、呼ぶそうです。
(読売新聞・より改編)
これって、本当にありなんですね。この頃、精神的には、とても強くなったような気がします。
不愉快なことは、できるだけポジティブに考えて、処理するようになりました。
時は、着実に流れ、人の心も変化していく。
”シンク・ポジ (ティブ)!! ” と、自分に励ましの声をかけましょう!
ポジティブなニューヨーカー
2001 11・1木
こんな中でも、NYでは、ハロウイーンも、ヤンキースタジアムの野球も行われました。
亡くなった人のためにも、めげていてはいけないという発想は羨ましいほどポジティブです。
炭そ菌に対する対する手だては有りません。
でも元気です。ご心配に感謝して。おやすみなさい。
Manhattanに炭素菌
2001 10・30火曜 22:30
28日より冬時間。日本との時差は、2時間。電話の際は、気をつけてね。
明日は、ハロウイン。エンパイアの上に満月。
1日旅の後の片付けをした。夕方散歩。厳戒体制の街の様子を見に。
59丁目グイーンズボロブリッジは、流れが良かった。64丁目2&3ストリートに来たらTVカメラの列。何事かと。
帰ってドアマンに聞いたら、炭そ菌にかかった看護婦がいるのだとか。ついに100メートルの所までやってきまし
た。CNNの見たことのあるアナウンサーが、放送していた。背が低いので、ボックスの上にのって話していた。
厳戒体制がひかれるのは、中東で、アメリカが攻撃に出ている事。
怖さを感じないのは、
1・・つには、この軍事力。 「この軍事力にに守られて死ぬなら仕方ない。」という諦め。
2・・はNYの魅力。 「この街で死ぬのなら仕方ないか。」 という。
3・・は自爆テロは、避けようがない。
もう何も恐いものは無い。 炭疽菌は、防ぎようがない。
と言う事で、日常生活と、厳戒体制が同居しています。市民はいつもの生活。
見事な夜景です。何事も無いような静けさ。
元気です。おやすみなさい。
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