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9.11 NYテロその2

 

 

 

 TIME誌より

 

 goharuny

 

 

 客機2機がワールドトレードセンターに突っ込んだ。

 NY Manhattan のみに放映されているTV局の New York 1(One)では、まだ事実のみで、テロとは伝えていなかった。

テレビ画面の向こうにものすごい煙が見える。

何が起こったのか、早く情報がほしい。

 でもこんな時メディアは、事実以外は伝えないのだ。

あせりの中でこのことをじみじみと感じた。

・ こんな時、何をすればいいのだろうか。

 

セントラルパークが、眼前に広がりその向こうには、

アッパーウエーストのオノヨーコの住むダコタハウス、

シュワルツネッカー、メリルストリープの住むコンドミアムが広がっている。

 180度の展望のあるマンハッタンでも数少ないコンドミアムで、ただ一人私は、しばし呆然としていた。

 

 この夢のような展望が、恐怖に変わろうとは。

 このただならぬ出来事。

次は、このビルが狙われるのではないか。

飛行機が突っ込んでくるのではないか。

 

 急に恐ろしさにいてもたってもいられなくなった。夫への連絡の方法はない。

 

 私は、いまフラワーアレンジメントのデプロマ取得のため、講義合格後の170時間インターンシップが終わり、NYの有名な高級フラワーショップで、個人的な修行に入っていた。

 

 夫の会社からの連絡に立たなくてはならない。

即座にそう思い、フラワーショップに、休みの連絡をした。

 パスポートと銀行カード、有り金全部をウエストポーチに入れ、とりあえずエレベーターで、1階に行く。

 

コンシェルジェに様子を尋ねる。

ドアマンも、コンシェルジェもおろおろしている。

「 Oho!! クレイジィー」と。 「パ-ルハーバーだ!!」と。

(アメリカが攻撃されてのは、パールバー以来の2回目なのだとか。)

 

とりあえず、帰国のためのお金をおろさなくては。

 階下の銀行 City Bank に行く。セキュリティがかかっていて、カードでは、いくらもおりなかった。

窓口に行く。すでに10人くらいの行列があった。$500おろそうとした。

 窓口の黒人女性が、ものすごい早口で何かをわめく。「帰国にお金がいるので、$500おろしてほしい」と訴えた。誰もが、パニック状態だった。

2日後に冷静になって数えたら、$50しかなく真っ青。

いくら数えても$50なのだ。銀行記載は確かに$50になっている。

 窓口のお姉さんは、「セキュリティ上$50が限界」と言っていたのだ。

 

 当分の食料もいる

隣のフードエンポリアム(大型スーパー)に行く。

 

おお何と、ここも長蛇の列だよ。

 30人位の列が4列もできている。

仕方なく列の後ろにつく。

 

 

 

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9・11 NY テロのトラウマ

 

 

 

 

 

 

あれから4年もたっているのに、何故思いのたけを書けないのだろうか。

数え切れないほどの現場の様子をを、少しでも皆さまに知っていただきたいと思っているのに。

 テロが起きた時の事態や、テロへの心構え、また良く言われるトラウマについて、皆さんにお知らせしようと思うのに、何故か心と裏腹に、筆が進みません。

 慣れない外国で必死に働く日本人があのテロで、何人も亡くなっているのに、日本住んでいる方々にとっては、全く他人事であったのですね。

とても悲しい気分です。

でも果たしてそうなのでしようか。

 あのころのメールを取り出し私の刻々の心のうちを、何とかつづって行こうと思います

 

 

 

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2001年9月11日・あの日私は。

9・11 IN NEW YORK 

  あの日は、ことのほか青い空だった。

午前8:43分、いつになく遅い出勤の夫を玄関に送り、キッチンに戻ろうと歩いていた。

「エアープレイン・・クラッシュツ・・ウワールド・トレードセンター・・」ラジオから漏れた言葉に思わず足を止めた。

 思わず居間のテレビをつける。

 

「何やってんの。ふざけたセスナ機だよ。あの素敵なビルにぶっつけるなんて。」

そう思いながら。

 

ワールドトレードセンターに、小さなセスナ機が突っんでいた。

その時は、まさかテロとは思わず、旅客機とは思っていなかった。

観光のセスナ機と思っていた。

 

どうせすぐに、ビルはすぐに修理されるのだろうと思いながらも

「こんなことがあったよ」と連絡のために、夫に携帯の連絡をする。

何度連絡をしてもつながらない

こんなことで連絡をしても良いのかと、思いながら会社に、留守電を入れた。

この時にはそのぐらいの気持ちしかなく、テロがおきたのだとは、思っていなかった。

 

 そのうちに、ダウンタウンの方から煙があがっているのが見えた。

 

テレビを見ながら、テレビの向こうで、ダウンタウンの煙が見える。

アッパーイースト64ストリート・ビットイーンレキシントン アンド サードアベニュー の37階、38階のアパートの部屋からは、7キロ離れた、ダウンタウンの煙も見えるのだ。

 15分後、もう1機が、ツインビルのもう一棟に突っ込んだ時には、ただならぬことが怒ったと思った。  

 

 NYに住む我々日本人には、日本人の設計によるこのビルは特別の思い入れがあった。

海外生活でつらい時、楽しい時、嬉しい時、その度、あのビルを見上げて、どんなに慰められ、誇りに思ったことだろう。

 

 世界中の、NYへの観光客が、どれほどあのビルに、登ることを楽しみにしたことだろうか。

今この文章を書きながら、私は、ぽろぽろと涙をこぼしている。

 

 

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9.11 あの日

 

 

 

 

 

 

 

このごろ、パソコンに向かう時間が長いので、目が疲れます。

また明日書くことにしよう。

 

 

 

 

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