僕が新任提督としてこの大湊司令部に配置されてから、気がつけばもう二年の月日が流れていた。まだ十代の僕にとって、最高司令官というのは何年経ってもやはり荷が重い仕事だ。
着任当初は小規模の敵を撃破する為の指示をするだけでも苦労をしていたけれど、日向さんや赤城さん達をはじめとした頼りになる艦娘(海戦戦闘能力の極めて高い女の子達)の皆さんの力を借りて、最近はようやく戦果を上げることが出来るようになってきた。それは良いのだが…
「よう、ショタ提督! 元気でやってっかー!」
「その呼び方はやめてって言ったよね、朝霜ちゃん」
「でも食堂じゃ日向さんたちもショタ提督って呼んでるぜ? にひっ」
朝霜ちゃんは一年前にこの司令部に着任した艦娘だが、何かというとこんなふうに僕をからかっては変な笑い声をあげる変わった子だ。裏で色々言われるよりは全然いいけど、やっぱりショタ提督なんて事を直接女の子から言われてしまうと、僕だって楽しい気分にはなれない。
「ところで執務室に何の用事? 朝霜ちゃんの任務はもう少し先だったと思うけど?」
「用事がなくてもショタ提督の顔を見たいから、じゃダメ?」
「えっ、別にダメじゃないけど…」
「なーんてな! 赤くなってんじゃねーよ! ぎゃはは」
「酷いよ朝霜ちゃん!」
僕は慌てて帽子を目深に被り、朝霜ちゃんから顔を逸らした。
「まーな。たまには他の艦娘のいねー所でゆっくり休憩したいって思ってよ」
そう言うと朝霜ちゃんは執務室の畳敷きの床にドカッ、っと腰を下ろした。僕が何か言う間も無く、一瞬のうちに靴を脱いでタイツを着たままの足をプラプラをさせている。朝霜ちゃんは、たまにはと言いながら、月に何度かこうやって執務室に用事もないのに訪ねてくる。
「朝霜ちゃん、一応女の子なんだからもう少し恥じらいとか…」
そう言いながら、僕はお茶を飲もうと朝霜ちゃんの座る畳の横に移動し、ちゃぶ台においてある急須に手を伸ばした。和室の執務室は赤城さんのリクエストによる特注のつくりで、僕にとって常にとても落ち着いて仕事の出来る場所だった。
「…あーん? いま一応って言ったよな? 一応女の子ってなんだよっ!? 一応って!」
「ご、ごめん朝霧ちゃん!」
「司令官がそんなふうにあたいのことを言うなら、ちゃんと可愛い女の子だってことを証明しねーとな!」
僕が止める間もなく、朝霧ちゃんはタイツを脱ぎ、白い足を僕の目の前に投げ出した。
「どーよ! この生足! うりうりー」
タイツを脱いだ朝霜ちゃんの白い足が僕の太ももをツンツンとつつき、女の子特有の甘酸っぱい匂いが和室の執務室の中に広がって行った。
「朝霜ちゃん、ダメだってば。誰か来たら誤解されちゃうよ!」
「そんときはショタ提督にセクハラされたーって言いふらしてやんよ?」
「朝霜ちゃん、本気なの?」
「ウソに決まってんだろ! ほりゃ、電気アンマ!」
「朝霧ちゃん、もうやめてってば! 」
僕は朝霜ちゃんの攻撃に動揺して半分泣きそうになりながら、必死に身体をよじらせていた。
「ギブアップ! ギブアップだよ朝霜ちゃん!」
「そんなだからショタ提督って言われんだよ。でもまぁ、許してやんよ」
いつの間にか畳の床の上で抱き合うような姿勢になった僕と朝霜ちゃんは、しばらくの間、しお互いに身体全体を押し付け合うようにしていた。朝霜ちゃんの匂いと息遣いが間近に感じられて、僕は緊張で気が遠くなりそうになっていた。何分くらい抱き合っていただろうか。ふいに朝霜ちゃんが僕の口にチュッ、とキスをして、真っ赤な顔をして言った。
「司令官、あたいはショタ提督っていつも言ってるけど…別にそれが嫌とかじゃねーんだよ…逆に可愛いし」
「朝霜ちゃん、ダメだよそんな事言っちゃ…それにキス…」
「んだよー。あたいに言われたら嫌なのかよ!」
「嫌じゃないけど…僕は司令官なんだから、もっとしっかりしないと」
朝霜ちゃんは一瞬ムスっとした表情になると
「バカ司令官! ! そんならあたいがもっとキスしてやんよ!」
そう言って唇を重ねて、僕に大人のキスをした。朝霜ちゃんの舌は蜜柑の味がした。
「朝霜ちゃん、なんでこんなこと…」
「司令官のばーか! 好きだからに決まってんだろ!!」
朝霜ちゃんが小さくて可愛い三角の眼で僕を睨みつける。
「あたいだって…恋する女の子なんだよっ! いいかげんに気づけよバカ司令官!」
ああ、僕は馬鹿だ。朝霜ちゃんの言う通りのバカ司令官だ。
「ごめんね、朝霜ちゃん。僕も…」
言いかけた僕の口を、朝霜ちゃんが今度は軽いキスで塞いだ。
「ショタ提督は、これからも鎮守府の艦娘みんなのショタ提督だよ。あたいだけのものにはなったりなんかはしない。でも、あたいは今日のことを絶対に忘れたりしない。たとえどんな戦いに挑むことになっても、あたいだけのお守りにして持っていくんだ」
「朝霜ちゃん…」
「ほら、立ってシャキッとしろよ司令官! じゃないと蹴っ飛ばすぜ」
そう言ってギザギザの歯を見せて笑う朝霜ちゃんはまるで普段と変わらない様子で、その事は僕も普段通りのショタ提督に戻れそうだ、と思えるには充分な材料だった。
けれど、僕も決して、今日の朝霜ちゃんとの思い出を忘れたりはしないだろう。いつか戦いの日々が終わったとしても。
「ありがとう、朝霜ちゃん」
僕は立ち上がって帽子を被り直し、シャツのボタンを確かめるとネクタイを締め直した。
「それでこそあたいたちの司令官だな! にひっ」
朝霧ちゃんはそう言って、最高の笑顔で僕に笑いかけてくれた。その笑顔はまるで夏のヒマワリのようで、僕は執務室が夏の日差しに包まれたような気がして、少しの間だけ目を細めていた。
(了)