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雑貨屋のおばちゃん…歩の母親でもあった人が息を引き取ってから二週間が過ぎた。
おばちゃんは感染症の発症から十日後、高熱で苦しんだ末に最後は極度の脱水と窒息に近い状態で亡くなった。もう私たちの村に医療従事者は一人も居ていなかったから、おばちゃんが肺炎や他の症状を起こしていたかどうかは、最後の時まで私たちには分からなかった。
もはやお葬式やお通夜を行う余裕は村にはなく、私たちは自作の防護服で全身を完全に覆い、おばちゃんを火葬した。その時にはもう不思議と悲しさはなく、どこか脱力感に似た感覚が私の心に漂っていた。
「雑貨屋を続けるなら、一人やったら厳しいやろ」
歩が、おばちゃんを見送り終わってしばらくしたある日、私の家に立ち寄って薄いコーヒーを飲みながら言った。
歩とは別に一緒に住んでる訳ではないが、おばちゃんの一件があってからは、頻繁に私の家に立ち寄ってあれやこれやと話をするようになった。歩の家は感染の危険があるので、今までと同じように続けて住むことは出来なくなっていたが、彼は持ち前の要領の良さで村の隅にある空き家をただ同然で借り上げ、さっさと一人暮らしを始めていた。
「一人じゃなくても厳しいわよ。私今まで接客業も流通業もやった事ないんだから」
話し相手がいるというのは、やはりありがたい事だった。世の中がこんな状況であれば余計のこと、どうしても独りでいると悲観的な考え方になってしまうから。
「そやからワイが手伝う言うとるやろ?」
「君が手伝うじゃなくて引き継ぐでしょ? 貴方のお母様のやってたお仕事なんだし」
「オカンが仕事引き継げ言うたんは、おーちゃんにやろ?」
「……そのおーちゃんっていうのやめて?小学生のあだ名とか」
若干険悪な空気になりつつも、私と歩はそれなりにうまくやっていた。幼なじみとも言えない只の小学生時代の同級生だが、疫病の蔓延するこの時代では、そんな些細な人との繋がりですら、互いに信頼を寄せる根拠になっている。
「でも、どのみち商売を再開するしか手はないわね」
私はおばちゃんの書いてくれたノートを広げ、もう何度目を通したか分からないその内容をまた読み返した。
疫病の蔓延により、電話や郵便などの通信インフラは日本では既に壊滅していた。インターネットがまだ使用できるのは有志によるサーバー管理が草の根状態で継続されているためで、ネットというものが国営でなかった事が結果的に幸いしたのだ。
電話が出来ないという事は、ネットを使った経験のないお年寄りや子供が社会から分断されるという事でもある。村で畑で野菜を作っているのは、そうしたネット使用経験のないお年寄りがほとんどだった。今まで、そうした人たちの情報源はおばちゃんとの世間話がほぼ全てだった。村の人たちの安否確認の意味においても、おばちゃんの商売の取引は有効に働いていたのだ。
「順番に廻ったら三日くらい?」
「急いだら二日。全力で丸一日やな」
私と同じくノートの内容を既に丸暗記している歩が答える。彼は本当にこうした部分で要領がいい。小学生時代も、テスト勉強をあっさり終わらせ自分だけさっさと遊びに行くような嫌な奴だったな、と私はもう何十年も前の事を思い返した。
「明日からお仕事スタートしますかね」
歩のコーヒーカップを引き受け、自分の分と並べて手早く流し台に置く。洗い物は後回しだ。
「ほな、明日の朝にまた来るわ」
歩がそう答え、ヘルメットを左手に持って椅子から立ち上がる。もうすっかりお馴染みになったやり取りだ。
「気をつけて。手袋は絶対外さないでね」
「手袋はバイク乗りの基本やがな。当たり前や」
感染症の危険がどこにあるのか分からない今となっては、どれだけ自分たちの肌を覆えるかが生死を分けると言ってもいい。マスクや手袋は、夏場であっても生活をしていく上での必須の衣服となっていた。
「じゃあ、おやすみなさい」
泊まっていけ、とは言わない。彼もまたそういった事は一度も言い出さない。暗黙の了解のような空気が私たちにはあった。
「ほな、さいなら。また明日な」
優しげな声で歩が言い、ヘルメットを被ってバイクのエンジンを点けた。バイクのテールランプの赤い光が灯り、その光は田舎道の闇の向こうへと、ゆっくりと流れていった。
(続きます)