きっと忘れない

岡本光(おかもとこう)のブログです。オリジナル短編小説等を掲載しています。

エヴァンゲリヲン2次創作小説 『赤木博士 午後三時、診察室にて」

2020年05月25日 | 小説 (プレビュー版含む)

「お久しぶりの診察ですね。例のテロ騒動の外出禁止令、いろいろと大変でしたけど、お薬は足りていましたか? 貴方みたいな若くて綺麗な方には、色々と気をつけていただかないと…」

私の目の前に、きつい顔だちの女医が座っている。もう二年目の付き合いになるだろうか。一体どちらが美人なつもりなのだろう。それにしても彼女は老けないな、と私は女医の容姿に嫉妬心を抱きながら

「いえ、私は普段からあまり薬を飲まないので特には。なんなら今日も電話診療にしていただいても良かったくらいです」

と刺々しさに満ちた返事をした。つい皮肉を言いたくなるのは、この美しい女医である赤木ナオコ女氏が嫌いだからではない。私が精神科医という人種全部を嫌いなだけだ。

「ごめんなさいね。電話診療は先週で終わったのよ。でも診察は手短に済ますから、安心して下さいね」

赤木女史はペースを崩さない。私よりはるかにやっかいな患者を週に何人も相手にしているのだから、当然だろう。

「いえ、実は今日は少し長めにお話をしたいんです。カウンセリング料金なら保険でお支払いが出来ると思います」

女史の先手を打って、料金の話をしながら私は相談を切り出す。こうして先読みをしないと5分で話を切られるのが精神科診療というものだと、私は経験で学んだ。

「そうですか…いったいどんなお話でしょう?」

女史の眉毛がピクリと動く。そういえば待合室は満員だったなと私は心の中で呟く。知った事か。

「先月のテロ騒動で、私が悟った事をお話したいんです。よろしいでしょうか」

「もちろん、お話くださいね」

精神科医は職務に誠実であればあるほど、患者の提案や意見を否定せず傾聴する。そういうものだ。

「社会の常識なんて、紙きれ一枚ほどのあてにもならない、という事を、私は悟ったんです」

私はわざと、芝居がかった口調でいった。この診察室で赤城女史に自分の思いを語ったところで、現状の何が変わる訳でもない。ただ、壁に話すよりはマシな形で自分の考えを整理出来る。

「常識ですか?」

「ええ、だって、たかがテロで細菌兵器がバラまかれただけで、国をあげての大騒動。仕事に行くな、遊びにも行くな。あげくの果てには引きこもりを実行しろ!ですよ? 異常だと思いませんか?」

「まぁ世の中とはそういうものだから…」

女史が困惑しているのが手に取るように分かる。私自身、自分がどこまで正常なのか疑問ではあるのだが、カウンセリングを続けるには私が言葉を吐き出すしかないのだ。

「それなら、世の中の常識は何かが起これば一変するという解釈が出来ますよね?」

「それは確かにそうね」

「場合によって一変する常識ってなんですか? それって常識の定義である【社会における普遍的な価値観】に当てはまらないですよね?」

たたみかけるように私は女医にそう告げる。ディベートではないのだから、タイミングや口調は意識しないくても良い。この会話は勝ち負けではないのだから、と私は自分に言い聞かせる。

「そこは…理屈じゃなくて柔軟に対応しても良いかもしれませんね」

赤木女史は感情を抑えた静かな口調でそう答えた。まったくこの人は、医師としては優秀だ。無難とも言えるけれど。

「私はもう、そんなあやふやな【社会の常識】に心底嫌気がさしたんです」

私は、赤木女史をまねて極力感情を抑えた口調で言った。完全に演技をしている状態。しかし、そもそも社会生活における会話なんて全て演技のようなものだ。

「そうですか。では、嫌気がさしたからどうしようと考えられたんですか?」

赤城女史が実に慎重な様子で尋ねる。まるで爆発寸前の爆弾の導火線をゆっくりと触るかのように。

「いっそ、テロでも起こそうかと思いまして」

私は、自分なりの精一杯の素敵な笑顔を作ってそう言った。

「冗談でも、笑えない話ですね」

赤城女史が私と同じ素敵な笑顔で返事をする。

「すいません、笑えないジョークでしたね。訂正します」

爆弾の火を消すように、私は表情を変える。

「よかったです、冗談で」

赤木女史がホッと息をつく。医師としての安心感なのか、個人としてトラブルに巻き込まれなかった事への安心感なのか、彼女はどちらを感じているのだろう。

「真面目な話をすると、私は【心の壁】を研究しようと思うんです。自分なりに」

「心の壁?ですか?」

赤木女史が初めて、人間らしい表情を私に見せる。どうやら興味を引く事に成功したようだ。

「ええ、私は今の病気にかかって以来、いえ、それよりずっと前から、心に何万本ものナイフを刺され続けてきました。私を虐待する父。その父の言いなりになる母。私を性的な目でしか見ない教師たち…。それをからかって遊びで苛めを行うクラスメイトたち…」

もはや、どこまでが本当の記憶かも定かでなくなった過去を手繰りながら、私は会話を続ける。こんな事は本質ではなく些末な事ではあるけど、同時に私をかたちづくる大切な要素でもある。

「大変でしたね。つらかったでしょう」

赤木女史は精神科医やカウンセラーの常套句を言い、うわべの同情を演じる。それはそれで別にかまわない。そうするのが彼女達の仕事なのだから。

「ええ、辛かったです。だから、心の壁を作る方法を研究しようと決めたんです。今までは社会の常識に縛られて、そんな発想は出来ませんでしたが…」

「でもきっと、心の壁なんて誰でも持っているものよ?」

赤木女史が、年齢より幼く見える表情でぽつりと言った。彼女も案外、孤独な人なのかもしれないなと私は思いながら

「いいえ、他の人が持っている心の壁より、何万倍も強固な心の壁です。私は、それを作りたいんです。いえ、作れるまで研究を続けます」

と淡々と告げた。私は正常なのだろうか。それとも異常なのだろうか。赤木女史ならばきっと、それを明確にしてくれる。そう信じて、私は今日この診察室に来たのだ。この会話を通して、自分の正常さと異常さに明確な線引きをするために。

「あなたが…惣流・キョウコ・ツェッペリンさんがそう思われるなら、ご自由に研究をされたらいいと思います。誰に迷惑が掛かる事でもないですし…」

赤木女史が私をなだめるような口調でそう告げる。

「ええ、私は自分の娘や息子が…もし生まれた時、私と同じように他人に心をナイフで抉られる、その未来にどうしても耐えられない。そうなる位ならいっそ全て…」

恐ろしい考えが私の心を過ぎる。いや、違う。そうならないために心の壁を、ATフィールドを研究するのだ。

「それで、その心の壁が完成したら…貴方や他の人は一体どうなるの?」

赤木女史が、医師ではなく一人の女性の顔を作り、私にそう言った。私は彼女の瞳を真っ直ぐに覗き込んで

「ATフィールドが完成すれば、他人の感情に犯されず、自分の感情に傷つかず、論理と生物学的な反射だけの世界で生きていけます。それはきっと幸せな事です。いえ、絶対に幸せです!」

とはっきりとした抑揚のある声で答えた。赤木女史は理解してくれただろうか。

そう。他人に心を犯されなければ、私が十四歳のときに経験したあの屈辱的な思い出も只の事象でしかなくなる。それが強固な心の壁、ATフィールドが私に必要な、本当の理由…。

「惣流さん、落ち着いて? 少しお薬を増やさないと…」

赤木女史はすぐに女の顔から医師の顔に戻り、私にそう告げた。どうやらカウンセリングの時間はこれで終わりのようだ。

「ええ、先生。ありがとうございました」

私は素直に席を立つ。きっと明日には、病院への入院が決まるのだろう。仕方のない事だと思いながら、私は席を立ち、診察室を後にした。





「はい、冬月教授…お伝えしたい事が…」

赤木ナオコは、診察を終えた部屋で一人、電話回線を繋いでいた。公的には明かされていない機関。精神科医ではなくその特務機関の一員として、ナオコは今、上司である冬月教授に診察内容の報告を行っている。

「ATフィールド…一般に知られているはずの無い呼称です。惣流という女性患者が今日…」

机の上にあるメモ帳に乱雑にメモを取りながら、ナオコは報告を続ける。

「はい、惣流は病院に収容後、機関の実験対象として…」



特務機関ネルフで赤木リツコと惣流・アスカ・ラングレーが出会うのは、この診察からずっとのちの時代の出来事である。ファーストチルドレン、セカンドチルドレン、サードチルドレンが生まれるより遥か以前。この時代にセカンドインパクトは起る予兆すら無く、世界の数十億の人々のほとんどは、使徒とエヴァの気配に気付かずに平和な日々を過ごしている。やがて来る破滅の未来を知らぬままに。

(了)



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