有馬ダム(名栗湖)の少し上流に当たる名栗川の西側の山の上に、白亜の巨大な観音様が、下界を見下ろすように立っておられます。白雲山 鳥居観音の「救世大観音」像です。
鳥居観音は、昭和の時代に開山した観音信仰のための霊場で、既存の宗派には属していないため、歴史や格式を誇る重々しいイメージの寺院ではありません。ですから、初めてここを訪れる人は、むしろ観光がてらに立ち寄るというケースが多いのではないかと思われます。実際、広い山域に展開する境内は、一巡するだけでハイキングの醍醐味を満喫させてくれるに十分です。
とはいえ、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)塔を前にして説明文を読むとき、仏教に少しでも関心のある人ならば、驚き、まさか!という思いに駆られるに違いありません。目の前の三層の塔の中に、玄奘三蔵(602-664年)の真骨の一部が祀(まつ)られているというのですから。
しかし、本当の驚きは、これが伝説や伝承ではなく、歴史的証左に裏付けられた「事実」なのだというところにあります。そもそも中国唐代の高僧である玄奘三蔵の遺骨がこの日本にあること自体、にわかには信じがたいことですが、謎を解くカギは、戦争にあります。
第二次世界大戦中、日本軍が南京の郊外で神社を建てようと小高い丘を掘り起こしたところ、地中から立派な石棺が出てきました。貴重な副葬品があり、これは並々ならぬ人物の墓に違いないということで、中国側にも照会して調べたところ、玄奘三蔵の頭蓋骨の埋葬墓であると判明。様々な経緯の末に、頭蓋骨の一部は日本へ渡り、全日本仏教会の意向で埼玉県岩槻市(現さいたま市)の慈恩寺に安置されました。戦争中のできごとではあったものの、幸い終戦後、蒋介石(しょうかいせき)総統が日中平和のためにお互いに供養しようと表明してくれたことで、事態は平和裏に解決しました。
鳥居観音は、名栗で生まれた実業家の平沼彌太郎(1892-1985年)が、敬虔(けいけん)な観音信徒であった母の遺言に基づき一念発起して生地に開山した観音霊場ですが、とりわけ玄奘三蔵塔の建立(1960年)には日中平和の強い願いが込められました。そのため、玄奘三蔵の遺骨がここに分骨されることになったのです。
ちなみに、玄奘三蔵の遺骨は、1981年、奈良の薬師寺にも慈恩寺から分骨されています。
奥武蔵の豊かな自然の中で、仏教の大恩人である玄奘三蔵法師のご霊骨に合掌し、観音様のご慈悲・ご利益にあずかれるとは、なんと贅沢なありがたさでしょうか。
合掌
(写真上)©山上に立つ救世大観音像
(写真上)©玄奘三蔵塔 正面
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