「竹寺」の名で知られる奥武蔵の名刹「医王山薬寿院八王寺」。
俳句寺。武蔵野三十三観音霊場の結願寺でもあります。
しかし、竹寺の存在価値は、何と言っても、明治政府が犯した宗教介入である「神仏分離令」を奇跡的に免れ、日本古来の神仏習合の形を今に残しているところにあります。
聖徳太子が国のために受け入れた仏教は、日本の神々は仏の化身であるとする「本地垂迹(ほんちすいじゃく)」の思想に代表されるように、日本の神話と見事に融和し、以後1300年間にわたって「神仏習合」という日本固有の包容力豊かな「超宗教」を形成してきました。
ところが、欧米流の近代化と国家の統一を急いだ明治政府は、日本に深く根付いた仏教を外来視し、天皇を神話の神につながる「現人神」(あらひとがみ)と位置づける「国家神道」を強引に画策したのです。日本人の心に一体化していた仏教と神道を引き裂き、神道を国家権力の支配用具化した「神仏分離令」は、明治政府の愚挙・暴挙であり、それによって、日本人の宗教観は不自然に歪められ、信仰心は希薄化しました。
竹寺は、神仏分離令を免れ、神仏習合の形を今にとどめる貴重なお寺です。天台宗の寺院ですが、入り口にあるのは、山門ではなく「醫王山」と書かれた扁額のある石の鳥居であり、本殿に祀られているのは、薬師如来の化身とされる「牛頭天王(ごずてんのう)」です。
ついでに言えば、「医王山薬寿院」という山号は、本地仏である薬師如来にふさわしく医薬の仏神を連想させます。境内にある「医王稲荷神社」の赤鳥居は、医師・薬剤師の国家試験合格成就の御礼に奉納されたものが目立ちます。
このほど、夫婦で夏の写経会に参加し、竹の器に盛られた名物の精進料理を、ありがたく賞味してきました。
(写真上)© 「醫王山」の扁額のある鳥居
(写真上)© 観音堂。武蔵野三十三観音霊場 結願の場所。
(写真上)© 本殿に向かう石段。鳥居に茅の輪。
(写真上)© 石段の上から茅の輪を振り返る。
(写真上)© 本殿。祭神は牛頭天王。
(写真上)© 写経会の会場「瑠璃殿」
(写真上)© 医王稲荷神社への急な石段
(写真上)© 医王稲荷神社
(写真上)© 竹林の石仏
(写真上)© 境内には、地元地区の夏祭り盆踊り大会の櫓が準備されていました。
(写真上)© 境内に建つ「牛頭明王」(牛頭天王)像
(写真上)© 精進料理 箸も器も、すべて竹製。
(写真上)© 4点 精進料理の一部。
(写真上)© お座敷の隅。本物の竹が床下からニョキニョキ伸びて天井の上へ抜けています。
(写真上)© お座敷の窓下の竹林
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