護憲+グループ・ごまめのブログ

護憲+・現憲法を守るグループの一人して、今後の社会の状況を戦時を経験した一人として社会を見つめていきたいと思います。

進駐軍問題・京都の資料館・初公開

2010年03月23日 15時36分17秒 | 朝日新聞切抜とテレビの切とりと庶民の疑問
10年3月23日 火曜日 進駐軍問題・京都の資料館・初公開

進駐軍と聞いても進駐軍を頭の中で理解出来る人は可也の年配の方々だろう。

今日の関西朝日の社会編に載っていた記事の全文ブログに揚げてみる。

          

      

      

            

終戦直後から京都に住っていると、何度か進駐軍の暴行を見ている。しかし、当時は相手が戦勝国の軍人だから、仕方がないとしか捉えていなかったと思う。

だから、日本も進駐していった国々でも同じことを遣っていたと推測ができる。

もし、日本が無条件降伏し本土で戦闘が行われなかった。もし戦闘で我彼で命のやり取りが行われたら、民間はもっと悲惨な状態に成ったと思う。

如何に政治家たちが綺麗ごとを言っても,軍隊という組織が一度命のやり取りをする状態に遭遇すると、正常心は消失する。
終戦直後の京城の話だが、最初に進駐してきた米軍は第一線の戦闘部隊だった。そして、そばに寄るのも恐く感じた。しかし、占領軍が入れ替わると雰囲気が変わったのだ。

今、世界のあちらこちらで紛争が起きている。そしてその多くの犠牲になるものは、政治家でもなく官僚でもない。民間の庶民たちなのだ。

私の言いたいのは、厳密にいうと軍人の多くは庶民だと思う。その庶民が一度戦場を経験すると,民間人を殺したり傷つけるのに抵抗感がなくなるという。恐い経験を紀元前から引きずっている人類が恐いのだ。

沖縄を考えてみよう。地位協定では日本と米国は対等いう。それは条約上であって、駐留している兵士たちは、今だに、アメリカは戦勝国で駐留していると頭の何処かに残っていると私は感じている。

昔から勝てば官軍、負ければ賊軍は、現在でも通用しているのではないか。