このコーナーに書くのは、2年前に護憲+の戦時を語るコーナーに、戦前・戦中・戦後に体験したり聞いた事を書いたものですが、再編してお送りしています。
「硫黄島戦没者追悼式」
早朝のテレビに小泉首相が硫黄島戦没者追悼式に出席したというニュースが放映されていた。
あの小さな島で、彼我合わせて五万人以上の戦死傷者が出た。特に記録では日本軍の殆どの二万一千九百名が戦死、生きて帰った方は僅か千二十三名だそうだ。
この放送のパネラー木元教子さんが、私が硫黄島に行った時、どなたかトランペットを持ってこられた方が、「海ゆかば」を吹かれたが、その淋しいメロディを聞いていると胸に込み上げるものがあったと話されていた。
昔人間の私は、知らず知らずに軍歌を口ずさんでいる時がある。反戦人間だが「銀翼連ねて南の戦線」など、私に取っての懐かしのメロディには多くの軍歌が出てくる。しかしこの「海ゆかば」だけは歌ったことがない。戦時中、学校で歌う時も仕方がないから歌っていたのが本音だ。
「海ゆかば 水漬(みづ)く屍(かばね) 山ゆかば 草蒸す屍 大君の 邊(へ)にこそ死なめ かえりみはせじ」
考えてみると、これ程国民を馬鹿にした歌はない。兵士が戦で倒れる時「邊(へ)にこそ死なめ かえりみはせじ」の気持ちで死んで行ったのだろうか。この歌を聞くと、残念だが仕方なく死んで行った兵士の思いが浮かび、知らず知らず涙が出てくるのだ。
話は違うが、この番組の中で、中国の田舎の小学校で、日本の軍艦マーチを行進の時に使っていたと笑っていた。使った先生は日本の軍歌とは知らなかったらしい。「守るも攻めるも鉄の」なんて、本人が日本の軍歌と判った時の気持ちは計り知れないものがある。判らなければ憎しみも湧かないが、もし日本の軍歌と判っていたら序曲を聴くだけでも腹が立つだろう。
中国にも日本にも言えることだが、教育が国民にどのように影響するか。中国も被害と恨みばかりを教えていると、未来永劫に日本とは仲良くなれない。歴史は正確に教えるべきだろうが、その時に呪詛までくっ付けるから、被害を被った体験のない、三代目までが恨みを残すことになる日本は何事も曖昧が好きだ。外交や近代史論争では、この曖昧さは不利であるということを認識しなければならない。終わったことだったら隠し立てなく正確な歴史を学びたいものだ。私も歳だ。未だにあの戦争で割り切れないものが残ったままこの世をグッバイしなければならないとしたら、残念至極である。
追記
今朝の各新聞の社説に
日本も米国を参考に日本版の国家安全保障会議(NSC)を創設することになった。首相官邸の機能を強化し、一元的な外交・安保政策を進めなくては、北朝鮮の核やテロなどの脅威に的確に対処できなくなっているからだ。
産経
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/shucho/070228/shc070228001.htm
朝日(二段目)
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
読売
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070227ig91.htm
毎日
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20070228k0000m070141000c.html
日経
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/index20070227MS3M2700327022007.html
東京
http://www.tokyo-np.co.jp/sha/
と各社安全保障に(NSC)ついて述べている。
私は安全保障は、国内の自然災害についての安全保障より、対外的敵国を想定した安全保障を主に論じるために(NSC)と言う横文字を使った法案.言うなれば無知な国民を騙すためにわざと(NSC)なる横文字を使っているとしか思えなく、これに付随した共謀罪、個人情報などの法案が有耶無耶のうちに法案が成立してしまう気がしてならない。
多くの国民は(NSC)と書かれ、全てを把握している人が何人いるのだろう。多くの国民はこの法案がどのようなものか、なんだろうと見逃してしまう。
日本の法律を作るときは、小学校を卒業しておれば分かる言葉ではなしてほしいものだ。
安全保障(NSC)の様な法案は、昔から秘密が多いことばかりだ。
無学な、ごまめより。
「硫黄島戦没者追悼式」
早朝のテレビに小泉首相が硫黄島戦没者追悼式に出席したというニュースが放映されていた。
あの小さな島で、彼我合わせて五万人以上の戦死傷者が出た。特に記録では日本軍の殆どの二万一千九百名が戦死、生きて帰った方は僅か千二十三名だそうだ。
この放送のパネラー木元教子さんが、私が硫黄島に行った時、どなたかトランペットを持ってこられた方が、「海ゆかば」を吹かれたが、その淋しいメロディを聞いていると胸に込み上げるものがあったと話されていた。
昔人間の私は、知らず知らずに軍歌を口ずさんでいる時がある。反戦人間だが「銀翼連ねて南の戦線」など、私に取っての懐かしのメロディには多くの軍歌が出てくる。しかしこの「海ゆかば」だけは歌ったことがない。戦時中、学校で歌う時も仕方がないから歌っていたのが本音だ。
「海ゆかば 水漬(みづ)く屍(かばね) 山ゆかば 草蒸す屍 大君の 邊(へ)にこそ死なめ かえりみはせじ」
考えてみると、これ程国民を馬鹿にした歌はない。兵士が戦で倒れる時「邊(へ)にこそ死なめ かえりみはせじ」の気持ちで死んで行ったのだろうか。この歌を聞くと、残念だが仕方なく死んで行った兵士の思いが浮かび、知らず知らず涙が出てくるのだ。
話は違うが、この番組の中で、中国の田舎の小学校で、日本の軍艦マーチを行進の時に使っていたと笑っていた。使った先生は日本の軍歌とは知らなかったらしい。「守るも攻めるも鉄の」なんて、本人が日本の軍歌と判った時の気持ちは計り知れないものがある。判らなければ憎しみも湧かないが、もし日本の軍歌と判っていたら序曲を聴くだけでも腹が立つだろう。
中国にも日本にも言えることだが、教育が国民にどのように影響するか。中国も被害と恨みばかりを教えていると、未来永劫に日本とは仲良くなれない。歴史は正確に教えるべきだろうが、その時に呪詛までくっ付けるから、被害を被った体験のない、三代目までが恨みを残すことになる日本は何事も曖昧が好きだ。外交や近代史論争では、この曖昧さは不利であるということを認識しなければならない。終わったことだったら隠し立てなく正確な歴史を学びたいものだ。私も歳だ。未だにあの戦争で割り切れないものが残ったままこの世をグッバイしなければならないとしたら、残念至極である。
追記
今朝の各新聞の社説に
日本も米国を参考に日本版の国家安全保障会議(NSC)を創設することになった。首相官邸の機能を強化し、一元的な外交・安保政策を進めなくては、北朝鮮の核やテロなどの脅威に的確に対処できなくなっているからだ。
産経
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/shucho/070228/shc070228001.htm
朝日(二段目)
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
読売
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070227ig91.htm
毎日
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20070228k0000m070141000c.html
日経
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/index20070227MS3M2700327022007.html
東京
http://www.tokyo-np.co.jp/sha/
と各社安全保障に(NSC)ついて述べている。
私は安全保障は、国内の自然災害についての安全保障より、対外的敵国を想定した安全保障を主に論じるために(NSC)と言う横文字を使った法案.言うなれば無知な国民を騙すためにわざと(NSC)なる横文字を使っているとしか思えなく、これに付随した共謀罪、個人情報などの法案が有耶無耶のうちに法案が成立してしまう気がしてならない。
多くの国民は(NSC)と書かれ、全てを把握している人が何人いるのだろう。多くの国民はこの法案がどのようなものか、なんだろうと見逃してしまう。
日本の法律を作るときは、小学校を卒業しておれば分かる言葉ではなしてほしいものだ。
安全保障(NSC)の様な法案は、昔から秘密が多いことばかりだ。
無学な、ごまめより。