◇ブログと違う、規則設計
ネット関係で「ツイッター」という言葉を聞く機会が増えてきた。数年前の「ブログ」のように、知っている人は盛り上がっているが、知らない人もまだ結構いる感じ。ということで今回はネットの中の新しい時代の風--ツイッターをご紹介したい。
まず現在の新聞紙面での取り上げ方をみてみよう。「ミニブログのツイッター」とか書かれている。ツイッターもブログと同じウェブで個人の文章を公開するためのシステム。1回に140字の「つぶやき」しか発信できないのが特徴だから「ミニブログ」と表現したのだろう。
また、2006年に現Twitter社が開始した特定のコミュニケーション・サービスの名称なので、公平を旨とし一般名詞を使いたい新聞としては「ブログ」としたのかもしれない。ちなみにこのサービス、米国流の無料ユーザー集め先行型。いまだもうけは出ていない。
しかし、この「ミニブログのツイッター」というのが正しくツイッターを伝えているかというと、どうだろう。ブログとツイッターは、実はその規則の設計が大きく違う。ブログは読者との交流を支える仕組みがよくできているのだが、そのオープンさのために悪意のコメントによる「荒らし」とかトラブルの元ともなる。そこで、招待された人しかアクセスできないSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)という「クローズブログ」的なシステムが生まれたが、これもクローズすぎとか、不注意なユーザーが皆に迷惑をかけるとかいろいろ問題も見えてきた。
「広く私の意見を聞いてほしい」、「良い人たちとは簡単に関係を作りたい」、でも「不愉快な反応は受けたくない」--そういう要望を満たす環境をどう作るか。その結果がツイッターというわけだ。ツイッターにユーザー登録していなくても、基本的に皆のつぶやきは読める。単語で検索もできる。その意味でブログと同じくオープンだ。
しかし、相手のつぶやきにコメントを返そうとすると、まずツイッターへのユーザー登録が必要。登録すると気に入ったつぶやき手をフォローできるようになる。そうすれば相手のつぶやきが時系列でリストになって常に見える。
発信する気がなく、いろいろな人のつぶやきを楽しむだけならこれだけでいい。なにしろアメリカ大統領からタレントまで多くの有名人ご自身の(ということになっている)つぶやきから、スーパーのタイムセールスのようなお役立ち情報まで、大量のつぶやきが流れている。
逆に発信したいなら、どんどんつぶやく。内容が面白ければフォローしてくれる人も自然に増える。自分をフォローしているユーザーの数もわかるので、発信者にはそれが励みになる。しかし、最初に知人とか少しでもフォローしてくれる人がいないと、フォローの連鎖が始まらない。この辺はSNS的ともいえる。
そして、ある人とある人が互いにフォローする関係になると、相手のつぶやきに対するコメントが相手のリストにも現れるようになる。そのとき両者をフォローしている第三者のリストにもそのコメントが現れるが、片方しかフォローしていない人のリストには現れない。
実は、互いにフォローしていない相手からのコメントも検索さえすれば確認できる。しかし、人気の発信者はたいていそんな手間をかけないので簡単に無視されるから「荒らし」もできないわけだ。
これだけの規則でサークルの相互連絡にも、広く議論を戦わせるフォーラムにも、企業や政治家の広報にも、個人の意見の発信にも、情報収集にも使える。使い方にあわせて伝達範囲が決まる一種の自己組織化が働くのがうまい。意図しない人からの悪意のコメントなどは基本的に届かないし、いい人とは手軽にコネクションを作れる。もし万が一途中から関係が悪くなっても、フォローをブロックすればコメントも消える。
そして140字制限も重要なポイント。似たような字数制限の日報で成果が出た企業もあるように、考えをまとめる枠として意外と有効に機能する。下手な長文コメントで対話が停滞することもない。
さらにこの字数はモバイル機器でやりとりするのに適当だ。「いつでもどこでもリアルタイムにつぶやいたり、つぶやきを受ける」という文化が、長文が書けないという制限によって確立できたのだ。
結果、あまりにもモバイルでのツイッターにハマりすぎて、結婚式中に「いま指輪交換」とかつぶやく新郎とか、「泥棒ナウ」とかつぶやいて捕まった泥棒とか、まさにユビキタス的な悲喜劇が米国ではニュースになっている。
日本語サービスが提供される前から全ユーザーの20%が日本人だったというから、「友達の友達は皆友達」式のゆるいけど不安のないコミュニケーション環境は日本人に結構向いているようだ。
いずれ新聞紙面で「つぶやきながら入った泥棒と、入られても通報せずツイッター中継を続けた東京在住のAさん」の記事を読む日も近いことと思う。その時には「ミニブログの~」という枕詞(まくらことば)はもういらないはずだ。=毎週日曜日に掲載
◇
毎日新聞 2009年12月27日 東京朝刊
オバマ大統領も使っているんだっけ!新しいこと好きの小父さんも2回くらい登録を試みたが失敗!いまだにこの「ツイッター」たるものがどんなものかも分かっていない。gooの説明なんかでも一日に何回かつぶやいたらそれがまとめて投稿されてブログになるような説明書きがあったが、それだととても便利だと思う。来年の目標にしようかな。
今年放送の「坂の上の雲」が終わった。近代史だけに、すーっと引き込まれていく。次は来年の12月だとか、なんで1年も間をあけるのだろう?
ネット関係で「ツイッター」という言葉を聞く機会が増えてきた。数年前の「ブログ」のように、知っている人は盛り上がっているが、知らない人もまだ結構いる感じ。ということで今回はネットの中の新しい時代の風--ツイッターをご紹介したい。
まず現在の新聞紙面での取り上げ方をみてみよう。「ミニブログのツイッター」とか書かれている。ツイッターもブログと同じウェブで個人の文章を公開するためのシステム。1回に140字の「つぶやき」しか発信できないのが特徴だから「ミニブログ」と表現したのだろう。
また、2006年に現Twitter社が開始した特定のコミュニケーション・サービスの名称なので、公平を旨とし一般名詞を使いたい新聞としては「ブログ」としたのかもしれない。ちなみにこのサービス、米国流の無料ユーザー集め先行型。いまだもうけは出ていない。
しかし、この「ミニブログのツイッター」というのが正しくツイッターを伝えているかというと、どうだろう。ブログとツイッターは、実はその規則の設計が大きく違う。ブログは読者との交流を支える仕組みがよくできているのだが、そのオープンさのために悪意のコメントによる「荒らし」とかトラブルの元ともなる。そこで、招待された人しかアクセスできないSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)という「クローズブログ」的なシステムが生まれたが、これもクローズすぎとか、不注意なユーザーが皆に迷惑をかけるとかいろいろ問題も見えてきた。
「広く私の意見を聞いてほしい」、「良い人たちとは簡単に関係を作りたい」、でも「不愉快な反応は受けたくない」--そういう要望を満たす環境をどう作るか。その結果がツイッターというわけだ。ツイッターにユーザー登録していなくても、基本的に皆のつぶやきは読める。単語で検索もできる。その意味でブログと同じくオープンだ。
しかし、相手のつぶやきにコメントを返そうとすると、まずツイッターへのユーザー登録が必要。登録すると気に入ったつぶやき手をフォローできるようになる。そうすれば相手のつぶやきが時系列でリストになって常に見える。
発信する気がなく、いろいろな人のつぶやきを楽しむだけならこれだけでいい。なにしろアメリカ大統領からタレントまで多くの有名人ご自身の(ということになっている)つぶやきから、スーパーのタイムセールスのようなお役立ち情報まで、大量のつぶやきが流れている。
逆に発信したいなら、どんどんつぶやく。内容が面白ければフォローしてくれる人も自然に増える。自分をフォローしているユーザーの数もわかるので、発信者にはそれが励みになる。しかし、最初に知人とか少しでもフォローしてくれる人がいないと、フォローの連鎖が始まらない。この辺はSNS的ともいえる。
そして、ある人とある人が互いにフォローする関係になると、相手のつぶやきに対するコメントが相手のリストにも現れるようになる。そのとき両者をフォローしている第三者のリストにもそのコメントが現れるが、片方しかフォローしていない人のリストには現れない。
実は、互いにフォローしていない相手からのコメントも検索さえすれば確認できる。しかし、人気の発信者はたいていそんな手間をかけないので簡単に無視されるから「荒らし」もできないわけだ。
これだけの規則でサークルの相互連絡にも、広く議論を戦わせるフォーラムにも、企業や政治家の広報にも、個人の意見の発信にも、情報収集にも使える。使い方にあわせて伝達範囲が決まる一種の自己組織化が働くのがうまい。意図しない人からの悪意のコメントなどは基本的に届かないし、いい人とは手軽にコネクションを作れる。もし万が一途中から関係が悪くなっても、フォローをブロックすればコメントも消える。
そして140字制限も重要なポイント。似たような字数制限の日報で成果が出た企業もあるように、考えをまとめる枠として意外と有効に機能する。下手な長文コメントで対話が停滞することもない。
さらにこの字数はモバイル機器でやりとりするのに適当だ。「いつでもどこでもリアルタイムにつぶやいたり、つぶやきを受ける」という文化が、長文が書けないという制限によって確立できたのだ。
結果、あまりにもモバイルでのツイッターにハマりすぎて、結婚式中に「いま指輪交換」とかつぶやく新郎とか、「泥棒ナウ」とかつぶやいて捕まった泥棒とか、まさにユビキタス的な悲喜劇が米国ではニュースになっている。
日本語サービスが提供される前から全ユーザーの20%が日本人だったというから、「友達の友達は皆友達」式のゆるいけど不安のないコミュニケーション環境は日本人に結構向いているようだ。
いずれ新聞紙面で「つぶやきながら入った泥棒と、入られても通報せずツイッター中継を続けた東京在住のAさん」の記事を読む日も近いことと思う。その時には「ミニブログの~」という枕詞(まくらことば)はもういらないはずだ。=毎週日曜日に掲載
◇
毎日新聞 2009年12月27日 東京朝刊
オバマ大統領も使っているんだっけ!新しいこと好きの小父さんも2回くらい登録を試みたが失敗!いまだにこの「ツイッター」たるものがどんなものかも分かっていない。gooの説明なんかでも一日に何回かつぶやいたらそれがまとめて投稿されてブログになるような説明書きがあったが、それだととても便利だと思う。来年の目標にしようかな。
今年放送の「坂の上の雲」が終わった。近代史だけに、すーっと引き込まれていく。次は来年の12月だとか、なんで1年も間をあけるのだろう?
ただえいみさんのに返信してるぐらいで
友達もすくなく
あまり自分のは更新してませんが、、、。
気になりますね~
どなたか、翻訳してください!!
坂の上の雲は、どうして続きは一年も先なんでしょうね。
ひょっとして、香川照之が大河ドラマにに出演するから?
一年間、拘束されるんですよね。
正岡子規の役は、やつれていないといけませんものね。
岩崎弥太郎が、やつれていたら変ですよね。
早く続きが観たいです!
へーっ、えいさんとやりとりされているのですか!
更新情報のえいみさんひらいてもあそこではwitterが
何のことだか分かりませんね。
また、やりはじめたら教えてください。
「坂の上の雲」の上の動画を観ても懐かしい気がしますね。とても面白いですが、視聴率はどうなんでしょう。
亀田のボクシングや仁にチャンネルを持っていかれたましたかね!?来年は観たいという気持ちが残っているでしょうか!
私もこのニュースを観てはじめて知りました・・・遅れてる~~^^
取材では街のお店から「今ココで飲んでます近くの方来ませんか」と発信して集まって飲んでました。
観てたらユーザー名だけで本名も知らないって言ってました。
皆さんiPhone片手にコメントを打ち込んでましたが、打ち込む速さにびっくりでした。
今からはツイッターがネット会話の主流になるのでしょうね!
PC環境が整っていない場所に行ってる時、
この方法でブログに貼り付けてました。
ってことは、どこでも書くことができるのでしょうね。
私は未だ、この使い勝手が全然理解できてないです。
小父さんに、是非とも来年チャレンジしていただいて
使い方を伝授してもらいたいですねぇ。
坂の上の雲、ほんとに11ヶ月も空いてしまうと
この盛り上がりが沈んでしまいますね・・・
昔は私も楽しみで見ていました。
何となくgooブログのひとことはこれの親戚かな?と思います。
どこかで書いたかも知れませんが、若い世代は電話の声で話さないで文字で会話するようになってきているんでしょうか!
iPhoneもまた新しい世代の武器のようですね(笑)
gooブログでも基本的には携帯電話から自由に投稿できますが、twitterはたぶん一味違うようですね。
何が違うかだけでも知っておきたいのですが、すべてのブログ機能でも最初のスタートラインでいつもとまどっています。
「坂の上の雲」時間があいた分だけ楽しみが増えますかね?外国にお住まいでしたら「坂の上の雲」の主人公たちの西欧をみる視点も興味深いでしょう。