函館深信 はこだてしんしん-Communication from Hakodate

北海道の自然、そして子どもの育ちと虐待について

小幌に行って、思い出した”遠くの山”と、”隣る人”

2015-10-18 | 小幌はやっぱり秘境駅でした

 

以前、網走で単身赴任していたころ、星野道夫さんの本に癒されたり、NHK eテレの児童虐待の番組を見て考えたりしたことを記事にしたことがあるのですが。。。

 

ここからリンク→ ヒトの心の中の”遠くの山”と、”隣る人” ←ここまでリンク

 

小幌を訪れて、その記事のことが頭にはっきりと浮かんできて、「あ、おんなじなんだなぁ。。。」と思いました。

やはり、人は人里から遠く離れてみるということが、時として大切なんだと気づかされました。

そして、自分自身にも、苦しい時に見守っていてくれる大自然や、「ヌプリ」や、秘境があるし、同時に心の中にいて励ましてくれる”隣る人”がいてくれるんだなぁと思い出すことができ、感謝し、幸せを感じることができました。

苦しい、苦しいと思いつつも、それには時間的、量的な限界があって、天は私に耐えられないほどのことはなさらないと、私も知っています。

最近は、オアラピヌイで撮った、波の浜辺の動画を聞いて、眠りについています。

その動画を撮ったのは、午後4時ころ。こちらでの公開は、”時系列”にこだわっているため、もう少し先になります。(今はお昼ころの分まで公開しています)

m(__)m

 


円空さんの彫った 岩屋観音堂と小幌洞窟-小幌海岸 +YouTube

2015-10-17 | 小幌はやっぱり秘境駅でした

昔々、全国を回って祈り、托鉢し、仏像を彫って歩いていた円空さんというお坊さんがおり、はるばる蝦夷地までも来ておらっしゃったそうな。

その円空さんの彫った観音様を祀った観音堂がこんな人里離れた小幌海岸の洞くつにありました。

豊浦町教育委員会による説明文によると

岩屋観音     通称 首なし観音
1666年に僧円空がこの洞くつで仏像を彫って安置した。
修行の僧が、熊に襲われこの仏像の後ろに隠れて難を逃れた。仏像の首を首を熊に食いちぎられて以来「首なし観音」と言われて来た。
1894年、泉藤兵衛により首は修復された、と伝えられている。
 祭礼は、9月16日、17日に行われる。豊浦町教育委員会

木の幹を組み合わせたような粗削りの鳥居が、洞くつや円空さんの仏像にマッチしています。

 

粗削りの中に現代に通ずるデザインチックな描写がみごとです。

洞くつの中の仏像ごしに洞くつ入り口の鳥居と浜を撮らせていただきました。

 

 

 

円空さんの彫った 岩屋観音堂と小幌洞窟-小幌海岸


岩屋観音の海岸散策

2015-10-17 | 小幌はやっぱり秘境駅でした

小幌海岸を散策しました。地図には「小幌海水浴場」と書いてあるのですが、、、こんなに波の高い場所で海水浴ができる日があるのでしょうか。。。観音堂のお祭りを開くための立派な庫裡もあります。

岩屋観音の海岸散策


不器用な私---小幌駅から秘境小幌海岸小幌洞くつへ YouTube

2015-10-16 | 小幌はやっぱり秘境駅でした

もっともっと先に、みなさんに見せたい動画があるのですが、”時系列”にこだわっているため、なかなかお見せできません。こだわり強いのもたいへんだわぁ。。

こちらは、小幌駅から歩いて海岸へ下った時のものです。目が悪いのもあり、人一倍ゆっくり歩いています。適当に飛ばして見てください。 

<(_ _)>

 

小幌駅から秘境小幌海岸小幌洞くつへ


小幌秘境駅のもう一つの魅力…

2015-10-16 | 小幌はやっぱり秘境駅でした
小幌駅が、秘境駅と呼ばれるのは、二つの面があると思う。第一の理由は、トンネルとトンネルに挟まれた幅およそ80メートルほどしかないその駅の佇まいと、その両側のトンネルから、自然の換気口よろしく吹いてくるトンネル風、そして、列車通過時には、列車が小幌駅の反対側のトンネル入り口に差し掛かると途端に吹いてくる突風、列車通過時の轟音と突風、その後の静寂など、駅の不思議さの部分。
そしてもう一つは、秘境の入り口の駅という面。


そちらの側面は、私は恥ずかしながら行って初めて知った。

あんな狭い空間なのに、それに収まりきらないだけの大自然が溢れている。そして、そこを崇め、愛したであろう、アイヌ民族の、それ以降の和人の歴史も感じることができる。

そのことも、これから紹介していきたい。訪問から一週間になるが私の中にはまだ小幌の大自然が確かに居座っていて、そぼ降る雨の日、爽やかな朝日差す日、「小幌ではどんな景色が広がっているのだろう…」と、その都度私を遠い秘境の地へ誘ってくれるのだった。