Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

JABODETABEK-最近の話題

2010年05月07日 18時13分04秒 | インドネシア
ジャカルタの電鉄区間であるPT KAI COMMUTER JABODEDABEK管内において、ここ最近いろいろな話題がありましたので、簡単にご報告したいと思います。なお、報告の内容についてはインドネシアの鉄道ファンや鉄道会社に勤務する方からの報告であり、私が実際に確認したものでありませんのでご了承いただきたいと思います。

●東京メトロ7000系第一弾、ジャカルタ到着
インドネシア西部時間、先月19日16時頃に東京メトロ7000系7117F10両編成がTanjung Priok港に到着しました。到着後はトレーラーにてBalai Yasa Manggaraiに収容され、その後Bukit Duriの車庫へ移動したようです。試運転並びに営業の時期についてはわかりませんが、わかりしだいお知らせしたいと思います。

写真は船から慎重に降ろされる7000系です。


Bukit Duriの車庫へ移動した7000系で、帯の色は変更されていません。どのような帯の色が巻かれるのか楽しみです。


今後は先日もお伝えしたように3編成計30両が順次毎月到着するようです。また、東西線で使用している05系3編成30両と千代田線の6000系2編成計20両が譲渡されるのではという情報がインドネシアの鉄道ファンの中では話題に上がっていますが、実際どこまで話しがまとまっているのかわかりません。同時にINKA社で組み立て予定の4両編成10本、計40両(今年は8両落成予定)の計画もあり、どこまで計画が実行されているのかわかりませんが、わかりしだいお知らせしたいと思います。

●6000形6151F前面リニューアルで登場
2008年10月30日にKampung Bandan付近で衝突した6181Fと2009年8月4日Cilebut~BogorでHolecと衝突した6151Fの2編成が編成を変更し、6151と6188は前面をリニューアルし見事復帰しました。新たな編成はJakarta Kota寄りから6188 6175 6176 6151の4両編成で、4月23日には110km/h高速試運転(percobaan)が実施されました。7日あたりからBogor線でEkspresとしてたった4両で営業されているようですが、今後は環状線においてCiliwungに充当することを予定しているようです。なお、残った6000形車両の処遇についてはわかりません。


●KRL-I、8両編成で営業?
従来、環状線やTanjung Priok線などで活躍していたKRL-I(INKA社組み立ての冷房車)2編成を1編成に組成の上、Bogor線などで営業についたという情報を現地のマニアから聞きました。真偽のほうはどうだったのかわかりませんが、現在は環状線のCiliwungで4連で営業しているようです。しかしながら、6000形リニューアル車が環状線に充当されることも予想されますので、もしかしたら103系と同様にに8連での営業が実現するかもしれません。

●抵抗制御車(RHEO)、Manggarai駅付近で脱線(anjlok)
インドネシア西部時間、6日午前11時頃、Manggarai駅付近において、抵抗制御車(RHEO)が脱線しました。列車はBukit Duri車庫に収容する列車であったため乗客はおらず、けが人はおりませんでしたが、架線柱をなぎ倒した模様で、車両の破損状態は軽傷のようです。現在はBukit Duri車庫に収容されているようです。

以上でありますが、また、何か話題がありましたら、報告したいと思います。
Foto:Mas Adam

東京メトロ7000系ジャカルタ到着近し

2010年04月15日 01時22分29秒 | インドネシア
インドネシアの鉄道会社(KCJ)で働いている方から東京メトロ7000系の情報を先程いただきました。第一弾として7000系7117Fが4月19日にジャカルタに到着するとのことです。その後7121Fから7123Fの3編成分を約1ヶ月毎に導入する予定で、今年の夏頃までには全ての車両が到着する予定です。KCJにおいてはホーム有効長などの関係から1編成が最長8両編成であるため、余る2両分については予備もしくは部品取り用となる予定です。ジャカルタ到着しだいこの件についてはご報告したいと思います。
また、KCJで活躍する元東急8610Fの腰部の帯に黄色の細い帯が付け足されております。前面についてはこの黄色の帯は付け足されておらず、従来どおりのようです。(検査明けかどうかは不明)
Seri Tokyo Metro 7000 yang pertama(7117F) akan datang ke Jakarta pada tanggal 19 bulan April.
Sesudah itu 3 rangkaian (7121F-7123F) yang seri Tokyo Metro 7000 akan datang ke Jakarta saban bulan sampai bulan Agustus.
1 rangkaian yang seri Tokyo Metro 7000 akan terdiri 8 buah gerbong.
Lalu yang 2 buah gerbong untuk hanya serap saja.
Kalau saya menurima foto yang seri Tokyo Metro 7000 dari teman saya di Jakarta, saya akan muat fotonya di weblog saya.

Balai Yasa Manggarai訪問

2009年11月14日 17時38分58秒 | インドネシア
今年7月のジャカルタ訪問時の話題がご無沙汰になってしまいましたので、その続きということで述べていきたいと思っております。
7月3日から6日の午前中までDepok車両基地で形式写真の撮影や職員の方とお話しをさせていただき、思う存分楽しませていただきましたが、職員のご好意によりManggaraiにある車両工場を6日の午後から訪問させていただくことになりました。
我々一行は荷物も多く、このまま電車に乗り込むと混雑などで大変な目に遭うのではないかということで、Depok車両基地の区長さんに乗務員室に乗車する許可をしていただけるように一筆書いていただきました。タクシーまで呼んでいただき、我々一行は重い荷物をトランクに入れて、Depok車両基地をあとにし、Depok駅へと向かいました。Depok駅に到着するとすぐにEkonomi ACが到着しますという構内放送があり、我々は重い荷物を引きずりながら前方に急いだのですが、列車は思ったよりも早く到着し、我々一行を追い抜いていきました。私はすぐさま乗務員室まで走り、先程区長さんに書いていただいたものを見せると乗務員室に乗車することに許可をいただき、乗り込むことができました。2008年の2月以来、一般の乗客は乗務員室に乗車することができなくなり、私としても乗務員室に乗車するのは久しぶりですが、やはり前方が見えるのは鉄道ファンでなくても爽快であります。ましてやジャカルタ首都圏の電車は昔の国鉄のように運転席後部のブラインドを全ておろしてしまい、完全に乗客の方からは前方が見えない状態であり、鉄道ファンやチビッ子にとっては有難くないことですが、私としては久しぶりに生の展望シーンを十分味わいさせていただきました。
Manngarai駅に到着すると乗務員達に別れを告げ、駅の南側に接する車両工場へと向かいました。この工場の正式名称はBalai Yasa Manggaraiであり、日本語にするとManggarai車両工場ということになりますが、このBalai Yasaとは元々インドネシア語(マレー語)ではなく、どうもサンスクリット語のようです。
この車両工場については以前も述べたことがあるかと思いますが、この工場内に入ることが難しく、必ず許可証を必要とするようです。私も過去に何度かアポや許可書も持参せず、工場の入口にいる警備員に断られておりますが、今回はDepokの区長さんなどの計らいもあり、入口の警備員に告げると入ることができました。この日はたまたま全体会議がこの工場内であるということで、各部署の幹部クラスもお見えになり、私どものような趣味で訪問することは本来慎むべきところでしたが、幹部クラスの方々の目に届かないように訪問させていただきました。工場の中へ導かれると昨年12月に来日されたI氏に御会いすることができました。彼もまた幹部クラスの一員でありますが、鉄道技術支援を受けて日本の鉄道会社で実習していたこともあり、日本語もかなり上手なものでありますが、インドネシア人特有の冗談も交えて、楽しいお話しを聞かせていただきました。

とりあえず役目を終えたHolecの車両

そして、いよいよI氏に導かれ、工場内を拝見させていただくことになりました。工場の大きさはというとグーグルアースを見ていただければ一目瞭然なのですが、JRの工場に比べて同等もしくはちょっと小さいぐらい程度の広さではないかと思います。工場内には写真のようにEkonomi車両では経年的にまだ新しいHolecの車両が多く留置され、これらの車両は現在行われているKRDEへの改造が行われるものではないかと思います。また、Holec以外にEkonomi鋼製抵抗制御車が検査入場に伴う塗装変更を行っていたり、昨年10月にKampung Bandanでディーゼル機関車に正面衝突された6000形(6188)が修復工事を行っていたりとかなり見応えがあります。残念ながら前面が滅茶苦茶になってしまった6188は、撮影禁止ということで1枚も写真が撮れませんでしたが、先日も述べましたように乗務員室自体がほとんどないような状態でした。いずれは別のキャビンを製作し、先日のBogor付近で衝突した6000形の片割れと組成した上で、新たな顔を持った6000形がデビューするかもしれませんが、かなり台枠もいかれているようですので、そのことを考慮すると果たしてどのようになるのか今後注目していきたいと思っております。
以上、Balai Yasa Manggaraiの中の様子については、このようなものでありますが、興味のある方は許可書をまず取得された上で、ご訪問されるのもよろしいかと思います。

塗装中のEkonomi鋼製抵抗制御車

Ekonomi用リニューアル車登場

2009年11月06日 21時46分55秒 | インドネシア

フィリピンの話題を続けておりましたが、ここでジャカルタの鉄道ファンからジャカルタ首都圏で活躍するEkonomi車両の話題をいただきましたので簡単に述べたいと思います。
現在、ジャカルタ首都圏で活躍する電車は1976年以降に製造された車両ですが、古い車両で既に約30年が経過し、車両として廃車するか抜本的な更新工事を行うかその岐路に立たされています。そのような中で先日Ekonomi用抵抗制御車にリニューアルされた車両が登場しました。写真のように今までどことなく103系に似たスタイルから斬新なフェイスと色使いで登場し、ジャカルタ市民に脚光を浴びているようです。
この編成は6両で組成され、詳細については確かなことが言えませんが、2008年の編成表から推測すると既存の4両編成1本の中にあまりのM2両を入れて組成されたようです。また、車両番号については、Tc78114 M78101 M83107 M78113 M83115 Tc78120で組成されているようです。現在のところこのリニューアルされた編成はSerpong線を中心に運行されているようですが、78年から84年までに製造された車両で引き続きリニューアルが実施され、Bogor線などでも見ることができるのか興味深いところです。

下の写真は78年から84年に製造されたオリジナルの抵抗制御車です。


話しは変わりますが、やはりジャカルタからの話題で黄色帯で活躍しておりました東急の8604F編成がBekasi線Cipinang駅付近において乗用車と衝突し、8604Fにも損傷が及んだようです。目だった損傷の程度はスカートに破損が見られ、現在のところBalai Yasa Manggaraiに収容されているようです。また、修復工事に入ると思われますが帯の色も同時に変更されてしまうのか注目されます。

Foto:Mas Adam
Informasi:Mas Galuh

JABODETABEK103系の方向幕

2009年07月20日 17時00分32秒 | インドネシア
先日に引き続き、本日もジャカルタの話題を1つ述べたいと思います。
今回は方向幕に注目することとして、特に興味のある103系の前面の方向幕にどのような行先表示が入っているのか調査してみました。

まずは低運の車両ですが、Mc153とT'c632には以下の方向幕が入っております。
上から順番に
JAKARTA KOTA 赤←文字の色(黒フチドリ。以下表示されていないものは全て黒フチドリがある)
TANAH ABANG 黄
DEPOK 黄緑
BOGOR 紫(青フチドリ)
BEKASI 薄緑
SERPONG 黄
TANGERANG 青
MANGGARAI ピンク
BOJONG GEDE 緑
PERCOBANAN 紫

次にMc105は以下のとおりです。
JAKARTA KOTA 朱
TANAH ABANG 黄
DEPOK 緑
BOGOR 濃い紫
BEKASI 紫
SERPONG 薄ピンク
TANGERANG 青
MANGGARAI 黄

次にT'c597は以下のとおりです。
JAKARTA KOTA 薄ピンク(茶フチドリ)
TANAH ABANG 薄黄
DEPOK 緑
BOGOR 紫(朱フチドリ)
BEKASI 紫
SERPONG 黄
TANGERANG 青
MANGGARAI ピンク

整理してみるとMc153とT'c632にはBOJONGとPERCOBANAN(試運転)が入っていますが、Mc105とT'c597には入っておりません。また、同じ行先でも文字の色は同じであるとは限りません。
社員にこの方向幕については質問しておりませんが、手動式方向幕のような布製のものが使用されており、お手製ではないかと思われます。文字の色が薄くなっており、どうも脱色が激しいようですので、このような方向幕を撮影する上では今のうちかもしれません。


一方、高運の車両ですが、Tc815とT'c822には武蔵野線の方向幕が現在も入っております。
Tc359は方向幕がなく空っぽであり、T'c384は以前も報告しましたように現在、Depok車庫検修係のR氏製作のローマ字とカタカナ併記の方向幕が入っております。

T'c384は以下のとおりです。(ローマ字は省略します)
ジャカルタ コタ
ボジョン ゲデ
タナハ アバン
デポック ラマ
デポック バル
タンゲラン

以上、発音上おかしなものがありますが、試しに製作したところもありますので、大目に見ていただきたいと思います。

Ancol行き観光列車に乗車

2009年07月17日 17時21分38秒 | インドネシア
ジャカルタ滞在中に日曜日に滞在したことがありませんでしたので、日曜日と休日のみに運行されるAncol行き観光列車に乗車したことがありませんでしたが、今回初めて乗車することができましたので、その様子について述べさせていただきたいと思います。
寝泊まりをしているDepok車庫を7時前に出発し、車庫の中を覗くと運良くEkonomiの車両が出庫するようで、手を大きく振って止まる合図を送りました。すると列車はゆっくりと停車し、Depok駅まで乗せてくれるように告げると、どうぞということでその列車に乗り込みました。以前でしたら本線上でも営業している列車を止めたりとか好きな場所で降ろしてもらうことはできましたが、今のご時世ではこよのような勝手もまったくできなくなり、私としては少々残念に思っております。特に日中ですとDepokの車庫に用事がある時にはEkspresはDepok駅に停車しない列車が多いので、不便さを強いられております。
このDepok車庫から出庫した列車はKota行きであり、私達はBogorへ行って、そこからAncol行き観光列車に乗車することにしておりましたので、このままこの出庫した列車には乗車できず、一度、切符売場でBogorまでの切符を購入し、Bogor行きを待つことにしました。Bogor行きEkonomi列車はすぐに到着し、乗り込むとおよそ30分ほどでBogorに到着しました。
Bogorで朝食を済まし駅の北側にある車庫でKRL Maniaと待ち合わせをしておりましたが、すぐに彼らと会うことができ、そろったところで8時24分発のAncol行き観光列車に乗車しました。この日この列車に充当されたのが写真のように6151F6両編成でありました。列車は定刻よりも若干早く発車し、Ekspres列車として快調に飛ばしましたが、Manggarai駅手前で少々信号待ちのため停車し、Manggarai駅では高床ホームのない7番線(Bogol線下り本線の西隣)に停車しました。ここでしばらく停車となったのですが、Tanah Abang方面からEkonomi列車が到着し、Serpong方面などからの乗客がこのAncol行き列車に乗り込みました。列車は10分ちょっと停車したのち、進行方向を変えて環状東線(Bekasi方面)へと下に掲載したように何度も線路を渡りゆっくりしたスピードで転線し、Jati Negaraへと向いました。乗車率の方はというとBogor線内ではほぼ全員の乗客が座れておりましたが、Manggarai駅でSerpong線方面からの乗客を乗せたため立つ乗客も目立つようになりました。

写真はmanggarai駅に停車中のAncol行きとTanah Abang方面からのEkonomi列車。


上の図はManggarai駅の配線図です。左側がKota・Tanah Abang方面で、右側がBekasi・Bogor方面です。(BudはBukit Duri車庫)

Jati Negara駅ではManggarai駅と同様に再び進行方向が逆となり、運行する上では非常に面倒なことになります。私はこのまま終点のAncol駅まで乗車してみたかったのですが、私のお連れの方は大の東急ファンであり、Bekasiの電留線に常駐している8604Fの編成の撮影を行う予定になっておりましたので、とりあえずKRL Maniaの何人かと一緒に行動してもらうため、この駅で降りてもらうことにしました。このJati Negara駅ではもちろん停車するものの側引戸が閉まったままであり、慌ててManggarai寄りの乗務員室から降りていき、一足お先にBekasiへと向いました。
取り残された私とKRL ManiaのG君はこのまま列車に乗車しAncolへと向いました。このKRL ManiaのG君の話しをちょっとここで話しをさせていただきたいと思いますが、以前も話しをしたように大の東急ファンであり、帯の色や方向幕やLEDの行先表示などを見てこれは8510編成、これは8508編成などと簡単に答えてしまうのですが、将来はやはり電車の運転士になることを夢みており、できれば現在Depokの車庫で働くR氏のように運転士兼検修の鉄道マンになりたいと述べておりました。どうも鉄道の仕事に就くには難関の試験に突破しなければならないのですが、是非とも彼には頑張ってもらって夢を叶えてもらい立派な鉄道マンになってほしいものです。
我々のAncol行き観光列車は環状東線の下町の中を快走し、あっという間にAncol方面と環状東線が分岐するRajawali駅にさしかかりました。

上の写真が分岐点のRajawali駅で、ここで進路を北東方向へと変えますが、線路は複線のものの実際には西側の線路しか使用されておらず、実質単線区間となります。スピードのほうも線路状態が良くないのか30km/hほどにスローダウンしました。西側から直線の線路が見えるとこのRajawali駅からの線路と交差する直前に小さな駅が設置されたところが終点のAncol駅で、多くの乗客はここで一斉に降車し、今まで賑やかだった駅も3分ほどで静かな駅となりました。

写真はAncol駅です。右の線路がKotaへ向う線路で現在リハビリ中で、今年中にはKota~Tanjung Priokの間に列車が運行されるものと思われます。

私達は切符を売っているのかどうかわからずこのまま乗車し続け、折返しで先程と同じルートで戻る列車に乗ってJati NegaraでBekasi方面に乗り換えることにしました。5分ちょっとでAncol駅を折返し、先程の環状東線を通ってJati Negara駅で一度降りて、Ancol行き観光列車(実質Bogor行きです)に別れを告げました。
15分ほどで8618FのEkonomi ACのBekasi行きが到着し、この列車に乗車するとしばらく3線区間で徐行運転となり、2本のCikampek方面に向う列車に追越されました。しばらくして3線区間も終わり本線に合流すると、通常のスピードにもどり20分ほどでBekasi駅に到着しました。

上の写真はBekasi方面からAncol行き観光列車に充当されたと思われる8604Fです。この帯の色もそろそろ見納めかと思われます。

Bekasi駅から西側にある電留線は線路沿いを歩いて5分ほどのところにありますが、ここで先程Jati Negaraで別れた仲間と合流し、私は車庫で撮影開始となりました。既に我々の仲間はおおかた撮り終えたようでしたが、私はまだ撮影しておりませんでしたので、とりあえず先に駅に向ってもらい、Bekasi駅で待ち合わせの上、12時10分発のKota行きEkonomi ACに乗車することにしました。
この列車の発車まではこの時点で20分ちょっと残っていたため、10分ほどで撮り終え、駅に向うことを考えていたのですが、途中下の写真のようなおじさんが自転車を漕いで回す、自家製の子供観覧車を見つけ眺めておりました。

インドネシアでは列車の中で自家製のカラオケセットで歌を歌う商売もありますが、12時10分に乗るはずの列車のことも忘れてしまい、これも面白い商売だなーとしばらく眺めておりました。急いでBekasi駅に戻ると、既に12時10分発の列車が入線しており、我々の仲間を探したのですが見つからず、もしかしたら切符売場にいるのではないかと思い、切符売場に行ってみました。しかしながら見つからず、切符も買わないで仲間を見つけることにしました。私は列車の後方から車内とホームを探しましたがそれでも見つからず、この時点で列車の発車を告げるチャイムの音が流れておりました。すると前方のほうに豆つぶの姿にしか見えませんが、我々の仲間であることを認識し、乗るように合図を送りました。すぐに列車の扉は閉まり発車したのですが、私は切符を購入しておらず、通常の2倍ほどの運賃を払うことを覚悟しておりました。車内を移動し前方へと進むと我々の仲間に合流できましたが、私のことを心配していただいたのか私の分まで切符を購入していただき、私は通常の2倍近くもする運賃を払わないで済みました。これも我々仲間のおかげであり、ご迷惑をおかけしたことをお詫びしますが、私のために切符を購入していただいた方にはその料金も未だにお支払いしておりませんので、あらためてお支払いしたいと思っております。
私としてはちゃっかりとした行為で申し訳ありませんでしたが、ちょっとした面白い冒険ができたのではないかと思っております。それでは今日のところこの辺で終わりとして、また別の話題を後日述べたいと思います。

ジャカルタ首都圏の鉄道の混雑ぶりは東京以上?

2009年07月13日 19時22分54秒 | インドネシア
先日に続きジャカルタの話題を続けていきたいと思います。
7月6日朝、私はBogor線の沿線で走行写真を撮影するため、寝泊まりしていたDepokの車庫からいつもの撮影地であるUniversitas Pancasilaに行ってみることにしました。朝7時ちょっと前にDepok車庫を出発し、出庫する列車に乗っけてもらおうかと思い、車庫を管理するガードマンに尋ねてみると既に全て出庫してしまったということで、Depokの駅まで歩いていくことになりました。Depok駅に到着してみると2番線に低運の103系が停車しており、しばらくすると3番線に高運の103系が入線し、光線状態は悪いものの103系の見事なツーショットが実現しました。2番線の103系はEkspresに充当されているため、私の降りる駅には停車しないのですが、3番線の高運の方はEkonomi ACに充当されているため、この列車に乗車してみることにしました。朝から私には幸先の良いスタートとなりましたが、私にとって朝のラッシュ時に上り列車に乗車するのは初めてで、いったいどれくらい混雑するのかと興味がありました。103系のツーショットを撮影したのち、運転士に何分に発車するのか尋ねてみたところ7時25分という返事がありましたので、ちょっと時間があるなと思い運転士にブレーキハンドルを抜いてもよいかと尋ねてみました。乗務員室に乗り込みブレーキハンドルを廻し抜いた瞬間に「プシャー」という強烈なエアーの音を聞くことができ、103系マニアの私としてはとても感動しました。
103系の車内を見るとすでに空席はない状態になり、立っている人や新聞を床に置いてその上に座る人や自家製の小さな椅子に座る人などで、車内は少しずつ混雑してきました。出発時間になると車内はすでに混雑率150%ぐらいとなり、辛うじて新聞が読める程度になりました。定刻7時25分に列車がゆっくりと出発し、2分ほどで隣駅のDepok Baruに到着しました。Depok Baruのbaruは新しいという意味ですので、日本語にすれば新Depokという駅名になりますが、先程、私が乗車した駅であるDepok駅は人によってはDepok Lamaと呼ぶ人が多く、lamaは古いという意味なのですが、今でも103系の行先表示などで使用されております。Depok Baruでかなりの乗車があり、ほぼ身動きのとれない状態になり、混雑率は既に180%といったところでしょうか。このまま都心部に近づくにつれて混んでいくだけと思われ、いったいManggarai駅ではどれくらいの混雑率になるのか体験してみたい気持ちにもなりました。およそ4分ほどで隣駅のPondok Cinaに到着。この駅名の由来も気になるところですが、cinaは中国という意味で、pondokは小屋や長屋という意味があり、昔は華僑の人々が多く住んでいたのかとそのように推測しております。JABODETABEK管内の駅名のことを語ると止まらなくなりますのでこの辺でやめておくこととし、この駅でも先程のDepok Baruほどではありませんが少々乗車がありました。続いて停車するのがインドネシアでも超エリート学校のあるUniversitas Indonesiaですが、私の降りる駅はその隣の駅であり、私は擦れ違う列車を見ていたため降りる駅では開かない方の扉近くにいたのですが、おそらくUniversitas Indonesiaでもかなりの乗車があり、かつ降りる駅で降りれなくなることも考慮し、一度ホームに降りることにしました。駅に到着寸前私は身を捩りながら「Permisi! Permisi!(すいません!すいません!)」と言いながら開く方の扉に近づきました。扉が開くと同時に降りる人のこともお構えなく乗車する人が乗り込んで来ましたが、そこは私も踏ん張って力づくで一度ホームに降り、再度ぎゅうぎゅう詰めになった車両に乗車しました。インドネシアに限らずフィリピンでもそうですが、電車の乗り降りのマナーが悪いため、かえって乗り降りに時間を要しておりますが、このような乗車マナーも改善できれば少しでも遅延の回復につながるのではないかと思っております。扉にへばりつくように乗車できたものの既に車内は約200%の混雑ぶりを呈しており、これ以上乗車できる余地はなく、冷蔵庫の中にいるくらいの冷房の効きで知られている103系でも、車内は若干暑く感じておりました。Universitas Indonesiaを出発し、長い直線区間を下り、5分程で目的地のUniversitas Pancasilaに到着しました。扉が開くと私はすかさず降車しましたが、この駅で乗車する方は思ったよりも少なく、ぎゅうぎゅう詰めになった103系は何事もなく出発していきました。

103系を見送ったあとはいつも撮りなれている場所で撮影しておりましたが、ここで列車の通過する時間をチェックしてみました。(8:00~9:00の1時間)
まずは上り列車ですが以下のとおりです。
8:06 Bumi Guelis
8:09 8039F
8:12 6177F
8:15 RHEO
8:23 8612F
8:27 RHEO
8:30 6227F
8:34 6121F
8:45 RHEO
8:48 8500系(番号不明)
8:55 8007F

下り列車ですと以下のとおりです。
8:02 8608F
8:04 6227F
8:09 8612F
8:15 Hitachi
8:24 5809F
8:30 RHEO
8:41 8607F
8:41以降9:03の103系通過まで列車は1本も通過しませんでした。

上記のとおり列車の間隔は非常にランダムであり、この日は中央線系統に大幅な遅延がありましたが、それにしても列車の間隔をできるだけ等間隔にし、1本の列車に負担にかからないようにすることも遅延を防止する上では重要ではないかと思いました。
また、今後もジャカルタ首都圏においては人口の自然増加と社会増加が予想されることから、Bogor線を中心に輸送力増強が望まれますが、列車本数の増強、編成両数の増強や安全面上今後重視されるATSの設置など、ハード面での整備と先程も述べたように乗車マナーの改善、時差通勤の促進、運賃体系の見直しなどのソフトの面での改善も必要かと思われます。

1時間あまり撮影したのちDepokの車庫へ戻ることになりましたが、Universitas PancasilaからEkonomi列車でDepok駅へ戻ると1番線に本来Jakarta Kota行きのEkonomi ACに充当されているはずの103系が止まっておりました。もしやこの列車はDepokで運転打ち切りではないかと思い、車庫の中まで乗せてもらうためホームを走り、103系が1mぐらい走りだしたところですかさず「私は車庫まで行きたい」と叫ぶと列車は運良く停車し、この車庫行きの103系に乗車させていただきました。
この日は私にとって運の良い日であり、かつ103系には恵まれた日でもありました。

Bukit Duri車庫訪問

2009年07月12日 00時25分40秒 | インドネシア
本日もジャカルタの話題を述べていきたいと思います。と言っても一昨日の記事の続きではありませんが、7月4日午後にBukit Duri車庫を訪問しましたので、そのことに関して少々述べたいと思います。
3日夜に我々は地元の鉄道マニアであるKRL ManiaともどもDepokの車庫に宿泊し、寝起きをともにしたのですが、さすがに疲れが溜っていたのか朝6時になっても眠ったままであり、私だけがのこのこと起きだして、一足先にDepokの車庫をお散歩ついでに停泊している車両の撮影となりました。なんだかんだと1人で車庫の中で撮影と調査をしているうちに時間が過ぎるのも忘れてしまいました。すると土曜日にもかかわらず鉄道職員たちは出社し、KRL Maniaともども食堂で朝食となったのですが、私はそれどころかやることが多くあり、少々雑談したのち朝食も食べず再び車庫で撮影を開始しました。撮影が終わるとすぐに担当者と御会いするといつものように運用表をお願いすると同時に少々質問したのですが、この日は鉄道職員の結婚式があるとかで、結局いろいろな質問はできませんでした。
ほとんどの職員は結婚式に参列するため、私は前回撮影できなかったBukit Duriの車庫へ行ってみることとし、職員にお願いして許可証を発行してもらいKRL ManiaとともにBukit Duriの車庫へ行ってみることにしました。東急好きなKRL ManiaのおかげでEkonomi ACに充当されているJALITAに乗車し、Manggarai駅で降車したのち、駅からバジャイに乗ってみることにしましたが、やはりインドネシア人が同行すると運転手はふっかけることもせず一安心しました。
Bukit Duriの車庫の入口で許可証を渡すと中に通されました。ほとんどの車両や職員たちがDepokへ移されたせいかとても閑散としており、土曜日の昼下がりには車両ではKRL-Iが2本、6000形6281FのCIUJUNG、Holecが1本と抵抗制御車(RHEO)が1本停泊しているのみで、以前のように手狭なこの車庫内にぎゅうぎゅう詰めな車両の姿は見られませんでした。

写真は6000形6281FのCIUJUNGで、確認をしておりませんが下記のような時刻で運行されているものと思われます。
←Tabah Abang Serpong/Manggarai→
6281 6282 6285 6286 6287 6288
Srp5:45→Thb6:25 6:30→Srp7:06 7:20→Thb7:58 8:05→Srp8:42 9:05→Thb9:41 9:50→Srp10:27 10:50→Thb11:26 11:30→Mri11:40
Mri14:50→Thb15:00 15:10→Srp15:47 16:20→Thb16:56 17:10→Srp17:47 18:10→Thb18:47 19:10→Srp19:46
毎日運行(Setiap hari jalan)
Srp=Serpong Thb=Tanah Abang Mri=Manggarai


一方、KRL-Iの運用状況ですが下記の運用に充当されているものと思われます。
←Kampung Bandan 環状西線基準 Manggarai→(1周するごとに編成の向きが変わりますが、最終的には向きが元どおりになります)
01B0105 01B0206 01B207 01B0108(水色の編成)
Mri6:30→内回り→Mri7:29 7:40→内回り→Mri8:42 8:52→内回り→Mri9:52 10:00→内回り→Mri11:02
Mri15:30→内回り→Mri16:42 16:45→内回り→Mri17:47 17:50→内回り→Mri18:49 19:00→内回り→Mri20:04
土曜・休日運休(S/M/L Batal)

←Jakarta Kota 環状東線基準 Bekasi→
01B0101 01B0202 01B0203 01B0104(黄緑色の編成)
Tng5:45→Jak6:44 6:49→Bks7:35 7:50→Kmo8:30 8:38→Bks9:15 9:30→Tpk10:22 10:30→Bks11:22 11:42→Mri12:00
Mri16:05→Bks16:29 16:45→Tpk17:38 17:45→Bks18:43 18:50→Jak19:38 19:45→Tng20:44
休日運休(M/L Batal)
KRL-Iの運用は確認しておりませんので、おおよその目安として参考にしていただければと思います。また、回復運転が見込めない状態においては途中で運休となる場合がありますので御注意ください。
Mri=Manggarai Tng=Tangerang Bks=Bekasi Kmo=Kemayoran Tpk=Tanjung Priok

この他、抵抗制御車(RHEO)としてはエメラルド色の編成が留置されておりました。
このエメラルド色の編成は83108 78109 78111 76118と思われます。


結局この基地に1時間ほどおりましたが、留置されている車両が少ないことから早々に引き上げ、Manggarai駅付近で食事したのち、帰えることにしました。時間のほうは既に午後3時30分を過ぎており、KRL Maniaの方からBumi Geulisという列車があるのでこの列車に乗車しましょうということになりました。よくよくこの列車のことについて聞いてみると、いつもBogor~Sukabumiを1日1往復しているのですが、土曜と月曜日に限りTanah Abangまで足を延ばすようで、たまたまその時間にあたったのですが、5番線にDepokから103系が到着しましたので、到着した103系にも乗車できないかと考えました。このBumi Geulisで途中のPasar Mingguで降り、あとから来る103系に乗車しようと思っておりましたが、どうもKRL Maniaの話しでは次の停車駅がDepokとのことでしたので、私は103系に乗車して帰ることにし、KRL Maniaの方々とはここで別れることにしました。
続きは後日ご紹介します。

下の写真はBumi GeulisでBumiはSukabumiで、Geulisは美しいという意味らしいです。

ジャカルタから嬉しいニュース

2009年07月10日 14時52分52秒 | インドネシア

こんにちは。ご無沙汰しております。
先週7月2日より8日までジャカルタに滞在し、一昨日夜、台北に寄って、昨夜、日本に帰国いたしました。ジャカルタでの滞在中の気候は、4日夜に大雨に降られたものの概ね良好で、ほとんど撮影日和でした。しかしながら東京よりも涼しいのかと思っていたところ、ジャカルタの方が暑く、水分の補給はまめに行う必要があり、インドネシアではいつもお世話になっているTeh bottleというとても冷たくて甘いお茶を1日に何本も飲み、ノドの乾きを癒しておりました。

本題に戻しますと、ジャカルタ訪問する際には、いつものことながらできるだけ安い航空券で行きますので、つい最近まではキャセイパシフィック(CX)が最も安かったのですが、燃油サーチャージの大幅な値下げによって、台湾をベースとするチャイナエアーライン(CI)の方が安くなり、現在では往復で4万円ほどまでに値下がっていることから、今回はこのチャイナエアーラインで行くことにしました。ただ、値段的には確かに4万円という格安なのですが、今回の飛行ルートが成田を9時40分に出発し、台北に12時10分に到着。そして台北でトランジットして13時50分に出発し、香港を経由したのちジャカルタに20時20分に到着するという、成田の出発からジャカルタ到着までの時間が12時間を超えるハードなものでした。飛行機好きな方にとっては堪らないものかもしれませんが、3時間ぐらいで限界な私にはちょっとしんどいものがあり、そのような中でもどこのあたりを通過するのか興味深く、シートのモニターを眺め、ホーチミン上空近くでは街がどこにあるのか飛行機の窓からずっーと探しておりました。
とにもかくにも遅れもなくジャカルタに到着し、タクシーにていつも利用しているGondangdia駅近くのホテルにチェックインしました。

3日朝、朝6時過ぎにホテルで朝食を済ますと、まずはJABODETABEK最大のジャンクションであるManggarai駅へ行くことにしました。実は元々日本を発つ前からこのManggarai駅に行くことになっており、現地の中学生から大学生のマニアの方々とこの駅で御会いすることになっておりました。結局我々がManggarai駅に到着したのが約束の7時より20分も廻っており、すでに現地のマニアは到着しておりました。彼らは前回御会いした時と同様に元気そうで、半年も会っていないせいか身長も高くなったようで少々驚いておりました。この時期学校もお休みだとのことでわざわざ駆け付けてくれたのですが、みんなそろったところでこの駅で撮影開始となりました。
以前にもこの駅での状況について説明しましたが、とにかくひっきりなしに列車が通過し、何編成がどっちへ行ったとか、この編成の行先表示は幕だとかLEDだとかノートに記録するほどの時間がないぐらい忙しく、とにかく撮影するだけでも大変なぐらい忙しい状況です。また、今回私といっしょに同行した方々は東急好きとあって、この駅にいれば東急の全ての編成を見ることのできるおいしい場所なのですが、103系の方はというと、この駅で全ての編成を確認するには難しく、当時1本はBentengに充当されているものだと決め込んでいました。
すると昨年から8両編成で活躍しているT'c822の103系が、Jakarta Kota方面に向けて通過して行きました。いつもであればEkonomi Acとして充当されるのですが、どうもこの日に限って東急の運用に充当されているようでした。そしてその30分後になぜかBogor方面から103系がやって来ましたので目を凝らしてみると低運の103系が1編成8連になっている姿を見て驚きました。たしかに半年以上も断流器などが故障していたMc105の編成を修繕しましたという便りを社員から聞いておりましたが、まさか8連を組んでいるということまでは聞いておらず、この姿を見てびっくりしておりました。こちらの編成はどうもEkonomi ACに充当され、Tanah Abangの方に向いました。
103系の運用に関しては、担当者が多忙でしたので聞き取り調査は行えませんでしたが、通常であれば下記のような時刻で運行されているものと思われます。


写真は環状西線を行くT'c384他。(Sudirman~Manpang)
←Kota/Tanah Abang Depok・Bogor→
T'c822 M'2009 M752 Tc815 Tc359 M654 M'810 T'c384
Dp5:45→Mri6:23 6:31→Dp7:09 7:25→Thb8:15 8:27→Dp9:21
Dp15:07→Mri15:47 15:55→Dp16:37 16:40→Thb17:31 17:35→Dp18:25
Ekonomi Acとして運用。
なお昨年11月訪問時には夜間運行のDp→Jak→Dp1往復がありましたが、現在はなくなったようです。


Mc153 M'321 T210 T'c632 Mc105 M'231 T246 T'c597
Dp4:45→Jak5:43 6:00→Dp6:58 7:12→Jak7:48 8:00→Bjd8:45 8:53→Jak10:05 10:13→Dp11:14
Dp16:24→Jak17:02 17:11→Dp17:47 17:57→Thb18:28 18:42→Bjd19:25 19:32→Dp19:42
この運用はEkspresの運用ですが、一部Ekonomi ACです。
上記の編成がこの運用に充当されないことがありますので、ご注意ください。
また、土曜、休日は一部運休。
Jak=Jakarta Kota Mri=Manggarai Dp=Depok Bjd=Bojong Gede Thb=Tanah Abang

写真はEkonomi ACに充当されたT'c822他の編成で、7月5日はBogorにも顔を出しました。平日であれはクーラーの付かないただのEkonomi運用でも、土曜・休日にはEkonomi ACとして振り替えられる運用が何本かあります。

103系の事に関してはここまでとして、、詳細なことについては後日報告したいと思います。
この他、先日お伝えしましたJALITAですが、先日の時刻どおり運行されておりました。


先月6月5日午前7時45分頃、Bogor線Manggarai~Tebet間で発生した元東葉1000系とEkonomi車両の衝突事故についてですが、Manggarai車両工場にて修復工事を行い、7月6日に工場を出場し、Bogor線内で試運転を行いました。衝突した編成は1060Fの編成で、装いも新たなものに変更されました。
写真は工場外から撮影したものです。
Saya memotret rangkaian yang ditabrak di luar Balai Yasa Manggarai.


衝突事故と言えば昨年10月30日にKampung Bandan駅付近で発生した6000形とディーゼル機関車の事故ですが、長らく衝突された6000形6181Fは現在Manggarai車両工場にて修復工事を実施中で、損傷の激しい6188のフロントを中心に修復が行われています。6188のフロント部分は損傷が激しいので、おそらく別の顔になると思われ、反対側の6181には全く損傷が見られないので、6181はそのまま使用されるものと思われます。1編成で顔の違う姿となる模様ですが、今後急ピッチで修復を行うようですので、もしかしたら来月ぐらいにはその姿を見ることができるかもしれません。

おおまかなことについては、上記のとおりですが、時間がある限り、Commuter JABODETABEKの事に関して述べていきたいと思っております。
なお、駅構内や車両基地での撮影についてですが、本来、許可証が必要とのことですので、駅構内と言えども許可証を求められる場合がありますので、撮影に来られる方は十分考慮された方が無難かと思われます。

8613F塗装変更

2009年06月11日 17時25分48秒 | インドネシア
ジャカルタの話題提供が久しぶりになってしまい、また、昨年11月にジャカルタへ訪問した話題も最後までお届けできておりませんが、日本の通勤車両の話題も提供しながら、ジャカルタの話題も少しづつ提供していきたいと思います。

本日は他のサイトなどでもご存知かと思いますが、東急8500系8613Fの新塗装の話題をお届けしたいと思います。(話題が古くて申し訳ありません) 今年2月に川崎港からTanjung Priok港に到着した8613Fはその後転入整備が行われ、最近流行の黄色+緑色の帯を纏っておりましたが、ジャカルタ首都圏の電車部門を管理しているPT KERETA API DIVISI JABOTABEKからPT KAI COMMUTER JABODETABEKを創設するにあたり、8613Fが再び写真のような新塗装に変更されました。
赤色+黄色の帯を纏い、先頭車の前面にはPT KAI COMMUTER JABODETABEKのロゴが取り付けられ、行先表示の部分には愛称とも言える「JALITA」という名前が付けられました。この「JALITA」の意味は鉄道会社に勤務される方の話しでは、インドネシア語のJAlan-jalan keLIling jakarTAから採用したようで、ジャカルタを周遊するという意味のようです。
この「JALITA」はEKONOMI ACに充当されているようで、この運用の確認をしておりませんが、下記のような時刻で運行されているかと思われます。

Boo6:14→Jak7:45 7:53→Dp8:59 9:08→Ak10:09 10:21→Boo11:49 12:24→Jak13:51 14:10→Boo15:39 15:56→Jak17:31 17:40→Boo19:09 19:20→Mri20:27 20:37→Boo21:44
Jak=Jakarta Kota Mri=Manggarai Dp=Depok Boo=Bogor Ak=Angke
上記の運用でないこともあるかと思いますので、現場で御確認ください。

ところで、日本はいよいよ梅雨本番の季節を迎えましたが、おおよそ南緯10度に位置するジャカルタは逆に乾期に入り、季節的にも良い季節であることから、7月2日よりジャカルタを訪問する予定です。今回は営業を開始したTanjung Priok線や日曜日に運行されているAncol行き観光列車に乗車したり、Serpong線(Serpong以西)の電化の進捗状況の調査なども考えております。また、103系も元気に運行されていることから、Bogor線Ekonomi ACに充当されている103系8連の乗務員に帯同した形でDepokの車庫出区から入区までの完全密着取材も考えております。どのような取材になるのか今から楽しみですが、情報収集のほうが今のところできておりませんので、そろそろ準備を始めたいと思っております。
この他、もちろんJABODETABEK幹部への取材も行う予定ですが、少々意外な車両計画も予定されているようなので、収穫の多い取材ができるのではないかと思っております。
Foto:Bpk.Rusdianto dan Adam