Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

青系色で活躍するジャカルタの103系

2011年07月30日 20時50分42秒 | インドネシア
先日はジャカルタの103系の新色がJR東海色になったことをお伝えしましたが、それに関連して本日は103系の話題を少々述べていきたいと思います。

低運の編成がBalai Yasa Manggaraiで検査入場し、東海色へと塗り替えを行っていましたが、もう1編成の高運については検査が来月頃のようですので、運行されているのではないかと思っておりました。私がジャカルタに滞在した7月18日~20日において、18日、19日ともに運行されている姿を見ることができず、どこに留置されているのか消息がつかめませんでした。19日の昼前にDepok車庫を伺ってみると、車庫中央に留置されている姿を発見することができました。


2008年4月から8月にかけて新潟色から塗り替えられたこの色もいよいよ見納めということもあり、再度、形式写真を撮影しました。3年も経過すると外板も所々剥がれており、鋼製車両のメンテナンスが大変なことがわかります。


PT.KAIからいただいた運用表によりますと、7月7日改定の運用では103系が1運用を担当していますが、どうも東急の8500系がその運用に充当されています。
なお、103系の運用は以下のとおりです。
Dp4:50→Jak5:36 5:50→Dp6:45 7:10→Thb7:59 8:02→Dp8:48
Dp14:50→Mri15:26 15:35→Dp16:10 16:30→Thb17:17 17:25→Dp18:12 18:15→Boo18:40 18:55→Dp19:20 
Dp=Depok、Jak=Jakarta Kota、Thb=Tanah Abang、Mri=Manggarai、Boo=Bogor

ジャカルタ滞在最後の日の20日朝、ホテルから列車が見えますので、103系の運用でJakarta KotaからDepokへ向かう列車を確認すると、この朝に充当されたのは残念ながら8500系でした。ほとんど諦めかけていたなかで、夕方、Manggaraiで待っていると何やら青い電車の姿が見え、最後の最後に103系を見事ゲットすることができました。


ついでに最後の記念にということで、ManggaraiからTanah Abangまで103系に乗車しました。途中、Sudirman駅でこの列車がTanah Abang行きにも関わらず多くの乗客が乗ってきました。どうも座りたいがためにわざわざ逆方向の列車に乗ることがジャカルタでは当たり前のようですが、これって本来であれば正規の運賃を払う必要があるのではないかと思います。


Tanah Abang駅で折り返し、Depok行きになります。5分ほど停車したのち、多くの乗客を乗せ、Tanah Abang駅を出発していきました。今度来る時は、この編成もおそらくJR東海色に変更されているのではないかと思いますが、青系の姿もこれで最後かと思うと少々切ないような気持ちにもなりました。


なお、現在、103系はBogor車庫所属となっております。
編成表については以下のとおりです。(左の数字は編成番号)
25 Mc105 M'231 T246 T'c597
26 Mc153 M'321 T210 T'c632
27 Tc359 M654 M'810 T'c384
28 Tc815 M752 M'2009 T'c822 

ジャカルタ103系-JR東海色に変更

2011年07月24日 20時10分35秒 | インドネシア
7月10日から22日まで、フィリピン、インドネシアと遠征して参りましたが、フィリピン、インドネシアともにとても収穫があり、非常に満足しております。
今回の主な目的としては、当初からフィリピンにおいてはフィリピン国鉄に昨年JRから譲渡された14系寝台車のビコールエクスプレスに乗車すること、インドネシアにおいては検査中の103系に新色を確認することと、現地での203系の様子を確認することでした。残念ながら203系はいまだにジャカルタに到着しておりませんので、確認することができませんでしたが、上記の2つの事項には念願が叶いましたので、まずまずの遠征であったのではないかと思っております。この他、鉄道以外に現地で用事を済ませておりますが、こちらも順調でしたので、また時期をみて簡単に報告したいと思います。

まず、私として最も注目していたジャカルタの103系新色の話題ですが、こちらから報告したいと思います。
ジャカルタには7月17日の深夜にマニラから入り、18日~20日の間、現地の状況について情報収集、乗り鉄、撮り鉄を行いました。
103系低運は6月頃から検査入場すると聞いておりましたので、ちょうど良い時期を見計らって訪問しました。検査が行われているBalai Yasa Manggaraiは入場するのに許可証の取得が難しく大変でしたが、現地の電車区の上の地位におられる方が同行していただいた結果、無事に工場内を見学することができました。
まずは当工場の電車検査部門のトップにおられる方とお会いすると、昨年、私の方でデザインしたものが机の上に広げられ、この中でJR東海色を採用したとことが述べられ、非常に感動しました。理由については聞くことを忘れてしまいましたが、おそらくEkonomi車両で現在主流になっている白色にオレンジ色帯ベースが元になったのではないかと推測しております。

続いて、工場の中に案内されると従来の青系色の車両の奥に白色にオレンジ色+緑色帯車両の姿が見られました。


1秒でも早くその姿を拝みたい気持ちにかられ、急ぎ足でクモハの前面を見るとまさにJR東海色そのものが採用されていました。


若干、帯が実際の東海色に比べ細く、大部分を占める白色はメタリック調のものが使用されていましたが、細かいところを気にしなければまさにリバイバルJR東海色の出現となりました。


18日現在で、ほぼ完全にこの東海色に塗られたのはMc153 M'321の2両のみですが、現在入場中の他の6両も同様に東海色に塗られるとのことです。

光沢感のあるメタリック調の白色が採用されています。


こちらはM'321で、やはり光沢感があります。塗料はJR西日本から取り寄せたようです。


オレンジ色、緑色帯はこのような感じです。


いかがでしたしたでしょうか。来月にはこの編成が出場し、代わりに高運の編成が検査入場し、同様に東海色に変更されるとのことです。
103系ファンにとっては堪りませんが、早くこの東海色がジャカルタの街の中を走る姿を見てみたいものです。
鉄道模型をやっている方はカトーの東海色4両を使ってジャカルタ仕様を作ってみるのも面白いですね。

Jakarta103kei joho

2011年07月18日 22時55分42秒 | インドネシア
Selamat malam.
Honjitsu mo romaji de shitsurei shimasu.
Sakihodo Balai Yasa Manggarai wo homon shimashita ga hikuun no 103 kei 8 ryo ga kensa wo uketeiru tokoro wo kakunin shimashita.
Osoraku shashin wo mire ba bikkuri suru ni chigai naika to omoimasu ga nanto atarashii iro wa 119 kei demo saiyo sareteiru JR Tokai shoku ga saiyo saremashita.
Domo watashi kara teian sasete itadaita 15 no sample no uchi kara sono 1 tsu to shite JR Tokai shoku wo teian shimashita ga masaka saiyo sareru to wa yume ni mo omotte imasen deshita. Toryo wa JR Nishinippon kara no toriyose no yode shiro iro dake ga JR Tokai de saiyo shita iro to kotonari metallic no shiroiro ga saiyo sarete imasu. Mc153 no unit ga kirei ni JR Tokai shoku de nurarete imashita node chikai uchi ni sono shashin wo up load shitai to omoi masu.
Nao takaun no hensei ni tsuite wa raigetsu kensa nyujo suru yode genzai no ao iro wo kicho toshita mono wa sorosoro mirarenaku nari sodesu.
Mata nanika arimashitara hokoku itashi masu.

Balai Yasa Manggarai訪問

2011年06月25日 02時05分34秒 | インドネシア
先日は南武線の近況報告しましたが、話をインドネシアに戻したいと思います。
今回はジャカルタ首都圏の鉄道工場とも言うべきBalai Yasa Manggarai(Manggarai工場)について、簡単に説明したいと思います。

このBalai Yasa Manggaraiは東京で言えば、東京総合車両センター(国鉄時代の大井工場)的な存在で、電車のみならず客車の検査も行っています。場所としてはグーグル地図で見ていただければ一目瞭然ですが、Manggarai駅の南側に隣接し、工場の広さも近接のBukit Duri車庫に比べ、かなり広い敷地を持っています。
以前もこのBalai Yasa Manggaraiについて説明したかと思いますが、この工場に入るには簡単に入ることができず、あらかじめ許可証がないと入ることができません。前回訪問した昨年8月においても訪問前に申請し、許可証を発行していただきました。
許可証は下の写真のようなものですが、まず、私が拙いインドネシア語でBalai Yasa Manggaraiや他の車庫へ入るための理由につて説明し、その文章を現地の鉄道雑誌「Majalah KA」の編集者であるS君に渡し、S君から鉄道会社のトップの方に渡していただき、無事に許可証を発行していただきました。


昨年8月にこのBalai Yasa Manggaraiに入る大きな目的として、東京メトロから到着したばかりの05系の姿を撮影することでした。工場内へ入るとまず目にしたのが下の写真のとおりHolecの車両で、故障しがちの形式として現場からもっぱら嫌われ、地方都市用の電気式ディーゼルカーとして改造され、ジャカルタ首都圏では年々その姿を見ることが少なくなってきています。その前にここを訪問した時には多くのHolecの車両が留置されていましたが、かなりの両数が改造されてしまったのか、一時期よりも少なくなっていました。


さらにその奥を行くと緑色帯と青帯の6000形が留置されていました。緑帯(6201F)が検査を受けていたようで、車体の側面にKL1-○○○○というような新たな車番プレートが取り付けられていました。


先程の6000形が置いてあった検修庫外側には6000形6252と6155が留置され、それぞれの車両の妻面は衝突事故によって大きく抉られ、先頭車改造もなんなくこなすPT.KAIでも復活は無理と判断したのか、長期的にほったらかしのようです。


そして、工場構内の最も西側にジャカルタに到着したばかりの東京メトロ05系02Fと07Fが1本のレール上にタテに並べられ、現地仕様に改造されるのを待っていたところでした。車内に入ると当然ながらもあっとした暑い空気が漂い、中に長時間居ると倒れそうになるのですが、車内にはまだ手が付けられたような形跡があまりないようで、東西線で活躍していた当時のままの広告や路線図などが付いており、103系などと同様に思わぬお土産も運んできたきたようでした。


この他工場内にはかつて活躍した古典的な電気機関車や歴史的価値の高い客車、一時的にお役目を果たしたHitachiの電車(電気式ディーゼル化改造工事待ち)などが存在し、非常に面白い車両を多く見ることができます。
下の写真は構内で入れ換え作業を行っていたD301型機関車で、時々、Manggarai駅の近くでもその姿を確認でき、甲高い警笛を鳴らしながら一生懸命に入れ換え作業を行っています。犬で例えるならば愛らしいトイプードルと言ったところでしょうか。


工場構内については簡単に説明しましたが、次回も工場訪問を考えておりますので、今後も別の機会にでも工場内の様子については述べていきたいと思っております。

ところで、私事になりますが、7月10日から22日に渡り、約10ヶ月ぶりにフィリピン、インドネシアに滞在する予定です。もちろん現地では時間がある限り現地の鉄道の現状を把握すべく取材する予定で、いろいろな話題を入手できるかもしれません。帰国後についてはもちろんのことそれらの話題についてできるだけ詳しく述べていけたらと思っております。

最後に宣伝になりますが、海外で活躍する日本の中古車両の姿について、いつも鉄道雑誌などでレポートされている斎藤幹雄氏から「東南アジアを走るニッポンの廃車両:えい出版社発行」と題した本が発売されます。実は出版される前に原稿の中身をチェックさせていただいて赤字修正を出したのですが、どうも出版社のほうで修正されていなかったりと、所々ミスが見られます。本来であれば修正箇所にシール貼りもしくは正誤表を本の中に挟んで、読者に対しお詫びする必要があると思いますが、そこまでの対応が難しいかと推測していますので、あらためてこのブログ上にてその誤りの箇所を明示し、同時に正しい情報を明示していきたいと思っております。

ジャカルタ近況報告

2011年06月18日 00時37分07秒 | インドネシア
前回はメトロ7000系でSerpong線Parung Panjangまでの乗車記を紹介しましたが、その続きということで日本からの譲渡話題や日本の中古車両の近況を簡単に報告したいと思います。
まずは東急の車両で「JALITA」として活躍した8613Fですが、つい先日検査が実施され、新たな姿になって出場しました。新たな塗装は以下の写真のとおりで、KCJカラーが踏襲され、メトロ6000系や7000系、05系と同じようなカラーリングに変更されました。


女性専用車「Kereta Khusus Wanita」のデザインが施され、わかりやすくなっています。
また、Bogor線を中心にEkonomi ACとして、すでに運用に入っているようです。
(Foto:Mas Andi Ardinsyah)


ジャカルタには103系4両編成4本が在籍し、近年では高運、低運どうしで2編成を組成し、8両編成として活躍していますが、今週水曜日の15日に低運編成がBalai Yasa Manggaraiに検査入場しました。先程、現地のマニアからの情報によると8両編成であったものが、それぞれ4両編成に分割されて留置されています。今回の検査でおそらく新色に変更されるものと思われますが、どのようなカラーリングになるのかわかりません。そこで私も103系のデザインをいろいろと考え、下のようなデザインも含めてPT.KAIに提案させていただいたのですが、果たしてどのような姿で出場するのか、私の案が採用されるか楽しみです。(Informasi:Mas Faris Fadhli)

PT.KAIの標準色として考えたのが下の案です。少々湘南型をイメージしてみました。(実際の色はこんなに明るくありませんが)


下のデザインはサンセットをイメージし、トワイライトバージョンということで提案しました。


2004年の103系譲渡に続き、JRから203系が譲渡されるということで、先日15日、震災復興支援として発売された「JR東日本パス」を使用し、203系の譲渡回送の様子を撮影して参りました。東新潟駅、黒山駅近くで撮影したのち、黒山~藤寄間で撮影してみました。


藤寄に到着後はすぐに1両1両、トレーラーに載せる作業に入りました。ずっと見ているだけでも面白いものです。


すでに新潟港に運ばれたマト66と51の姿を確かめるべく港周辺を探したところ、見つけることができました。新潟の地元の新聞によると早ければ6月下旬に出港とのことですので、おそらく約2週間かけて到着するものと思われますが、この203系も最近流行りのKCJカラーに変更されてしまうのか注目ですし、以前の同僚である103系やメトロ6000系との3ショットが実現するのではないかと思われます。


最後に去就が注目される新津運輸区のキハ52を見て参りました。国鉄色が3両と新潟色が4両在籍し、今後、この車両も海外で活躍するのかどうか注目されます。もしキハ52が海外で活躍するとなれば、キハ52ファンは現地の鉄道会社に押し寄せるのではないかと思いますが、こちらも203系と同様に今後の動きに注目したいと思います。


今回、新潟でご一緒させていただいた方々、並びに詳細な情報などを教えていただいた方々に御礼を申し上げるとともに、今後も国内外の203系の姿をレポートしていきたいと思います。

メトロ7000系でParung Panjangへ

2011年06月08日 19時51分12秒 | インドネシア
本日からインドネシアの鉄道について述べていきたいと思います。
昨年の8月29日から9月1日にかけてジャカルタに滞在したものの、まだ報告しきれていないこともありますので、本日はメトロ7000系乗車レポートを皆様にお伝えします。

前回9月26日の報告で、猫バスの6000形ことJoko Lelono2でRajawari→Tanjung Priok→Bukit Duriの旅を紹介しましたが、その後、Bukit Duri車庫で1時間ほど滞在したあとManggaraiからSerpong線の電車の終点駅であるParung Panjangまでメトロの7000系に乗車しました。
この運用に充当されたのはジャカルタのメトロ7000系では異端児的な存在かもしれませんが7117Fで、この日の朝、下の写真のとおり中央線に充当されておりました。


その後、私がRajawariからJoko Lelono2に乗車している間にこの7117FはBukit Duri車庫に入庫し、下の写真のようにこの日の1日前にBalai Yasa Manggaraiからやってきたメトロ05系と肩を並べました。


当初からManggaraiからParung Panjangまで電車に乗車することを決めていたのですが、どの編成が充当されるのかわからず、かつ、お腹も空いていましたし、現地の鉄道雑誌Majalah KAの編集者であるS君とManggarai駅で待ち合わせということにしていましたので、バイクタクシーで一足先に駅に向かいました。列車はManggarai駅を12:30に出発するのですが、既に時計の針は12時を過ぎていました。食べる時間もなく駅の中にあるダンキンドーナツを買って空腹を抑えることにしました。12:20頃に最も駅舎寄りの1番線にParung Panjang行き7117Fが入線しましたが、待ち合わせをしていたS君の姿は見えないため、メールしてみました。すると間もなくS君から返事があり、会社のあるDepok BaruからBogor線に乗車しManggarai駅の1つ手前のTebetまで来ているのですが、途中、列車が止まってしまい遅れているとの返事がありました。時間は既に出発時間を迎え、私はこのまま彼のことを置き去りにして乗車することにしました。


結局、彼の乗車した列車は間に合わず、12:30ちょうどにParung Panjang行きは定刻どおりに出発しました。Serpong線の起点のTanah Abangに到着すると大勢乗り込んできました。私はこのまま折り返してSerpong線に入るものと当初思っていました。すぐに扉が閉まり列車は向きを変えずに環状線Kampung Bandan方面に向かったので、私は一瞬Tanah Abang駅で降りて別の列車に乗車しなければいけなかったのではないかと思い、つい近くにいた乗客に質問してみたところ、この列車はAngkeで折り返すので大丈夫だよと返事がありました。
Angkeで1番線に入線すると列車の向きが逆になるため、私の前をブレーキハンドルを持った運転士が通り過ぎました。以前にも報告したように2、3年前ぐらいから乗務員室での一般乗客は立入禁止になったため、特別な事情がないかぎり乗務員室での乗車はできないのですが、ダメもとで聞いてみたところ「いいよ(Boleh)」という返事があり、私は先頭車の乗務員室に乗車することになりました。
Angkeを出発すると下の写真のとおりジャカルタでは最も汚い区間を通るのですが、線路一帯は市場であり、列車を気にせず多くの人々が線路の上を歩き、ゴミも散らかっています。(下の写真はDuri駅)


間もなく私の携帯電話にS君からメールが入り、彼はバイクタクシーでTanah Abang駅から2つ目の駅であるSerpong線Kebayoranから乗車すると返事があり、私は乗務員室に乗っていることを彼にメールしました。
Tanah Abang駅では最も西側の6番線に列車は入線しました。更に大勢の乗客が乗り込み、客室を覗き込むと東京のラッシュ時並みの混雑になっていました。
列車は少々遅れて出発すると、しばらく環状線と平行して走りますが、下の写真のように緩やかに環状線と分かれます。


緩やかに右にカーブすると向こうのほうから貨物列車と擦れ違いました。セルポン線に乗っているとかなりの貨物列車と擦れ違うのですが、いったいどこから来ているのか気になります。ダイヤグラムを見るかぎりこの路線の終点であるMerak近くのCigadingというスマトラ島とジャワ島の間のスンダ海峡に面したところから貨物列車のスジがありますが、セメント列車がこの港町からジャカルタまで運行されているのか、はたまたスマトラからはるばるやって来ているのか、今度ジャカルタに行った時に地元のマニアに聞いてみたいと思います。


そしてS君が乗車する予定のKebayoran駅に近づき、目を凝らして彼の姿を発見しようと試みたのですが、あまりにも乗車する人が多く、彼の姿は発見できませんでした。
Kebayoranを過ぎるとジャカルタ的な街並みもインドネシアの田舎的な風景に変わり、Bogor線のような郊外であっても賑わいは感じられません。(下の写真はSudimara駅)


Serpongに近づくにつれ雲行きが怪しくなりましたが、大勢の乗客を乗せた列車は田園の中を快調に飛ばしていました。少々遅れてSerpong駅に到着するとかなりの乗客が降車したのですが、それでも立っている乗客が多く見られました。


この駅を境に単線になりCisadane川を渡りました。CisadaneはTangerangとBogor線Depokを結ぶEkspresの名前になっていますが、この川、意外にも長く、Bogorの街の近くを通っています。また、複線化工事もSerpongから西側の区間で行われており、用地の確保はほとんど終了しているようです。


Serpongを過ぎて土砂降りのスコールがありましたが、列車はこのまま平然と土砂降りの中を進みました。しかしながら撮影のほうは前が見えないくらいになり、撮影は断念せざるをえなくなりました。
10分ほど遅れて終点のParung Panjangに到着しましたが、土砂降りの雨はますます強くなるばかりで、撮影がほとんど困難な状況になりました。その中で撮影したのが下の写真で、ずぶ濡れになって記念の1枚を撮影しました。


この後すぐにS君と会うことができ、このまま折り返してこの列車でManggaraiまで戻ったてきました。
ずっと立っていたせいか疲れが出てしまい、このあとの深夜便の飛行機で無理してそのままマニラへ行ったのですが、疲れが増幅され、しかもジープニーの排気ガスにやられたのか、思わぬインフルエンザにかかってしまいました。

Djoko Lelono 2で思わぬ小旅行

2010年09月26日 08時54分55秒 | インドネシア
ジャカルタ滞在最後の日である9月1日に今まで電車でTanjung Priokまで行ったことがありませんでしたので、初めて行ってみることにしました。この日の朝Cikiniで撮影したのち、Kota経由で環状東線とTanjung Priok線の分岐点であるRajawaliに向かいました。Rajawali9:15発のTanjung Priok行きに乗車しようとうまく時間を合わせて、9時過ぎにRajawaliに到着したのですが、発車時刻になってもTanjung Priok行きは到着しませんでした。しばらく木陰で待ち続けることおよそ20分、ようやくTanjung Priok線のホームに猫バスこと4両編成の6000形Djoko Lelono 2が到着しました。

Rajawali駅ではホームの嵩上げ工事とホーム屋根の設置工事が行われていました。
また、Tanjung Priok線のホームは東側を使用し、一番東側の線路は使用されていません。(単線運転です)


Djoko Lelono 2は40km/hぐらいのスピードでゆっくりと進みました。車内を見ると乗客は1両にほんの2~3人程度と、これでは空気を運んでいるようなもので、日本であればいつこの列車が廃止されてもおかしくないほどであります。列車は次のAncol駅に到着するとほとんどの乗客が降車しました。この駅でもRajawaliと同様にホームの嵩上げとホーム屋根の設置工事が行われ、現在、列車の通っていないKota方面のホームに対しても工事が同時に行われ、Kota方面へも近々に列車を運行させることがうかがえます。
Ancolから先は私にとっては今まで乗車したこのない未知な区間となりますが、Kota方面からの線路とRajawali方面からの線路の計4本が2本になることなく、そのまま複々線のままTanjung Priokを目指しました。複々線の線路4本は下の写真のように使用できるものと思われますが、現在、使用されている線路は南側から2本目の線路だけを使用しているようです。


しばらく進むと体育館のドーム型の屋根が見えてきました。ここが終着駅Tanjung Priok駅でありますが、ほとんど利用者のいない静まりかえった駅にゆっくりと列車が到着しました。この駅を見るとKota駅と同様にオランダ植民地時代の歴史を感じる駅なのですが、ほとんど利用者が少ないためか寂しさを感じてしまいます。おそらく植民地時代には利用者が多くKotaと同様に活気のあった駅ではないかと想像するのですが、今後、Tanjung Priok方面へ乗客を増加させるためにも、この駅周辺で大規模な開発を行えば乗客も増えるのではないかと思います。


列車はすぐに折り返しBekasi行きということで、切符を購入しようと思ったのですが、撮影などをしているうちに時間がなくなってしまい切符を購入しないまま列車は静かに発車してしまいました。まあいいかと思いつつ乗り続けていると、乗務員から「この列車はBekasiには行きません。クーラーの故障でBukit Duri車庫へ回送します。」とのことで、私もBekasiへ行って、Bekasiに留置されている車輌を撮影しようと思っていたのですが、このまま乗り続けBukit Duriを目指すことにしました。私の計画に対して反したとしてもこれも天からの思し召し、このような時には私は基本的にそのまま逆らわないことが信条であります。
列車はそのまま来た道を戻り、先程、乗車したRajawaliから環状東線へと入りました。列車は回送ということもあり、駅には止まらないで通過してしまいます。Bekasi方面への利用者がこの列車に乗車しようと考えていた人がいると思うのですが、そのへんはインドネシアではお構いなしに無視してしまいます。どうもインドネシアでは昔の日本の国鉄のようで、乗らせてあげているということがいまだに浸透しているようです。


列車は地方へ列車が発着するターミナル駅Pasar Senen駅もゆっくりと通過しました。このあたりから線路は複線となり下町を走るのですが、沿線には高い木々が連なり、鬱蒼としたジャングルの中を進みます。Manggarai方面からの線路が近づき、大きくカーブするとJati Negaraに到着しました。
ジャカルタの路線図が頭に叩き込まれている方であれば列車がこれからどのように進むのかすぐにわかりますが、このJatiNagaraでスイッチバックし、さらに次のManggarai駅で再びスイッチバックするという二重の手間が発生します。

Jati Negaraで進行方向が逆になります。


列車はJati Negaraで5分ほど停車したのち、Mnggarai方面へと進みました。Manggarai駅が見えてくると一番駅舎に近い1番線へと列車は進入しました。


列車はこの駅でも5分ほど停車したのち、再び進行方向が逆になり、Bukit Duri車庫への引込線へと進みます。Jati Negara方面からの線路を横断し、Bogor線と寄り添うようにしばらく進みますが、最初の踏切を越えると引込線は大きく左へとカーブします。


単線の引込線が左へカーブしたまま進むと前方にKRL-Iの姿が見え、我々の列車の前を下の写真のように車庫へ向けて走っていました。そのKRL-Iの後ろに追随する形でBukit Duri車庫へ無事に帰還すると早速検修の方が見にきました。


列車から降りると2本の05系が留置されており、8月31日にBalai Yasa ManggaraiからBukit Duriに移送したとのことでした。これから転入整備をこのBukit Duriで行うとのことですが、7000系のように派手な赤色を基調にした姿に変身するのではないかと思われます。私としては暑い土地がらなのですからせめて涼しい色を纏ってほしいもので、このまま東西線の色で十分だと思うのですが、そこはインドネシア人のへんなこだわりがあるのか色を変えないと気がすまないようです。
というワケで本来Bekasiへ行くことを予定していましたが、Bukit Duriへと連れて行かれ、05系と再び御会いできたことは私の行動を天に任せて良かったのではないかと思っております。

活躍を続けるジャカルタの103系

2010年09月23日 19時49分40秒 | インドネシア
本日は東南アジアシリーズということで、ジャカルタで活躍を続ける103系の話題を提供したいと思います。
2004年10月から11月に渡って、武蔵野線用の103系、Tc M M' T'cの2編成とMc M' T T'cの2編成、計16両がオレンジ色のままPT. Kereta Apiに有償譲渡されましたが、現在もJakarta Kota・Tanah Abang~Depok間を中心に元気よく活躍しております。
103系の運用や時刻については、今までのように毎日決まった同じ運用に入るとは限りませんので今回は掲載いたしませんが、上記の区間で朝夕を中心に運行されていますので、103系を是非とも撮影ならびに乗車したい方は、この区間でお待ちすることをお薦めいたします。
(Manggarai駅にて撮影)

現在103系の編成は8両編成×2本に組成され、Ekonomi ACもしくはEkspresに充当されています。昼間はDepok車庫でお休みというパターンが多いようですが、Bukit Duri車庫で昼間留置されていたり、Bogorまでの運用に充当されることもあるようです。
103系の編成は以下のとおりで、高運の編成は今まで2本の編成の向きが逆に組成されていましたが、現在では編成の向きが統一されています。(理由は不明です)
←Jakarta Kota・Tanah Abang        Depok・Bogor→
Tc815 M752 M'2009 T'c822 Tc359 M654 M'810 T'c384
T'c597 T246 M'231 Mc105 T'c632 T210 M'321 Mc153

下の写真は高運の編成で、編成によって塗り方やロゴマークにも差異が見られます。


塗装の脱落がいたるところに見られるようになりましたが、それでも活躍し続けています。
(写真はMc153)


103系にも女性専用車が登場し、編成の先頭部と最後部の車輌が女性専用車となっています。車体の側面や車内の戸袋部、中吊りに女性専用車であることを示すステッカーなどがあります。なお中間に入っているTcやMc車は女性専用車に指定されていません。


Ekonomi ACの東急の車輌や103系では先日の写真のように屋根に乗車する乗客や側引戸を開けたまま走行する車輌が見られ、乗客がEkonomi ACに相当シフトしているようです。
来年早々には検査時期を迎えると思いますので、塗装の変更も行われるかと思いますが、果たしてどのような塗装に変更されるのか楽しみであると同時に末永い活躍を願いたいものです。
(Cikini駅にて撮影)

Manila, Kuala Lumpur, Jakarta鉄道探訪

2010年09月12日 14時02分36秒 | インドネシア
Selamat siang(petang)! Magandang hapon! こんにちは!
Apa kabar(khabar)? Kumusta po kayo? ご機嫌いかがでしょうか?
インドネシア(マレー)語、フィリピン語でお久しぶりに挨拶させていただきましたが、前回の記事のとおり、8月26日から9月9日までフィリピン、マレーシア、インドネシアを周遊し、その首都の鉄道探訪を行って参りました。

ほぼ2週間という時間があったものの私にとってはこれでも時間が足りず、おかげで毎日少しずつ体力的に無理をしてしまったようで、ジャカルタへ到着してからは疲れが取れず、その後マニラに到着してからは咳きが止まらなくなりました。最初は空気の汚さの為かと思っていましたが、9日の帰国後直後に高熱に魘され病院で診察してもらうと、この季節にしては珍しいインフルエンザということがわかり、1人、部屋でこもって回復に努めているしだいです。タミフルという薬のおかげである程度回復しておりますが、1度にそれぞれ詳細な交通事情の説明、乗り鉄日記が書けませんので、本日は簡単に説明だけさせていただきたいと思います。

まず、今回の日程ですが以下のとおりです。(主な行動のみ)
8月26日東京マニラ 夕方、フィリピン国鉄乗車。
8月27日マニラクラーク(パンパンガ)クアラルンプール 夕方、KTM Commuterに乗車。
8月28日ETSに乗車。その後KTM Commuterに乗車。夕方、クアラルンプールジャカルタ
8月29日Depok車庫、Bogor車庫撮影。
8月30日Manggarai駅で撮影。その後Balai Yasa ManggaraiとBukit Duri車庫訪問。
8月31日UI付近で撮影。その後Majalah KAに寄ったのちDepok車庫訪問。
9月1日Cikiniで撮影。Tanjung Priok行き列車に乗車し、折り返しBukit Duri車庫まで乗車。その後Manggarai発Parung Panjang行きに乗車。
9月2日深夜ジャカルタマニラ フィリピン国鉄乗車、事務所訪問。
9月3日~6日マニラから脱出。
9月6日DOTC(運輸通信省)訪問。
9月7日フィリピン国鉄乗車、事務所訪問、Tutuban車庫撮影。
9月8日フィリピン国鉄乗車、事務所訪問、Caloocan工場訪問。
9月9日マニラ東京

ここからは各都市の主な話題などについて、簡単に説明したいと思います。
●マニラ
PHILIPPINE NATIONAL RAILWAYS(2010.2時点と比較して)
・2010年6月16日ダイヤ改正。
1日下り上りそれぞれ18本DMUをTutuban~Alabangで運行。
1日下り上りそれぞれ1本Commex(12系)Tutuban~Binanで運行。
・DMUの運行がBicutanからAlabangまで延長。
・Alabang駅ホーム、商業施設「Metropolis」東隣に移設(本屋はそのまま→移動の予定)。
・San Andres,Nicols駅開業。
・DMU5編成(全6編成)がManila地区で運行→全く余裕のない状態で、運用に不足を生じるケースあり。1編成(DMU2)はNaga地区で運行。
・12系Commex6両客車編成から5両へ減車→担当者の話しでは利用客の需要とのバランスには問題ないとのこと。
また、ダイヤ改正により、上りが早発(Binan発で6:00→4:50に変更)、下りが早発(Tutuban発18:35→18:20に変更)であるもののBinan着は20:15と現在、以前と同様。
・乗車率向上→昨年、DMUを導入し、更に大幅な増発を行ったため、バス、ジープ利用客がシフトしたものと見られる。最大混雑率300%を超えるものと思われる。また、DMUのような3両編成での対応、1両に2扉の車輌は乗り降りに相当時間を要し、正常な運行の妨げになっている。
・Tutuban~Caloocanリハビリ、着々に進行しており、順調に行けば1年以内に運行ができるものと思われる。
・9月6日より今まで日本と同じ左側通行であったのが、この日から右側通行に変更。
踏切での乗用車との衝突を少しでも回避するために実施したのこと。駅でのアナウンスが徹底されず、いつも利用している乗客が列車に乗り損ねるケースが目立った。切符売場でも方向別に切符が売られているが、私も何度も迷ってしまった。(アナウンス、掲示を事前から徹底してほしいものだが、マレー系だからまあーいいか)

写真は6両から5両に減車されても存続している12系客車列車。そろそろ限界か!
今回、私はこの12系客車列車には運が悪く、乗車することができませんでした。

この他、Bicol地方では、2010年9月6日にダイヤ改正を実施した模様です。
・DMU1本(DMU2)はSipocot~Ligaoの通勤用として運行中。
・Tagkawayan~NagaにCommex(12系)上下それぞれ1本運行開始。(TK5:00→NG9:00 15:00→TK19:00)
・9月17日、Nagaの水かけ祭りぺニャフランシャに合わせ、政府専用列車を運行予定。
Manila朝出発、Naga夕方到着とのこと。返却は19日の予定で、返却される列車には政府関係者は乗車しない模様。おそらく、テレビモニターの付いている最上級の車輌が使用されるものと思われる。

また、JRから客車(寝台車)と電車を無償譲渡(輸送費はフィリピン側が負担)が近日中に進められ、来年まで続く予定で、両数もそれ相当の両数を予定しているが、突如と計画がストップしまったようである。(両数についてはTutuban車庫、Caloocan工場に置ける両数)

続いて、LRTの話題ですが、MonumentoからBalintawakまで今年4月に開業しました。残りはBalintawak~North Ave.となりますが、SM(大型商業施設シューマート)の駅前に新駅設置予定で、この新駅を境に西側がLRT-1号線、東側がMRT-3号線となる予定です。SM前の新駅は一向に手付かず状態が続いています。


写真は新駅Balintawakに到着するThird Generation(1200番台)。
LRTやMRTの駅では必ず駅員の許可が必要です。


●クアラルンプール
KERETAPI TANAH MELAYU BERHAD
・韓国Rotem製造ETS、8月12日よりIpoh~Serembanで運行開始。
1編成6両編成で、最高速度は160km/h。Ipoh~KL Sentral・Serembanを1日5往復運行。

・Sentul~Batu Caves(7.2km)、2010年7月29日開業。
・EMU、Rawanの留置線やSentulの工場内に使用できない車輌多くあり。
・EMUは1編成3両で、2編成6両はないようである。また、運行体系は現在もx字運転(Seremban~RawangとPel.Klang~Batu Caves)。Rawang~Tanjung Malimの区間運転。

写真はディーゼル機関車に牽引されたEMUで、機関士の話しではこれからKlangに向かうとのこと。


●ジャカルタ
PT KAI COMMUTER JABODETABEK
・7000系4編成ともに運行中。(7700、7800を抜き、Depok車庫に留置→全て確認していません)
・05系2編成(02、07編成)、10両編成のまま、Balai Yasa Manggaraiに留置。8月31日Bukit Duri車庫に移動。転入整備は行われていない。色につては7000系と同様とか?


・Ekonomi AC列車で走行中、側引戸を開けたまま走行。屋根などに乗車する乗客も多い。東急車、103系でそのような光景が見られた。


・女性専用車、着々と増殖中。4両編成についてはわかりませんが、6・8両編成のものは前後先頭車2両が女性専用車。Ekonimi列車には女性専用車を確認できず。
・6201編成、Balai Yasa Manggaraiで検査中? 帯の色は緑+黄色
・衝突事故で破損した6000形の6155・6252、Balai Yasa Manggaraiに留置中。破損の状況から復帰は無理と思われる。
・8610編成、Depok車庫にて青+黄色帯に変更中。6281編成も検査中か?帯の色は緑+黄色。
・駅によってはホームの嵩上げとホーム屋根設置工事を実施中。
・側引戸上部にJABODETABEK路線図設置。

就職先が変わっても、気持ち良く快走する7000系。

ジャカルタの話題は、他の方のホームページやブログなどでも多く掲載されていますのでここまでとし、乗車記などは後日掲載します。

次期のジャカルタ103系のカラーリングは?

2010年05月10日 09時44分56秒 | インドネシア
KCJの103系は一昨年検査が実施され、同時に青系の新色に一新されましたが、そろそろ次期の検査時期も控えていることから、私自身KCJ用103系の新色を考えてみました。と言っても考えてみたのがどれも日本の103系に踏襲されていたものや205系のカラーリングをそのまま103系にデザインしてみただけなのですが、とりあえずはこのような姿をジャカルタでも見てみたいということで下の写真のようなものを作成してみました。

まずは、岡山地区で活躍したマスカット色を作ってみましたが、どうも実際の発色と異なってしまい色が鮮やかになってしまっていますが、高運のマスカット色も意外に似合っています。広島所から移動したE04編成(H21編成)が岡山区でデビューし、検査を受けてカラーも一新されたのならばこのような姿が見れたのではないか?と思いますが、とりあえずは実現できなかった分、ジャカルタでこのような姿が実現されると良いのではないかと思っております。


次に113系や115系の湘南色を103系全体にべったりと塗ってみましたが、どうも重く感じてしまったため、名古屋地区で活躍した103系のカラーリングをそのまま踏襲してみました。全体を白もしくはクリーム色を基調にアクセントとしてオレンジと緑の帯を入れるとしっくりとし、103系にはお似合いの色ではないかと思います。


最後に横浜線・南武線の205系で踏襲されている帯をそのまま入れてみました。もし、現在も103系が運行されていたならばこのような姿も見れたのではないかと妄想してみたのがきっかけですが、意外とこのようなカラーリングもお似合いではないかと思っております。


時間のあるかぎりいろいろなカラーリングを考え、その中で良いものがありましたらKCJに提案してみたいと思っておりますが、果たして時期のジャカルタの103系はどのような色になるのでしょうか。