前日、「蔵前橋」まで歩いて下り、本日、自宅千葉某所から「蔵前橋」へ歩いて行き、最後の「築地大橋」までアタック開始。
江戸川を渡り、昨日の「蔵前橋」に
蔵前橋の下流にあるJR鉄橋をはさんで
JR鉄橋
但し、この橋が際立ているのはその歴史もそうだが、圧倒的な重厚感にある。何故か。
「これ、絶対帝国海軍の軍艦を意識して造ってあるな」
青色の、独特な形状の二連吊り橋。
その美しさに何度も振り返りつつ、次の「隅田川大橋」へ、「隅田川テラス」を通りながら向かった。
この橋の特徴は何と言っても、高速道路、一般道、歩道が1つの橋脚を利用している点だ。
高度経済成長も終わり日本が余裕、遊び心を持ち始めた時代の橋だから、こういう構造にしたのだろうが、つまらん。
隅田川もこの辺りから運河が合流、し始め、このような運河の橋を渡らないと下流に行けなくなる。
当時の面影そのままを残しており、小橋でもなかなかに、味があります。
月島のタワマン群とセットにすれば迫力の写真が撮れるのだろうが生憎、逆光で、真っ黒にしか写らなかった。
8:00 出発。
いつものお地蔵さんに安全祈願。
江戸川を渡り、昨日の「蔵前橋」に
12:30到着した。
蔵前橋の下流にあるJR鉄橋をはさんで
橋は上流に9つ、下流に9つ。千住大橋を起点とすればこの鉄橋が中間点となるわけだ。
JR鉄橋
第十番目の「両国橋」。
武蔵国と下総国を繋ぐ橋だから「両国橋」、つまり、橋の名前が地名になった凄い橋。
千住大橋に次いで二番目に隅田川に架けられた橋です。
但し、この橋が際立ているのはその歴史もそうだが、圧倒的な重厚感にある。何故か。
この橋、帝国海軍の軍艦カラーで染め上げられている。しかも橋のテラスは海軍空母の銃座そっくりな構造。
「これ、絶対帝国海軍の軍艦を意識して造ってあるな」
知ってる人が見れば一発で分かります。
十一番目の橋は「新大橋」です。名前からして冴えなく、形も際立った特徴なし。
簡単に通り過ぎようと思ったら、実はこの橋はとんでもない殊勲者だった。
別名「お助け橋」
関東大震災で隅田川の橋は全壊。唯一残ったのがこの「新大橋」だった。
迫りくる大火災で逃げ場を失った人々を救ったのがこの橋のご先祖だ。
「いい名前もらったなぁ。頑張れよ」
十二番目は本当に美しい「清洲橋」
名前を知らずとも一見しただけで惚れてしまいます。
青色の、独特な形状の二連吊り橋。
関東大震災の復興事業で「永代橋」とセットで造られました。
男性的な「永代橋」と女性的な「清洲橋」を意識してデザインされています。
いや、本当に優美な橋だ。
橋桁下空間はこんなに低いです。
その美しさに何度も振り返りつつ、次の「隅田川大橋」へ、「隅田川テラス」を通りながら向かった。
十三番目の「隅田川大橋」。
この橋の特徴は何と言っても、高速道路、一般道、歩道が1つの橋脚を利用している点だ。
歩道はこんな感じです。
高度経済成長も終わり日本が余裕、遊び心を持ち始めた時代の橋だから、こういう構造にしたのだろうが、つまらん。
ただの道路と歩道だ。構造が突飛でも
心に訴えるものなし。
十四番目、二日目前半最後の有名な
「永代橋」。
先程の優美な「清洲橋」と相対にセットで造られた、こちらは男性的な方の橋です。
隅田川もこの辺りから運河が合流、し始め、このような運河の橋を渡らないと下流に行けなくなる。
当時の面影そのままを残しており、小橋でもなかなかに、味があります。
永代橋。
月島のタワマン群とセットにすれば迫力の写真が撮れるのだろうが生憎、逆光で、真っ黒にしか写らなかった。
「清洲橋」とは逆に、こちらはアーチ橋。
ここまで来て、つぎはタワマン群の月島、佃島エリアに架かる橋と、これも有名な、昔、開いたという「勝鬨橋」
が出てきますが、次のblogでご紹介します。
が出てきますが、次のblogでご紹介します。
隅田川全橋縦走ゴールへ向かって。
未熟者アドベンチャーレーサーの挑戦はつづく。