水の戯れ -- モーリス・ラヴェル 2012年07月14日 | 湖の麓のマイルーム ラヴェル、水のたわむれ辻井伸行.mp4 麓は中学・高校と横浜、山手にあるインターナショナルスクールだったので 日本の義務教育を終えていません 高校3年生の時に、芸大を受験できるよう藤沢にある高校に転校しましたが1学期でアウト どうアウトだったかというと、科目も授業体型も全く違う中に入った麓は 見た目は日本人だけど、頭の中は外国人 外国人というより、宇宙人 うまく説明できるかわからないのですが 麓の頭の中に仕切りみたいのがあって 日本語モード・英語モード・ピアノモードみたいにわかれているのです これは今でも続いていて、上のモードにフランス語モードとかパソコンモードとか遊びモード...etc 中学・高校はカトリック系の厳しい学校生活でしたが 考えるとか自分の意見を言う、思っていることを表現する(言葉とかピアノで)という世界で育ってしまったので 日本の学校についていけなかったのです 受験生であっても、一応吹奏楽部に所属しなくてはならなくて 朝練に授業が終わっての部活動 厳しい日本の学校から自由な海外の学校だったら違ったかもしれませんが その逆っていうのはかなり厳しく しかも、当時は共通一次というものがあり 芸大の試験前に共通一次の壁があり、更にその前に海外帰国子女扱い(今は変わりましたが)の試験があり ピアノどころではなくなり 3ヵ月で横浜の母校に戻りました 母校(インターナショナルスクール)では授業は全て英語で 第2外国語がスペイン語でした 藤沢の学校から戻り、スペイン語の授業にフランス語の個人レッスンが始まりました 麓は英語でスペイン語を習ったわけで、ようはそのスペイン語をなんとなく発音を替えるとフランス語だったので 比較的ラクでした ピアノをやっていたので耳でとらえるのが得意だったのもあるかもしれません 麓は神奈川で生まれ・育ち、日本は横浜と母の故郷の金沢から 中学・高校の6年間は日本にいても英語圏の生活 そこからいきなりパリへ行ってしまったわけで =脱線して育った日本人 + 天然な麓 = 今の麓にということです 「ほっ」間に合いました。14日パリ祭に ってパリ祭は、親に仕送りしてもらっていた麓には別世界でした 朝から晩まで授業と練習 夜は500円のコンサート アルバイトは一切せず、それでも日本企業の家庭のベビーシッターだけは許可されていたので パリ祭の記憶はほんのわずか 寮生活だったので、フランス料理は「見るだけ~」 最初の1年でアフリカ/アラブっぽい学食に飽き、キャンピングガス一個で部屋で自炊 ってたいしたもの食べてなかったです パスタを茹でて日本から持ってきたふりかけかけてとか 朝と昼はバゲット(フランスパン) 牡蠣の時期だけは、楽譜一冊買った気分で市場で牡蠣を買い ワインではなくミネラルウオーター持ってブローニュの森へ行き 友だちと争いながら牡蠣の殻を開けていました では、フィナーレです 7月14日は (Quatorze Juillet) フランスの独立記念日 (Fete Nationale) パリ祭 1789年7月14日のフランス革命の発端となった バスチーユ監獄襲撃が起源 シャンゼリゼ通りのパレードは 空に飛行機雲で描かれた フランス国旗を合図にスタート(いただいた画像です) ご訪問ありがとうございます 人気ブログランキングへ にほんブログ村 追伸:フランスの大学を卒業したことで、ひとつ悲しいことがあります それは献血できなくなってしまったということです こちら 国内で初めて発症したvCJD患者の滞在歴が、英国24日間程度、フランス3日間程度 検証の結果、英国で感染した可能性が高いとされているのですが、フランスでの食生活が不明なことから、フランスでの感染の可能性も完全には否定されていません なので、フランスでの滞在期間が3日間程度であること受けて、英国とフランスに1日以上滞在した方からの献血を当面の間ご遠慮いただくと 麓は臓器提供意思カードを常に持って歩いているのですが 血液は、人のお役にたてない...