豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2021年03月09日 11時17分55秒 | 日記
 ( Vol 2751 )  国会答弁において 菅総理は 「日本は資源の乏しい国である」ということを言ったが これは 見方を変えれば 違うことになる
資源を活用するには お金がかかる 価格面において 国際競争に勝てない ということである

日本は 資源の乏しい国 ではない

資源の開発に 及び腰なだけである

国際競争における 価格競争に 勝てない という理由だけである

資源を 活用しない だけである


いかに 資源を活用するか 考えていない


国あげて 資源開発 活用を 応援すれば

資源の活用はできる

「日本は 資源が乏しい国 である」などという言葉は 出てこないはずである

政府は 開発に重きをおく政策をとるべきである


自民党政権は その意味において 資源の開発に 手をさしのべるような政策をしてこなかったからである

中国のように 利益を度外した 資源開発を国家規模でやる 気概を持つべきである

東シナ海における油田開発も 日本政府は 消極的であった

それに対して 中国は 積極的に進めて 油田開発をしてしまった


ただただ 日本政府 自民党政権は 指をしゃぶっている だけであった


なんと 惨めなことか


このような 消極的な政策を 自民党政権はやっている


自民党議員 自民党にとって 自分達の利益になることだけを 重視した政策をしてきた


その典型が 安倍政権がやってきたことだろう

代表例が 

森友学園問題 加計学園問題 であろう


自民党政権は 国民の将来を 考えていない といえる


「日本は資源の乏しい国である」という表現で 逃げないでほしい

しっかりと 国民の生活を考えた 政策を 考えてもらいたい ものである

「日本には 資源がある」 

ただ 資源開発 資源活用 を政府が音頭をとって 積極的に行動しなだけである




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豊前善三のつれづれ日記

2021年03月09日 09時18分03秒 | 日記
 ( Vol 2750 ) 原子力発電の設置稼働推進と原発の研究は 別ものと考えるべきである 電力の供給源は 原発を除いて考えるべきである

今 電力供給源の問題をどうするか ということが 議題になっているが

福島原発事故を教訓に 原発は電力としての 供給源とすることは 除外とすべきである

まず 原発の安全性 事故対応が 確立してから 原発の電力供給源として 考えても遅くはない

中には 原発の設置稼働を推進しなければ 原発の研究が遅れる環境になると いう人間がいるが それは 間違いである


研究と稼働は 別物である

研究は 将来使えるものになるように 研究するものである


未完成のまま 設置稼働しては 問題が山積みになるばかりである


今 設置されている原発は ある意味 未完成のまま設置稼働されている といえる


この 状況は 福島原発事故から 考えても 異常である



日本の電力供給源は まず 原発を除いたことで 考えるべきである


足元を見れば 供給源はある

ただ 単価が高くなるという理由で 取り上げないだけである


原発は安くて安全である という 神話 の嘘を流し続けた 自民党議員 自民党政権が言ってきたことが 福島原発事故で その嘘が明らかになった

原発は 稼働から廃炉 事故処理 までを考えると 安価ではない 供給電源の中で 一番高い といえる


日本の資源を考えると

火山国である日本には 地熱発電も考えられる

これには 国立公園という規制があるが この規制を 地熱発電開発においては例外とする 緩和処置をすることである

日本は海洋国であることから 海流を利用した発電も考えられる

その他には

風力発電 太陽光発電 水力発電 火力発電 天然ガスによる発電  水素による発電 などが考えられる

考えれば まだ他にもあるだろう


また 広域送電網という 大がかりな電源供給のあり方から 小規模の範囲送電網に 切り替える 必要がある

小規模の発電の規模を考える 方法もある

この一つの方法として スマートシティという その地域で 需要供給 蓄電を完結する 循環型としての SDGs 持続可能な体制が考えられるのではないか

大規模から 小規模 へと 考え方を変える 時ではないか


すべてにおいて 考え方を変える 時にきているのではないか

大きいことは いいことだ という考え方変える時期にきている


大は小を兼ねる ではなく 小こそが大事である

小も たくさん集まれば 大匹敵する





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豊前善三のつれづれ日記

2021年03月09日 06時54分56秒 | 日記
  ( Vol 2749 ) 時代を牽引するには 20代30代の若い力が必要である  40代より年齢が高くなると 保守的な思考になる 今の日本を変えるためには 若い力に任せるべきである

社会は 常に 変革している

競争社会に 生きている ことを忘れてはならない

競争していくには それだけのネネルギーが必要である

そのエネルギーを持っているのが 20代30代の若い力である

20代30代の人間は チャレンジ精神が旺盛である

社会の変化に 対応するという すばやい行動ができる



40代以降の年齢のものは 若い力が発揮できる環境つくりに 徹するべきである

多くの人間は 40代に入ると 安定を求めて 保守的な思考になっていく


過去を見ると

明治維新がその良い例である

明治維新は 若い力によって なされたといっても過言ではない

その若い力は 年経るに従い 保守的になった

それが 明治時代から大正時代 昭和の初め への変化である

この変化は 今の 1960年代から現代の変化と酷似している



変革するエネルギーを持っているのが 20代30代の若い力である


競争において 遅れていれば どこかで勝とうと 努力をする

その思考を持っているのが 若い力である


40代以降の年齢の人たちには それほどのエネルギーは 持ち合わせていない

エネルギー不足を 補うために 常識 安定を 持ち出して 競争についていけない 保守的になる


いま 日本社会は 競争するのか 安定を求める保守的に動くのか その選択の時に来ている


経済の低迷から抜け出すためには 国際競争に勝つ ためには 思考の改革が必要である


その方法として 若い力を使うことである

経営 政治 を若い力に委ねることである


社会が活性化しないのは 40代以降の人たちが 社会を牛耳っているからである

特に 60代以降の年齢層の人たちが 問題である


40代以降の年齢の人たちは 若い力が発揮できるような環境つくりに励むべきである


1960年代は 競争に積極的に参加して 若い力が牽引してきた

1970年代以降は 40代以降の年齢の者たちが 現状維持に翻弄した保守的な行動をしてきた時代

1960年代に牽引していた若い力者たちも 年を重ね 40代に入ると 若い力もなくなり 保守的な思考になっていった


いま 日本社会は 保守的な思考から 若い力による競争に参加へと 選択する時である


若い力を引き出すためには 自分で考え 探究し 自由に考えを言える 環境をつくるべきである


これには 学校教育の段階から 自分の力で 考え 探究し 自分の考えを発表する という環境をつくる ことである

授業のあり方を 受動から能動へ 変えることである

この環境をつくることは 性急にしなければならない


若い力こそ 日本の窮状を 抜け出す 原動力である ということを 自覚すべきである


今の日本を活性化するには 若い力に委ねることである




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