豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三つれづれ日記

2016年04月20日 05時37分09秒 | 日記
( Vol 1413 ) 被災地への支援物資が 滞っているという これは今後の支援のあり方の課題であり 報道の発信の仕方にも課題となる

報道で 支援物資が 仕分けできずに 被災地現場に 思うように届けられていない ということを報道していた


強い地震が続く中 仕分け作業に携わる人が 少なく 仕分けが思うようにいっていない ということである


この状況を 課題として取り上げる 報道が多くなっている



このことは 今後の災害に対する ことも含めて 考えていかなければならない

過去の災害においても 無駄になってしまった支援物資が 出ていたということである


支援が無駄になっては 支援した人たちの気持ちが 無駄になってしまう

この無駄をなくすために どうすればいいのか


これは 支援する側 支援を受ける側 両方に 課題となる

報道では 受け入れ側の 支援物資の仕分けが煩雑にならないために 支援物資の内容物の数量 種類を明記する必要がある と
提案していた


支援物資として 今 何が必要なのか

その情報の発信を どうするか


現場では混乱し 情報の発信が 一本化できていないことも 課題

分断された 被災現場の情報をいか収集し 発信するか


今回の熊本地震は 支援のあり方について 支援する側に 特に課題となって クローズアップされたと思う


東日本大震災の経験を踏まえ 課題が改めて認識されたのではないか


報道が 一歩進めた形で 大衆へ向けて 報道している姿勢は 賛同できる


被災地の情報は 支援を円滑にするためにも 判断しやすいように 発信する必要がある


被災状況を リアルに伝えるだけでなく 受け入れる側の体制状況をも 同時に発信する必要があるのではないか






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豊前善三つれづれ日記

2016年04月18日 07時35分38秒 | 日記
( Vol 1420 ) 熊本地震から見えてくること

熊本地震での被災者にお見舞い申し上げます。


福島 宮城 岩手で起きた東日本大震災から 5年経過


その経験からか 震災直後からの対応は 今までにない早い行動をとっている


熊本地震は 阪神淡路大震災と似た 直下型地震ということだ

複雑に絡んだ 断層 バランスが崩れると 想像を超える


地震の専門家も 予想がつかないようだ



いままでならば 専門家たちは 市民の期待に応えようと 答えをひねり出してきた


しかし 経験したことのない現象の前には つくろうこともなく 分からない と話した

この行動は とてもいい


曖昧なことを カモフラージュして 確定的なことにして 安心を与える ということが 本当にいいのか

そのことを 考えさせる 地震であったのではないか


政府も 5年前の経験を踏まえ 迅速な対応をとろうとしている


これが 間近の参議院選挙を控えての パフォーマンスと取れられないように行動してもらいたい とも思う



南海トラフなど 太平洋側における 地震発生の心配がなされている 近年


どのように 地震に対して 対応していいのか



個人的な心構え

自治体の心構え

国の心構え


それぞれのあり方について 考えさせられた 地震であったのではないか




いつか 地震に見舞われる

そのとき どう対応すればいいのか




現時点における科学技術では 地震を防ぐということはできない

地震を受け入れる という生活を 考えていかなければならない



いまできることは 被災者 被災地に対する 援助支援体制ではないか


被災直後おける 情報をいかにリアルタイムに発信できるか

今回は 最新技術の一つ ドローンが使われた


今回の地震への対応での課題も見えてきた


被災地の状況を 被災した自治体に頼っているという状況


この点において 国の独自の動きがあってもいいのではないか


現況把握は あらゆる手段を使って 把握したほうが より的確な支援が出きるのではないか



国の行動としては 状況把握のために 自衛隊の偵察力を活用するということも考えられるのではないか


今回のようなときは 迅速な対応 正確な情報が 大きなカギとなってくる


そのためには 組織 テリトリー という 垣根を超えた 組織の行動が必要になるのではないか


宇土市庁舎が 今回 被害を受け 自治体の災害本部としての役割機能が失われてしまった


このことは どこでも起こりうる こと

このようなときは 近隣の自治体と協力して 対応をとるという 体制が必要ではないか


対策本部を 近隣の自治体に移すくらいの 考え方を持ってもいいのではないか



個人の地震被災時における意識の 改善が必要である

まず 自分のことは 自分で守る という気持ちが必要である





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豊前善三つれづれ日記

2016年04月13日 08時45分12秒 | 日記
( Vol 1419 ) 保育園の建設反対行動は 自分の利益至上主義が生んだもの

保育園を建設しようとして地域住民の 同意を得ようとしたが 子供の声がうるさいということから 同意を得られず 建設を断念

この報道を見て 日本社会は 個人の利益至上主義がはびこっていることを感じさせた

保育園を建設するには 地域住民への配慮が欠かせなくなっているらしい

高い防音壁 窓を住宅地側に設けない などなど

これらは 異常な状態である


異常と思えるほど過剰な対応をしなければならないほど 地域社会は 崩壊しているのだろうか


自分が出す 音に対しては 無頓着

他人への配慮はしない


どこか 矛盾した 自己利益追求


静かな環境を欲求しながら 地域との共生を放棄

これでは 地域社会は 崩壊である



今一度地域社会とは なにか どうすればいいのか 考える必要があるのではないだろうか


報道でも この点について 深く掘り下げて 伝えてほしいものである


報道の役割には 事実を報道することと これからの社会をどうすればいいのか 提起するということの役割もあるのではないか


子供は 地域社会 全体で 育てる という考え方を持つことが 将来の日本社会にとって必要なのではないか



静かな環境を求める そこには 社会がゆとりがない 疲弊している ということを感じ表してないだろうか



そこには 情報を氾濫させるという点で 報道も 関わっているのではないか




どちらにしても 個人の権利の 乱用が目立つ

人間社会は 集団社会であることを 認識する必要があるのではないか






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2016年04月11日 09時40分18秒 | 日記
( Vol 1417 ) バドミントン選手の賭博問題 対処は厳罰で良いのか 選手を更生するということが必要ではないか


最近 スポーツ選手の 賭博問題が続いている

その処分は 厳罰をもって対処している

しかし その反面 選手の更生 という点がなおざりにされているのではないかと危惧する


スポーツ選手の 選手生命は短い

その中で 選手の将来を考えた 体制が必要ではないか


使い捨てのような 処遇では 雇用契約側の責任は 不十分



選手に 模範となる姿を 求めるのならば 将来についても レールを引くような 育成体制を つくるべきではないか



選手に コンプライアンス 法律の厳守 のための 教育だけでは 真の育成にはならない



選手の更生教育 将来設計 にまでを含めた 育成体制が 必要ではないか



報道は 厳罰のことをクローズアップして 報道しているが 選手の将来を考えた 体制についても とりあげてほしいものである



コンプライアンス 法律の厳守 ということの教育は 社会に出てからでは 遅すぎる


学校教育の中でも 行われる必要がある







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豊前善三つれづれ日記

2016年04月11日 09時10分10秒 | 日記
( Vol 1416 ) ヨーロッパにおける難民問題は 受け入れという形では 解決しない

ヨーロッパの各国は 難民受け入れ政策で 揺れに揺れている

難民支援団体は 人道的な立場から 保護支援を強化している

しかし 冷静に見ていると 難民の増え方は 異常に映る


今までにない 難民の流入は 難民受け入れを無計画に 行ってきたからではないだろうか


難民受け入れは 厳格に対応してこそ 治安が維持されるのではないか


今回のような難民流入は 治安をも脅かすものである


なぜ ギリシャは 難民を受け入れたのか ここが問題である


あるとき報道で 子供が亡くなった状況を映し出していたことがきっかけで 保護団体の圧力が強まったように記憶する

このために 難民流入が 激しくなるきっかけになったのではないか


人間は 豊かなところを求める

その行動が起こせるのならば 誰でも 行動する


ギリシャへと押し寄せている難民は 人道的な同情の領域をこえているのではないか


また ドイツへと向かう難民たちは 国境付近で 国境封鎖した国と 問題を起こしている

難民を主張する人々は 生きる権利を 移民という形で 叶えようとしている


この行為は 肯定されることだろうか 疑問を感じる


ヨーロッパで 起きている難民は 今までの難民とは 質が違うのではないだろうか


その点から考えると 対応も違った形で行うべきではないか



人道的という言葉で ひとくくりするという 行為は 危険すぎるのではないか



対応としては まず 難民としてきている人の所属する国の安定を 図る状況をつくることではないだろうか

難民と移民の区別をつける 必要がある



安易に 難民を受け入れるという基準は むやみに難民を増やすことになる のではないか


難民の中には 移民目的者も含まれてくる可能性がある



日本には 不法滞在者が 200万人もいるという数字もある

人は 豊かさを求めて どんなことをしても 移民しようとする

安易な移民受け入れは 地域秩序という点から 受け入れ態勢を整えてから行うべきだはないか

人道的という人情を最優先することは マイナス面もある


ヨーロッパにおける 難民受け入れは 良い事例ではないか







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