むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「3」 ③

2024年09月07日 08時14分03秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・兼家公のおん娘・詮子皇太后と、
弟君の道長の君の結びつき、
ということになれば、
弁のおもとも知らない話を、
道長の君の北の方・倫子に仕える、
兵部の君はよく知っていた

もうお一方、
ずっと年のはなれた姉君、
超子(まさるこ)がいられた

この方は冷泉院の女御になられ、
いまの東宮(のちの三条帝)、
為尊親王、敦道親王、
お三方の皇子の母君である

兼家公は、
このお三人の孫を、
とても可愛がっていられて、
いつくしんでいらっしゃった

母君の超子女御は、
もう十二、三年前に、
頓死していられた

幼くして母君に死に別れた、
三人の宮を祖父の兼家公が、
おかわいがりになるのも、
無理はない

あれは、そうだ、
私が父に連れられて、
周防の国から京へ帰ったあと、
その噂を詳しく聞くことがあった

天元五年(982)の正月二十七日の、
庚申の宵だった

庚申の夜は眠ってはいけない、
ことになっている

庚申の夜に眠ると、
人の体に住む虫が天に上って、
その人の悪事を天帝に告げる、
といわれている

だからこの夜は、
何やかやして徹夜をするのである

超子女御は、
先に譲位された冷泉院の女御であり、
お妹の詮子女御は、
その時の帝・円融院の女御、
ご姉妹がそれぞれ、
ご兄弟の帝の女御に、
なっていられた

それぞれのお居間では、
にぎやかに若い女房たちが、
騒いでいた

女御がたの男兄弟、
道隆、道兼、道長の公達が、
二つのお居間を行ったり来たりし、
歌を詠んだり、
碁や双六を争ったりして、
面白く夜は更けていった

やっと鶏の声が、
聞こえるようになった

超子女御は、
脇息によりかかったまま、
うとうとまどろんでいられる

男兄弟のお一人が、
詠んだ歌などお耳に入れようとし、

「もしもし、ちょっと・・・
もうお休みですか、
今になって」

とお起こししたが、
一向お返事なさらない

お近くへ寄って、

「失礼します」

と衣の裾を引かれると、
とたんにお体は均衡を失って、
ぐらりとかしいだ

「やや、これは・・・」

と大さわぎになった

女御のお体は冷えていた

あまりのことに驚いて、
近く寄せて拝見すると、
はやお顔の相も変っている

悪夢を見ているようで、
誰もかれも度を失ってしまった

兼家公は知らせに驚いて、
駆けつけ、おん娘の超子女御の、
遺骸を抱き臥しまどろんで、
泣き叫ばれたという

冷泉院の女御になられ、
男宮お三方まで挙げられた、
長女の姫は父の兼家公には、
宝の君なのであった

「元方のたたりでは?」

とおそろしげなささやきが、
宮中にみちた

元方というのは、
元方大納言のことで、
この人の娘が村上帝の、
第一皇子をお生みしたため、
元方は東宮外祖父を期待していたが、
その夢ははかなく破れた

右大臣・藤原師輔の娘、
安子女御が続いて第二皇子を、
生まれるが早いか、
まだ赤児のその皇子が、
すばやく立太子されたのである

右大臣が相手では、
どんなに元方が焦っても、
歯が立たないのであった

元方大納言は、
胸ふたがって物思いがこうじ、
怨念の鬼となって亡くなった

それが今も物の怪となって、
宮中を跳梁しているという

いや、物の怪は、
元方の霊だけではない

位につけなかった皇子、
愛されること薄かった妃、
押しやられしりぞけられた、
屈辱にまみれた大臣たち、
その人々の怨みつらみの物の怪が、
宮中のほの暗い隅の、
そこここによどんでいる

兼家公があわてて、
もう一人のおん娘の詮子女御と、
そのお生みになった若宮を、
あわてて宮中から退出させられて、
円融帝が会いたく思われても、
めったに参内させられなかったのは、
詮子女御を中宮にして頂けなかった、
という帝への怨みもあるけれど、
一つは元方の霊をおそれたから、
という噂もあった

少女の私は、
そういう噂話、
その秘密めいた耳打ちが好きだ

父のもとへは、
そんな噂話をもたらす人が、
多く来た

私は後宮にあこがれ、
その雰囲気を夢に描いて聞いた

怨霊や物の怪ですら、
あでやかな後宮とむすびつくと、
妖しい魅力となった






          


(次回へ)

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