・新帝、一条帝は、
(母君は兼家公のおん娘、詮子皇太后)
正暦元年(990)、
おん年十一歳で元服なさった
私は、
十一歳のお若いみかどの横に、
並ばれた十四歳の定子姫の、
おありさまを想像する
定子姫はすぐ、
女御とよばれることになった
定子姫の入内さわぎは、
世の中になりひびくばかり
祖父の兼家公は摂政どの、
父君の道隆公は内大臣どの、
いうなら定子姫は一の人の姫君で、
天下一の最高の身分の姫君であった
しかも母君(高内侍)は、
むかし宮中に仕えて、
御所の様子、人あしらいに、
ふかく通じていらっしゃる
いうなら、
御所うちの、
社交に長けていられるので、
伝手や手づるをとらえるのも、
ぬかりなく、
新女御のたたずまいは、
たいそうものなれた、
しかも開放的で、
人おじしないもので、
あるらしかった
善美をつくし、
趣向を凝らした豪奢な、
この上ないおびただしい、
家具調度や愛玩品、
芸術品をたずさえ、
定子姫は後宮に入られて、
雲の上の人となられた
弁のおもとの話によれば、
私の書いた「春はあけぼの草子」も、
たくさんの書籍類とともに、
定子女御はお輿入れの調度に、
加えられたという
「それだけでもう充分、
それをうかがっただけで、
嬉しいわ」
と私は弁のおもとにいった
弁のおもとは、
「この続きを必ず見せて、
と姫はおっしゃっていたわ
ぜひお書きなさいな
そういえばこの頃、
新しい物語が世の中に、
出まわりはじめたわ」
弁のおもとは、
私にとって世間の噂を、
伝えてくれる大切な情報源だった
「あたらしい物語って、
どんなの?」
「北の方さまが、
文学好きでいらっしゃるので、
気の利いた女房たちの、
筆の立つ人が書くのを競うの
『かばねたづる宮』
『梅壺の少将』やら・・・」
「まあ
それはどんな風なの?」
私は胸がとどろくのであった
「持ってらっしゃる?」
「手もとにはないけれど、
借りてきて写させて、
届けてあげましょう」
「どんな人が書いているの?」
「若い女の人たちよ
才気ある若い女房が、
ふえたのね、
と北の方さまもお喜びよ」
弁のおもとは、
それからふた月ばかりして、
草子類を四、五冊届けてくれた
みな短い物語だったが、
中には面白いものもあった
思わず引き込まれて読みあさり、
この続きはどうなるのかなと、
弁のおもとに続編をせがんだりした
しかし読み終えると、
所詮、すべては絵そらごとの、
架空のみなどこかで読んだ、
なじみのある、
よく知っている世界にすぎなかった
昔から読みなれた、
物語の中の約束ごとの、
世界なのだった
美しく化粧して、
男を待つ女、
女のもとへ忍んでゆく、
月夜の男
それらの情趣は、
かねて女の好むところに、
さからわず、
ぴたっと決まっておさまり、
読む者の心を喜ばす
私はその抵抗のなさを、
このみながらも、
物足りなく思われる
もっと現実的な、
もっと即物的な感動、
新鮮な手の切れそうな驚き
そういうものは、
何冊もの草子には、
見当たらぬのであった
私は、
そういう草子を読んだあと、
ワルクチがいいたくて、
たまらなくなり、
わざわざ貸してくれた、
弁のおもとに、
いうわけにもいかず、
しかたないから、
いつもの「春はあけぼの草子」に、
書きつけた
「物語は
住吉、宇津保の類」
あと少し、
見どころのあるのを、
しるしておく
「殿うつり
月待つ女
交野の少将
梅壺の少将
国譲
埋木
道心すすむる
松が枝」
そしてつまらない小説の、
題もあげ、
どこがつまらぬか、
書きとどめていった
そのうち私は、
いつとなくそれが、
定子姫、いや今は、
一条帝の新女御定子の上、
にあてて書いていることが、
わかった
定子さまなら、
きっとわかって下さるのでは、
あるまいか
私が何年もの昔から、
物狂おしく(あなた)と、
何とも知れず訴えていたのは、
定子女御ではあるまいか
いつかは定子さまの、
お目にとまる時もあろうかと、
私は「続・春はあけぼの草子」を、
書きついでいった
定子女御が花やかに入内され、
時めいていられるのを見て、
次兄の大納言道兼公は、
おん娘がないのが、
くやしく残念で、
うらやましく思われるらしかった
弁のおもとの話では、
粟田にすばらしい御殿を建て、
女房を数しれず集め、
今すぐ姫君が生まれても、
いいように準備怠りなく、
手をまわしていらっしゃる、
とのことだ
しかし、
かんじんの姫君が、
お出来にならない
それに比べ、
長兄の内大臣道隆公は、
定子女御の下に、
たくさんの姫君がいられる
それに続くのは、
三男の道長公の彰子姫で、
ただいまやっと二つ
まだまだ先の長いことである
(次回へ)