むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「3」 ④

2024年09月08日 08時48分20秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・円融院が即位なさる時も、
安和の変、という政変があった

冷泉院と円融院のあいだにも、
もうお一方、
すぐれた親王がいられた

冷泉院は狂気の君なので、
人望はその下の皇子に、
あつまっていた

ところがその方は、
源高明の姫君を妃にされた

藤原一族からみると、
こういう皇子が帝になられると、
源氏が権力を握ることになる

そこで、
源高明が謀反を企んでいるという、
罪をかぶせ追放してしまった

私はまだ、
三つ、四つのころだったから、
おぼえてはいないけれど、
まわりの人に聞かされた

官位を剥奪され、
網代車に乗せられ、
源高明は都を追われなすった

北の方もおん子たちも、
泣き叫んであとを追われた

邸内の人々は、
生きた心地もなく、
悲しみ嘆くばかり

そして東三条の大臣・兼家公こそ、
この「安和の変」の黒幕といわれる

兼家公とその兄たち、
伊尹(これただ)、
兼通(かねみち)らが共謀して、
源氏左大臣をはめたのではないか、
という噂も流れている

私の父や兄たちの話では、
兼家大臣が、ということだった

もしそれがほんとうとすれば、
兼家公は実に、
源氏左大臣失脚事件、
のちに花山院をだましてすかして、
皇位を捨てさせた出家事件と、
双方の暗黒部分に手を染めて、
いられるわけである

その手は、
血でこそ汚れていないが、
人々の怨念と涙と呪詛で、
爪の先まで黒くなっている、
ということもできよう

源氏左大臣高明公は、
ご身分も高く、
醍醐帝の皇子で、
臣下に下って源氏になられた方

すぐれた器量をお持ちに、
なっていられたのに、
無実の罪で追われていく、
浅ましいお姿を見て、
人々は、昔、菅原道真の大臣が、
流されていかれたありさまを、
思い合せ同情の涙を、
とどめられなかった

若君たちは、
お車を追って行かれたが、
兵士たちに追い払われた

源氏の大臣は、
のち許されて都へ帰られたが、
出家なさった

そのお邸はまもなく、
怪火で焼失してしまった

お気の毒な政争の犠牲者であった

この源高明大臣の北の方は、
兼家公の妹君で、
いうならば高明公と兼家公は、
義理の兄弟の仲であるが、
そんなことかえりみられる方では、
兼家公はなかった

安和の変を経て、
円融帝が即位され、
ついで、花山帝の世になった

詮子女御にできた皇子が、
東宮になられると、
もう、花山帝の退位が、
待ちわびられたにちがいない

そうして、
詮子女御の生まれた皇子が、
七つで御位につかれた

兼家公もご子息たちもこの日を、
待ちわびていられた

新帝にとって、
兼家公は外祖父、
道隆・道兼・道長らは、
伯父、叔父にあたる

そうしてやがては、
このお三方のあいだで、
はげしい争いがくりひろげられる

いや、それはもうはじまっている

道隆公や道兼公より、

「なんと申しましても、
内裏でいちばん人気のあるのは、
道長の君でいらっしゃるのです
第一、
詮子皇太后がとてもお可愛がりになり、
『道長はわが子のように思うわ』
と仰せられているくらいです」

兵部の君はいう

兵部の君は三十ばかり

古くから土御門のお邸に住まれる、
源氏の左大臣、雅信公の大姫君、
倫子姫にお仕えしていた

この人は夫もなく、
子もないが、
ずうっと宮仕えをしてきて、
仕えているお邸を、
唯一絶対と信じている

根はいい人なので、
私が頼めば同じ車に乗せて、
土御門のお邸へも、
連れていってくれる

この土御門邸は、
土御門中納言とも呼ばれた、
藤原朝忠公のお邸で、
名邸である

朝忠公の姫君の婿になって、
住まれたのが、
源の左大臣、雅信公であった

このご夫婦には、
姫君が何人かおありで、
やがては帝か東宮に、
さしあげようと考えていられた

帝はやっと八歳
東宮は十二歳というご幼少

倫子姫はこのとき、
二十四になっていられて、
ふさわしくなかった

倫子姫に、
あまたの求婚者がいたが、
ことに熱心だったのは、
このとき二十二の道長公だった

まだ権中納言になられる前、
ぱっとしない地位なので、
父君は相手にしていられなかった

しかし、

「いいえ、
あの公達はみどころがあります」

と買っていられたのは、
母君であった






          


(次回へ)

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