・チーズはプリーとポンレベーというのを食べた。
私に見識があって選んだわけではなく、
持ってきたのを、指さして取ってもらったら、
そういう名前であった。
羊のチーズは異臭がしたが、
ワインに合うので、これも「結構でした」
と食べた。
私はどこへ行っても、
何を食べてもやっていけそうに思われるのは、
こんなときである。
どこの国の男と結婚しても、
うまくいったんではなかろうか、と思うと、
少し残念な気がする。
同じ日本人の男が相棒というのは、
変りばえしなくてつまらない。
尤も、相棒にいわせると、
「何をねぼけたこというてんねん、
こっちがひたすら辛抱しとるから保ってるのやないか!」
と怒り狂うかもしれないけれど。
「ラ・マレ」の料理が本格的で美味しかったので、
本当のフランス料理を食べたと思って嬉しかった。
招待側は、それをフランス語で、
レストランの給仕長に伝えて下さったので、
店の人は気をよくして記念にと、
ポスターほどもあるメニューをくれた。
私はそれを持ち帰って居間のふすまに張っておいたら、
パリっ子の友人が遊びに来て、
「おや、ラ・マレだ」となつかしがっていた。
パリ最後の夜、
これも高級レストランの「フーケ」へ行こうとして、
ホテルの人に予約をたのんだが、
行ってみると「予約は受けてない」とことわられた。
何かの手違いがあったのだろう。
「フーケ」は凱旋門を望む一流のところにある店で、
店内は時分どきだから、
着飾った紳士淑女で満員であった。
給仕が、
いまは満席だから予約がなければどうにもならない、という。
「仕方ないでしょ、
どこか、ほかで食べればいいではありませんか」
ということになった。
私たちが給仕と押し問答をしているあいだ、
いちばん手近の席の中年男女、
見るからに上流階級らしい身なりよろしき一組が、
我々を眺めてうすら笑いを浮かべていた。
この田舎者が、
という軽侮の表情が、ありありと出ている。
私だけがそう思ったのか、
と考えていたら、外へ出て、
「あの一ばん端の席にいた中年のカップルは、
いやな奴でしたな」とおっちゃんがいい、
ホトトギス氏は、
「何だかバカにしているようでした」
と憤慨していて、
人の思うことはみな一緒、
お上りさんか地元の人間か知らねども、
高級レストランへいったって当然のこと、
人間が高級になるわけではないのだ。
「私はイタリア料理のほうに魅力がありますなあ」
シャンゼリゼを歩きつつおっちゃんはいう。
「料理も人間と同じで、
素朴なところがないといけまへんなあ」
「そうね、原型をとどめず、
というのは離乳食みたいになっちゃう」
「荒々しいところが残っているのはいいですね、
フランス料理はすこし、
洗練されすぎてるのとちがいますか」
とホトトギス氏。
高級フランス料理屋で木戸を突かれた腹いせに、
我々はフランス料理のワルクチをいいながら、
シャンゼリゼを歩いた。
そしてやっと見つけたレストランで、
パリ最後の宴を張ったが、
ここは一般水準のレストランであったが、
やはりフランス料理は美味しかったのである。
(了)